2018.09.07

KG+2018 × SIGMA REPORT

セミナー&トークイベントFoveon Special Talk
「写真家にとっての写真集と撮影技術」

第3部
「Ways of Seeing 〜視ること・撮ること〜」前編

対談:伊丹豪×小林美香
text: SEIN編集部 photo:Hanae Miura

SIGMAが「KG+2018」出展プログラムのハイライトとして開催した「写真家にとっての写真集と撮影技術」をテーマとする3部構成のリレートーク。最終章となる今回は、前回に引き続き、写真家・伊丹豪さんとSEINでもおなじみの写真研究者・小林美香さんによる対談「Ways of Seeing 〜視ること・撮ること〜」をお届けします。

「エプサイト」の企画展が二人の出会い

小林:まずは私たちが交流するようになった経緯から話しましょうか。先に簡単に自己紹介させていただくと、私は、東京国立近代美術館で客員研究員として勤務しており、大学で写真の講義を担当していたり、フリーランスで執筆や展示の企画などを手がけたりしています。伊丹さんとのご縁は、今回の展示でプリントの協賛をしてくださっているEPSONの「エプソンイメージングギャラリー エプサイト」(新宿)で、2014年2月に伊丹さんの展覧会を企画させていただいたのが始まりです。

伊丹:あれが最初でしたね。

小林:エプサイトでの展覧会の企画を考えていた時に、伊丹さんとの共通の友人で、日本の写真の研究者であるダン・アビーさんが、American Photo Magazineというオンラインマガジンに伊丹さんの写真についての「Geometric Visions of Tokyo」という記事を寄稿したということを、彼のFacebookの投稿で知ったのです。その投稿のサムネイルのイメージが、缶コーヒー「エメラルドマウンテン」の写った写真だったんです。

写真集「this year’s model」より

「何だろう、これ?」がひっかかる写真

小林:初めてこれを見た時、「何だろう、これは?」と思って。記事を読みながらも、不思議な印象が残りました。伊丹さんの作品には「これ、何だろう」と思わせるものが多いんですけど、この作品もそう。見慣れた缶コーヒーなのに、何が違うんだろうと感じたわけです。

伊丹:もともと、このエメラルドマウンテン缶のデザインが大好きだったんです。あまりにも好きすぎて、どうにか自分の写真にしたくて。だったら現物を複写すればいいんですが、それだけでは何かが足りない。それで、友だちの絵描きに缶を渡して「これに何でもいいから好きなように絵を描いてくれ。俺はこれを写真に撮りたい」と頼んだ。それで完成した絵を見せてもらったんだけど、想像していたのとは違い、写真に撮れる感じではなかったので困っていたんですね。そしたら、その方が洗面器に水を張って、「これに浮かべて、私がこうやって絵の具を垂らしたらどう?」と言うので、その通りにやってみたんです。それを真上から俯瞰して撮ったという、ただそれだけなんですよね。

小林:そうしてできたエメマンの缶の画像が、水面を流れるようにタイムラインに流れてきたのを見て、私の中で何かが反応したんでしょうね。この作品の平面と立体の関係が面白いと感じて、企画のお声がけをしたのです。

写真を空間に展示することの意味を模索

小林:鈴木一誌さんがおっしゃっていたように、写真の一つの完成形というのは写真集だろうとは思うんですけれども、一方で、写真展のようにその時、その時で違う見え方にできる方法もある。伊丹さんの作品に関わって、そこが面白いなと感じるんです。

伊丹:そうですね。

小林:これは我々にしか通じない用語なんですけど、エプサイトでの展示のアイデアを練る中で、エメマンの写真を「御本尊」と呼んでいたんですよ。この作品を中心に据えて、空間の中での配置を考えて展示方法を練っていった。

伊丹:まず、展示する場所があって、その場所の成り立ちとあり方に対して、自分がどういうアプローチをするかについては毎回ものすごく考えています。なので、壁面に写真をかけるだけが展示であるとは考えていなくて、なるべく空間を含めて構成したいと思っています。当時は、とにかく「写真というのは、しょせんは紙だ」ということをいかに表現するかということを考えていました。だから、プリントの裏側を敢えて見せるべきだ、そのために空間に吊るしたい、と僕が言ったんですよね。

小林:そうでしたね。

伊丹:基本的な考え方は今も変わっていないんですが、無意識に撮ってしまっていたもの、カメラが写していた微細なものを写真としてきちんと見てもらうには、やっぱりある程度大きなプリントでないと、人は目視で確認できないという思いがあるんです。だから大きなプリントで区切るように上から吊るして、インスタレーションみたいにしたいと考え、このような展示になったように記憶しています。

「study」(2014年)/エプサイト

写真をレイヤー構造として見せる

小林:展示会場の写真の撮り方も風変わりですよね。

伊丹:そうですね、意識し始めたのはこの時ぐらいからですね。空間を遮るように上から吊るしているし、壁面にも写真があるので、自分が立つ位置によって見え方が変わり、かなり複雑に折り重なってくるなと。展示前からも予想はしていたんですが、この頃は展示経験も少なかったし、意図を明確にするというよりはまだ、しゃにむにやっていた頃なんですよね。だから「物理的にプリントが折り重なったりして見えること」についても、実際に展示が完成した後に自分で立って見て初めて気づいたことです。「ふだん自分が写真を撮っている構造と、ここにある構造が同じだな」と。そこから「インスタレーション・ビュー」というか、撮ることで展示風景を作品化できるのではないのかと思って撮るようになったんですね。

小林:エプサイトの前にPOSTで展示をしたのですか?

伊丹:そうです。中島佑介さんが運営している東京・恵比寿のブックショップ兼ギャラリーのPOSTで、1冊目の写真集『study』ができた時に展示をしました。まだ、何をすればいいのかも全然分かってなかった頃ですね。

「study」(2013年)/POST
「study」(2013年)/POST

伊丹:この頃も、「すべては重なり合って、レイヤー構造のようになっているのではないのか。自分は写真をそう感じている」ということをどうにかして見せたいと、模索していました。また、空間に対するアプローチの方法は、とにかく試行錯誤、悪戦苦闘しました。

小林:エメマンの写真も小さいプリントで展示されていますね。振り返ってみると面白いですね。

「NEW TACK」(2014年)/Woolloomooloo Xhibit(台湾)

「平面作家としての意識は常にもっている」

伊丹:これは3年ぐらい前に台湾で大きい個展をさせていただいた時のものですね。大きな展示室が4つある空間だったので、あえて部屋を区分けしたんです。この部屋は『this year’s model』の掲載写真を額装して、等間隔に整理して飾りました。

小林:今日はフレームの話もしたいんです。今回の展示では写真そのものの外端が色づいていたり、黒で縁どられていたりと、「額縁」というものを疑似的にあしらってある。

伊丹:ええ。考えはずっと変わっていないのですが、やはりその都度いろいろ試行錯誤はしているので。特に「平面作家」であることはものすごく意識していて、空間に対して自分が介入していく際に、ただイメージを平板化して壁にかけるだけでいいのか、という思いはずっとあるんです。

小林:「平面作家としての、写真家」。これは面白い捉え方ですね! そういう捉え方があるからこそ、伊丹さんの作品に関心をもつ人たち、例えばデザイナーや被写体に関わる人が立体を構想するのかもしれない。

伊丹:最近、ジュエリーや洋服をどんと送ってきて「これを格好よく撮ってください」みたいな乱暴な依頼がものすごく増えています……(笑)。

小林:エプサイトの展示の後も「ドイツの建材屋さんから仕事が来た」と言ってましたもんね。素材の表面を撮る人だと認識して発注してくるんだなと、腑に落ちました。

伊丹:そのことに対して「ありがたい」と思う気持ちと、やはり「いや、それだけじゃない」という反発心が、両方あるんですけれども。

小林:エプサイトでの展示を準備していた時に一緒に写真を見て選ぶ中で、伊丹さんが「ほら、こんなにたくさん画面に写っているでしょう、すごいでしょう?」って言っていたんですよ。まるで2、3歳の幼児が地面に這うアリに見入って、「ねえ、アリがたくさんいる。お母さん、たくさんいるよ!」って喜んで見せるような感じで。それを聞いて、伊丹さんって、視覚の原初的な快感を大事にしているんだな、と思いました。

伊丹:要は、SIGMAさんのカメラを使うのも同じことです。例えばグルスキーを見た時に、あれだけの来場者が喜ぶのも、もちろんそれだけじゃないのは大前提として、細かに写っているというだけで人は感動できるからですよね。だからそういうシンプルな理由で制作するということがあってもいいと思うんです。めっちゃ写っているというだけで、自分のテンションが上がるのであれば、それに忠実にやっていけばいいと基本的に思っているので。難しいことは抜きにして、本当に見知っているものが恐ろしく精細に写り、別物に見えるっていうだけで、これほど面白いことないのにな。それだけじゃ何でダメなんだろうな、ということはいつも思っています。

小林:うん。伊丹さんがプリントを見せながらキャッキャと喜んでいる感じに私は付き合っていた記憶があります。

伊丹式「写真家と写真史へのオマージュ」

小林:あと、それはそれで理解できるんだけど、もう一つは「何でそんなことするの?」という疑問も湧くんですよね。さっきのエメマン缶も、「好きすぎてこれを何とかものにしたい」からって、友だちに絵を描いてくれと頼むとか、洗面器を持ってきて絵の具を垂らし始めるとか。その次の行動のあり方に、すごく「何なんだろう、この人は」と思う部分があるわけですよ。例えばエプサイトで展示したこの写真もそうですが、これは伊丹さんの写真家や写真史へのオマージュ、敬意の払い方が独特で面白いですよね。

伊丹:そうですね。

「粉かけザンダー」

小林:これは我々の間で「粉かけザンダー」と呼んでいる作品ですね。アウグスト・ザンダーという20世紀を代表するドイツの写真家の作品を文字どおりベースにしています。

伊丹:偉大な巨匠です。これはアウグスト・ザンダーの「ラジオ局の秘書」という作品。

小林:私も大好きな作品です。この写真自体が当時のドイツの新しい女性像を表していて、高く評価されているんですが、この人はその「大好き」を表す時に「粉をかける」という行為に及ぶんです(笑)。先ほどのエメマン缶に絵の具を垂らしたように。

伊丹:一緒です。この写真はザンダーの7巻組の写真集『20世紀の人々』の中の1冊の表紙になっているんです。ザンダーの写真が大好きで、どうにかして自分の写真にしたいと思ったんです。とはいってもザンダーの写真なんでね(笑)。

小林:そうですよね(笑)。

伊丹:アプローチとして他者、しかも巨匠の写真を複写するわけで、最大限の尊敬を込めてアプローチするしかない。それは元の写真が可能な限りそのままであるということが重要だった。そこで影が落ちているとか、何かがその写真に付加されていればいいのではと考えた。そこで小麦粉を一生懸命……。

小林:均等にまぶした、と。

伊丹:かなり頑張ったんです。

小林:じゃ、写真集を台所に持っていって……。

伊丹:いや、リビングかな。そこで新聞紙を敷いて。小麦粉をかけて、ちょうど目の部分が隠れるように意識してやってそのまま撮った。そもそも自分が見ている目の前の写真も紙のテスクチャーがあり、印刷の網点がある。さらにそこに小麦粉の粒がのる。

小林:小麦粉以外の物も写っている。

伊丹:意図的か、偶然かはもう覚えてないのですが、茶色の粒はインスタントコーヒーの顆粒なんです、これ。あとから拡大してみて分かりました。

小林:つまり、これは写真の複写である一方で、コーヒーの粒によって景色化している面もある。

伊丹:そうですね。

小林:よく見ると、写真の上にこの粉の影や印刷の網点も重なっていて……。

伊丹:粒の集合体ですね。

小林:粒々ですよね。細かく見える快感もあれば、ぞわーっとするような気味の悪さも感じます。

伊丹:今自分が写真をやっていることに対して、当然、ザンダーから影響を受けているときちんと言いたい思いもあるし、ちょっとギャグみたいなやり方で歴史と自分をどう接続させるかを見せたい考えもある。

小林:もし今、ザンダーが蘇って、これを見たら何て言うかなと思って……。

伊丹:怒られそうですね(笑)。

今を生きる自分と写真史をどうつなぐか

小林:改めて展示風景の写真を見ていると、伊丹さんの作品を90年前の人が見たら何て言うだろうと考えるんですよね。いろんな歴史上の巨匠写真家を召還して、あの先生がここへ来て見たら何て言うかな、って。そうやって考えると、伊丹さんのやっていることってすごく豊かな方法だと思うんです。歴史って知識や教養として知っておくだけのものだけではなくて、歴史とともに今をどう生きていくか、ということでもあるなと思うわけです。その点で伊丹さんは生真面目ですよね。

伊丹:くそ真面目だと思いますよ、本当に。そこだけは自信もって言える(笑)。

小林:本当に真面目だなと常々思っております(笑)。これは『this year’s model』にも今回の『photocopy』にも入っている作品ですね。さっきの粉かけザンダーに続く「砂鉄散らしマン・レイ」ですね。

「砂鉄散らしマン・レイ」

伊丹:そうです。だからちゃんとサインには砂鉄をかけないで残してあります。

小林:マン・レイの「ガラスの涙」(1932)という作品ですね。これはどういう状態ですか? 

伊丹:そもそもは、カラフルな紙の重なり合いの写真(展示作品の一つ)に「つけまつ毛」が張られているものがあるんですけど、あのつけまつ毛を使いたかったんですよね。それを生かすには何に使うのが面白いだろうと考えていた時に、世間一般で知られているポートレートにつけるのがいいんじゃないかと思って。

小林:なるほど。

伊丹:もう、ザンダーはやってしまったし。で、マン・レイのあの写真なら、写真家を知らなくても見覚えがある写真だろうと思って。だから写真としては、つけまつ毛バージョンのマン・レイもあるんです。でも、できすぎな感じなので迷っていた。

小林:きれいすぎちゃいけないんですね。

伊丹:そうです。だから、頃合いに印刷して、丸めたり折ったりして。ああじゃない、こうじゃないと繰り返すんです。その途中で、砂鉄を持っていたことを思い出して、もう1回広げて上からかけたんですよ。

小林:いつも、かなり偶発的なんですね。

伊丹:ええ。なので本当の意味でのセットアップはできなくて、あくまでも思いつきで始めて、思いつきのうちに終わるようにしているんです。スナップで街を歩いてパッと出会って撮るのと全く一緒。そもそもロジカルに物事を考えて最後までそれでいける人間ではないので。あくまで、ストックしていたものを引っ張り出して、手を動かして、偶発的に出会うのを待つみたいな感じです。

小林:でも、改めて「砂鉄散らしマン・レイ」を見ても、元の作品の成り立ちをもう1回精査するという意味でも学びはあるでしょうね。

伊丹 豪

写真家

写真家。1976年、徳島県生まれ。2004年、第27回キヤノン写真新世紀佳作受賞。2015年、『this year’s model』で第27回「写真の会賞」(2015年)を受賞。写真集『study』『study / copy / print』『this year’s model』(RONDADE)をリリース。最新刊『photocopy』はほぼすべてSIGMA sd Quattro HとSIGMA dp3 Quattroで撮影された。

小林 美香

東京国立近代美術館客員研究員/写真研究者/KYOTOGRAPHIEポートフォリオレビュアー。

SIGMA「SEIN Online」にて「Ways of Seeing」を連載中。国内外の各種学校・機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007年〜08年にAsian Cultural Councilの招聘、及びPatterson Fellowとしてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会・研究活動に従事。2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

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