+ SIGMA

最新の機材、最新の技術で
「真実を写す」ことに挑戦するから
写真は進化し続ける

フィルム写真のデジタイズのパイオニアとして、また美術作品のデジタルアーカイブ化の第一人者として、
早くからSIGMAのデジタルカメラを用いた技法を確立し、独自の研究を重ねている写真家であり
製版のスペシャリストでもある、西川茂さん。そして「大曽根、語る。」でおなじみ、SIGMAの商品企画部長・大曽根康裕。
今回の企画は、西川さんの経験則にねざした「SIGMAのカメラでなければならない理由」を、
長年にわたり親交を深めてきた大曽根との対話を通して浮き彫りにする試みです。

2020.04.01

10代で油絵を学んでいる際に写真家・東松照明の作品に出会い、ドキュメンタリーがアートになることに衝撃を受けたという西川茂さん。郷里富山から上京し、やがて「WORKSHOP写真学校」の東松照明教室出身者らが中心となって立ち上げられた「フォトギャラリー PUT」で個展を開催するなど、写真家として活動するようになります。

「写真は“テイク”するじゃない。“メイク”をするものなんだ」

大曽根:西川さんは東松さんとの出会いを通して写真に取り組むようになったとお聞きしました。

西川:そうですね。カメラの扱い方、写真集を見る目などさまざまなことを直接、間接に学びました。「写真家になりたかったら、カメラマンになっちゃダメだ」と言われたこともありますし、「絶対、生業を持て。生業を持って写真を撮れ。そうしないと自分の好きなことはできないぞ」とか、東松さんに言われたことの多くが、今の自分の指針になっています。

大曽根:その交流の中で、西川さんが製版技術を学ぶきっかけがあったんですね。

西川:1979年頃、僕が何気なく「何で日本の写真集って良いものがないんですか?」と聞いたら、「そんなの簡単だよ。まずデザインが良くない。でもそれよりもっと大事なのは、写真製版が全然良くないことだ」と言われて。

大曽根:つまり当時の日本の製版技術に問題があると。

西川:そこから1年間、専門学校でも広告美術の基礎を学び、その後、日本電子製版という日本で最初にできた製版会社に入りました。そこでは土門拳のカラーフィルムの復元作業をやっていたんですね。酸化と褪色で真っ赤っかになったフィルムを並べて、PDIというスキャナーでYMCに三色分解して。製版技術助手としていろいろな仕事をしながら、カラー写真のスキャナー分解を学んで、1984年に独立・開業しました。

大曽根:以来、製版やスキャニングの技術進展をずっと見ているんですね。

西川:そう、ずうっと見てきました。当時使われていたのはドラムスキャナーでしたが、メジャーな機械は廃棄する前に分解までしたりして、すべて研究し尽くしましたね。

大曽根:写真の一番の特徴って、何回も再現と複製ができるというところですよね。自分であれ他の誰かが撮ったものであれ、理想としたであろうイメージを再現し、複製して多くの人に見てもらうためには写真集というかたちは不可欠で、その精度は結局製版にかかっているということですしね。

西川:全くそのとおりです。それこそ東松さんが言っていたことなんですよ。東松さん流の表現でいうと、「写真は“テイク”するじゃない。“メイク”をするものなんだ」と。まさにそのとおりだと僕も思ってます。

「写真は最先端の装置を使わないと何も撮れないよ」

その後西川さんは『陶磁郎』という陶芸専門誌の制作に参加。当初、誌面の掲載写真はフィルムカメラで撮影されていましたが、西川さんは画質と合理性の面からデジタル化を提案。その機材として候補に挙がったのが、キヤノンとSIGMAのカメラだったといいます。

西川:『陶磁郎』には15年間携わったのですが、僕はその写真に満足ができなかったんです。あくまで誌面用に陶芸作品を撮って紹介するという用途を満たしているだけで、その陶芸作品の本当の色やディテールが写っていなかった。製版段階でかなり補正したのですが、それにも限界がありますから。そんな時にコスト抑制の相談を受けて、「デジタイズ(デジタル化)すればコストカットもできる」と答えたんです。当時はそういう概念がまだ確立されていませんでしたから、「だったら西川さんに全部任せる」となったんですよ。

大曽根:その頃すでにSIGMAのカメラを使ってくださっていたんでしたね。

西川:ええ、SD9を。SIGMAのFOVEONセンサーは当時からダイナミックレンジがすごく広かったし、全然解像度が違うわけですよ。「これは使えるカメラだ」と感じましたが、残念ながらその時は機材の都合がつかなくて、キヤノンのカメラを使うことになったのですが。

大曽根:当時だと、まだデジタルカメラに移行したカメラマンは少なかったんじゃないですか?

西川:何人かのカメラマンに、陶芸作品のサンプルとデジタルカメラを渡して、「これで撮影してみてくれ」とテストを頼みました。その時、二つ返事で受ける人と受けない人の二通りいたんですよ。拒んだ人の言い分は「デザイナーからの発注じゃないから受けない」というものでした。撮影の受発注や是非の判断はデザイナーがするものと決めつけていた。もちろん自然に歩む道が分かれていくわけですから、その分岐になる時代だったといえますね。そんなわけで、自分で撮るようになったんです。

大曽根:プロフェッショナルとしては、未知の機材を使うのは勇気がいるでしょうしね。ましてやFOVEONは、非常に突出した特長はあれど、全方位的に優れた満点のセンサーとは言えなかったでしょうし(笑)。

西川:いや、今だって完全なものなんてどこにもないですよ。あったらお聞きしたいぐらい(笑)。そこを覚悟して使うか使わないか。それは使う側の覚悟なんですよね。これも東松照明さんから言われたことなのですが、「写真は最先端の装置を使わないと何も撮れないよ」と。僕はそれを、「覚悟の問題」と解釈しているんです。

曜変天目の本当の色を写し出せるのはFOVEONだけ

陶芸作品の撮影を手がけるようになった西川さんは、デジタルカメラで陶磁器の釉薬を解明する写真集の撮影・出版を企画し、2007年に『拡大の美-日本が愛したやきもの』を発刊。現在は、陶芸家の桶谷寧さんと共に、陶磁器の曜変天目茶碗の再現と撮影に取り組んでいます。曜変天目とは、漆黒でありながら光を浴びると鮮やかな紺色や瑠璃色の斑紋が浮かび上がり、虹のような光彩を放つ、非常に稀少な天目茶碗です。

西川:曜変天目は南宋時代の中国で焼かれたものですが、現存するものは世界でも3点しかないとされ、どうしてこのような紋様が現れるのか、そのメカニズムも技法も解明されていません。桶谷さんはその再現を試み続け、ある程度糸口をつかんでいる。僕は曜変天目の物質的・化学的な特性を推察しつつ、どのような色が写せるか予測しながら撮影と検証を重ねています。

大曽根:これは全くの私見なんですが、曜変天目って、基本的には青磁のような光沢のある美しい“黒い茶碗”を焼こうと考えて、黒釉をすごく厚くかけて、いろいろと実験的に焼いていたんじゃないかと。その工程の中で曜変が始まっていて、その極端なものが、いわゆる曜変天目茶碗なんじゃないでしょうか。

西川:私もそれに間違いないと思っています。

大曽根:その曜変天目の本当の色を写し出せるのはFOVEONだけだと、西川さんはお考えなんですね?

西川:ええ。まず、これってフィルムでは絶対写らない世界なんです。デジタルカメラだからこそ撮影して再現できる。その中でも本当にきちんと写し出せる機材を探すしかない。高価な機材なら良いというものでもないし、センサーの大きさでもない。あくまで結果を見た時にFOVEONが最適だったということです。

大曽根:それで、なぜFOVEONが西川さんの求める色、つまり本来のあるべき色を写せるのか、私なりに考えてみたんですよ。この図(図1)は、下がベイヤーセンサー、上がFOVEONの波長色を表したものなのですが、ベイヤーの場合、特に紫の取り込み・再現が苦手であることと、黄色、オレンジ、青紫あたりのいわゆる中間色の再現がちょっと乏しい。この点が、まず色再現の面でのFOVEONの強みだと思っているんです。

西川:なるほど、確かにそうでしょうね。

図1

通常のデジタルカメラでは写せないところまで精確に描写できる

大曽根:もう一つは、言うまでもなくFOVEONの解像度。精緻で細かいテクスチャーを最大限に再現できる解像感の高さですね。多分この2つが、西川さんが理想とする画に必要な要素だったんじゃないかと考えています。

西川:まさしく。

大曽根:理屈っぽくて大変恐縮ですが、こちらの図(図2)で説明してみます。通常、ひとが肉眼で認識できる波長は、紫(400ナノ)~深赤(750ナノ)くらいまでの範囲なんです。

図2

西川:そこは、かなり個人差がありますね。

大曽根:ええ。もうちょっと紫側が見える人も、赤の方が見えている人も、もっと極端な見え方の人もいると思うんです。にもかかわらず、デジタルカメラのイメージセンサーの前のフィルターは、情報を一定の波長域でバサッと「切り揃え」ているので、その範囲の波長分しか写らないから、範囲外にある紫なんかは本当に苦手じゃないですか。

西川:うん。普通のデジタルカメラじゃ、紫は全然再現できませんしね。

大曽根:ところが、FOVEONセンサーはRGBそれぞれに広い波長域をとらえるので、混色は起きる一方、中間色の色再現に優れている。なので、特にこの紫のあたりとか、青緑、オレンジの色の再現性が良いんです。

西川:僕はさらに、ダストフィルターも外してしまったんですよ。それによってさらに、大曽根さんのおっしゃるとおり、「ばっさりカットしちゃった波長域」までとらえられるようになるので。

大曽根:そのかわり、本来写ってはいけないものも写るリスクがありますよね。黒いものが赤く写っちゃうとか。

西川:当然そうなります。だからそれは、ライティング、つまり光をコントロールすることで調整するしかない。

大曽根:ですよね。だから、被写体によってはダストフィルターを外すと正しい画が出せないけれど、たとえば曜変天目茶碗の曜変の部分に限定した上で、さらにライティングで条件を調えれば、通常のデジタルカメラでは写せないところまで精確に描写できるようになる、というのが西川さんのなさっていることの本旨なんじゃないか。人間の目に近い、あるいは本当に目の良い人の視覚に近づけて再現するんだと。そのことをつかんで、再現する方法を模索中で、西川さんはFOVEONセンサーを選ばれたのではないか、というのが私の推測です。

人間の目に近づくための究極の“西川センサー”とは

西川:うん、そのとおりです。僕をそんなふうに仕向けたのは陶芸家の桶谷さんで、「僕の作品はもっと紫外線や遠赤外線までも取り入れないと本来の姿として“見え”ないはずだ」と、8年以上言い続けてきたんですよ。それで僕はある時、「何だ、IRフィルターを外せばそれは撮れるじゃないか」と気づいたわけ。もちろんメーカーであるSIGMAさんとしては、ダストフィルターを外すことに保証なんてできないでしょうから、これは僕の自己責任で取りました(笑)。

大曽根:これは勝手な妄想ですけど、たとえば「西川お薦めスペシャル」という特別なベイヤーセンサーをどこかでつくってもらうなんてどうですか?(笑) たとえば1ピクセルで9つの色情報(赤、深赤、オレンジ、黄色、白、緑、青緑、青、紫)を取り込んでアウトプットすると、6,000万画素÷9なので、都合700万~800万画素のカメラになっちゃうんだけど、色再現としては多分、FOVEONセンサーに匹敵するか、ないしはそれを上回るはずじゃないかって思ったり。

西川:あぁ、それなら間違いなくちゃんと色が出ますよね。

大曽根:紫は紫外に、深赤は赤外に片足を突っ込んでいるので、その分、フィルターも人間の目が見える上限まで広げてあげれば、これこそ究極の“西川センサー” でしょう(笑)。

西川:ハハハ。確かに!

本来あるべき色再現を叶える、現状唯一無二のセンサー

西川:2007年に『拡大の美』を撮ろうとした時、撮影機材の候補に挙がったのがSIGMAの初期のSDと、Phase OneのP25かP30あたりだったんですよ。それで、比較したんですよ。値段は全然違うし、うーん、どっちかなと悩んだんですが、当時のSDは色のコントロールがうまくできなかった。それで諦めたという経緯があります。

大曽根:初期のFOVEON機の頃は色のコントロールがかなり難しかったんです。

西川:やっぱり?

大曽根:そうですね、色が暴れるというか……。しかもすぐ飽和しちゃったり。

西川:どんなセンサーも、次第に色が飽和してくるんですよね。おもちゃみたいな色というか、蛍光色みたいな色になっちゃうわけ。金赤が金赤じゃない色になってしまう。飽和したものをどうやって我々が可視光で見ている色に閉じ込めていくかの障壁が高かった。だから当時僕はFOVEONを使うことを諦めたんだけど、今のFOVEONがあれば、あの写真集は全然違うものになっていたと思います。

大曽根:なので、ちょっと自虐的で恐縮なんですけど、FOVEONセンサーというのは、高解像は自慢できるんですけど、色再現については「天恵」に近いものがあるというか……(笑)。

西川:いや、でも僕は、それでもFOVEONは本来あるべき色再現を叶える、現状唯一無二のセンサーだと思っているけどね。

オリジナルプリント以上の解像感を実現するFOVEONのポテンシャル

西川:実は、美術館に収蔵されているオリジナルプリントをデジタル撮影してアーカイブ化したことがあるんですが、プリントしてみたらオリジナルよりはるかにクリアで立体感があるんです。どうしてそういうことが起こるんだろうと考えていたんだけど……。

大曽根:ベイヤーセンサーが、いったん補完した後にエッジ強調をかけるのに対し、FOVEONは補完を必要としない分、かなり自在にネイティブデータのエッジを利かせることができる。「エッジを利かせ放題」というと大げさですけど。ベイヤーの場合は、ピクセル数に相当な差がない限り、実際の画像以上の情報を引き出すことができないんじゃないかと。FOVEONでデジタル撮影すると、オリジナルプリント以上の「クリスピー」で立体的な画質になるのはこのせいじゃないかと思うんですね。

西川:ああ、なるほど。それなら現象が理屈として腑に落ちるね。いや、そうに違いない。

大曽根:だから、FOVEONセンサーで女性の肌なんかを撮ると、無駄な立体感と無駄な陰影と無駄なテクスチャーが出てきて、今ではレーザーポインターとFOVEONセンサーは女性に向けてはいけないというジョークがあるぐらいで(笑)。

西川:油絵の作品でも同じことがあったんですよ。3年前だったか、Quattroで有名な画家の作品を撮影したところ、撮影画像に全然違う筆致が現れて、「これは何なんだ!」という話になったんです。学芸員の解釈によると、「作家はもともと、出現した筆致で下絵を描いていた。当時の薄暗い室内で、その上から絵具を重ねていく中で下絵とは違う仕上がりになり、それが最終的な『絵』となった。FOVEONで撮影したことで、肉眼では認識できなかった下絵の筆致まで検出・再現されたのではないか」と。センサーがピクセルの輪郭を強調しているから、ぼかしていても下絵が出てきてしまったということかもしれないというわけですね。

大曽根:おそらくモヤッとしたものを1ピクセルごとの輪郭強調でフッと浮き立たせてしまったんじゃないのかなと。推測の域を出ませんが、FOVEONセンサーの画像生成上の特質によるものじゃないかというのが私の仮説です。

民生用デジタルカメラによる「デジタイズ」のパイオニアとして

大曽根:西川さんの「ライフワーク」というんでしょうか、曜変天目茶碗のように美術品をドキュメンタリーとして撮影するという仕事と、美術館の収蔵品のアーカイブ化のようなデジタイズの両方あると思いますが、FOVEONセンサーでデジタイズを始められたきっかけは、そもそもどこにあるんですか?

西川:あぁ、それは古賀義章さんという編集者がオウム真理教をテーマにまとめた、『アット・オウム 向こう側から見た世界』という写真集です。彼はオウム事件があった1995年から約2年間、静岡県富士宮市や山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の教団施設を撮影していて、事件から20年後の2015年に、それらをまとめて出版することになったんですね。

大曽根:1995年頃はまだフィルム撮影の時代ですね。

西川:そうです。だからスキャンしてデジタル化する必要があったのですが、その時は自分のスタジオは閉じていて、大がかりなデジタイズ環境がなかったので、「SD1 Merrillでデジタイズしよう」ということになりました。

大曽根:透過原稿をデジタルカメラで撮影してデジタル化すると?

西川:そうです。「そんな環境でデジタイズなんて絶対無理」って言う人もいたけど、経験上可能だと確信しました。僕はずっとスキャナーを使ってきて、メカニズムも実力も知り尽くしていましたから。SD1 Merrillのほうが、構造は非常にシンプルだけど、叩き出すデータの情報の量も質もスキャナーと比較できないほど優れていることはわかっていました。

大曽根:それで西川さんご自身で撮影を?

西川:ええ。写真集の主題自体も非常にデリケートでしたので、軽々に外部委託するわけにもいかず、すべて僕がSD1 Merrillで撮影してデジタイズしました。ここに発表当時の印刷と、デジタイズした印刷があるけど違いが一目瞭然でしょう。どちらも同じフィルム原稿ですよ。

世界で最初に「写真製版の常識」をひっくり返した仕事

大曽根:全く違いますね。デジタイズのほうはディテールまで写っている。

西川:ええ。実を言うと、古賀さんは当初、新しいプリントにものすごく抵抗したんですよ。「ここに写っているのは僕が見たものとは違う、色も違う」と。

大曽根:写真を撮影した本人が、自分の見た世界ではないと……。

西川:そうです。でも、「色を調整するのなんて簡単だけど、問題はそこじゃない。大切なのは、今我々の目の前にある、こういう本来写っているべき世界なんじゃないの?」と言って私は随分説得したんです。「それが、『アット・オウム』を今出版する意味でしょう」と。それで古賀さんも「わかった、じゃ、任せる」と納得してくれた。

大曽根:これが、西川さんがデジタイズを始めた出発点なんですね。

西川:フィルムをデジタルカメラで高精細にデジタイズしたことだけでなく、デジタイズにFOVEONセンサーを使用した点でも世界最初の実例です。いわば、世界で最初に写真製版の常識をひっくり返した仕事と言えますね。もともと確信があったけど、実際に実現して、デジタイズの可能性とカメラの底力の証明になった。

大曽根:確かに作家である写真家としては複雑ですよね。当時、自分が見て、撮った世界、再現したかった景色とは違うものが新たに出てくるわけですから。

西川:でも、当時は見えなかっただけで、写っているのは実際にそこに在ったものなんです。そこに意味があると思っているんですよ。

イメージを超える何かを求めて「装置」に感性を託すのが写真

西川:自分が絵を描くことから出発したから余計に思うことなんだけど、やっぱり、今の最新の装置で、最大に何ができるかということを追求していくから、写真っておもしろいんですよ。ペインティングは、描き終えた時点でそれ以上の変化はないし、自分のイメージもストップする。写真の場合、そのイメージを超える何かを求めて、装置に自分の感性なりを託すわけじゃない? その覚悟がない人は、写真をやっちゃだめなんですよ、はっきり言えば。そういう人は、考えが後ろ向きなんです。前向きに考えたら、誰だって新しい装置を使うはず。こうやって最新機材で撮っておかないと、そこにある色が見えてないんだから。写っているものを隠すことはできるけど、写ってないものを出すことはできないでしょう?

大曽根:そうですね、それはSIGMAのポリシーでもあります。レンズもそうですよね。甘いロマンチックな画だけを求めるのではなく、とにかく最新技術の投入もためらわずに解像力を上げよう、と。

西川:ウジェーヌ・アジェのパリの写真を見ていても思うんですが、アジェだってやっぱり、当時の最先端の装置で撮っています。だから、今でも作品が残っている。そのことを写真家はもっと考えないとだめだと、僕は思うんです。

大曽根:もしかしたら、写真が新しい局面に来ているということはないでしょうか。というのは、昔、絵画って、絵の具も技法もどんどん進化して、それに伴ってアートとしてもどんどん進化していった時代があったと思うんですよ。ところが、技術進化が止まり、画家たちも何か後ろ向きになってしまってアートとしても退化し始めた頃に、写真という文化が現れて、とって代わられてしまった。

西川:ああ、それは言えますね。

大曽根:写真は当時、スーパーハイテクで、お金がないとできないような超高度な技術を駆使した最新の技法だった。だからこそどんどん進化していったわけですが、はたしていま、最先端の人が常に写真にかかわっていると言えるのだろうか。そういう、シビアな自己批判は我々にも必要になっているんじゃないかと思うんです。

何よりも「アーカイブの基準」というものをつくりたい

西川:僕自身は、ご承知のとおりいろんな機材を使っていろんな仕事をやってきたので難しさを感じたことはないけれど、一般的な論調として、「現像ソフトや周辺環境は簡便で快適であるほどよい」「FOVEONはその点でまだ改良の余地がある」という声は多いでしょう?

大曽根:画質そのものの評価は高いけど、確かにハードルだと感じている方は少なくないです(苦笑)。プラグインの追加など、改善は重ねていますが、FOVEONは何しろデータ量が多いから、処理速度や処理効率というのがすごく大事になるんですよね。

西川:ただね。正直言うと、デジタルカメラユーザーの多くはそういう、高度にパッケージ化されたストレスフリーな環境に慣れすぎていると僕は思っている。SIGMAの場合は、そもそもの開発思想が違うわけで。たとえデータ処理時間が他社機材の5倍かかるとしても、それでこの画質が得られるなら、僕は待つことを選びますよ(笑)。だから、結局はアウトプットされたイメージをもっと世に出せばいいと思う。所蔵品のデジタルアーカイブ化を考えている美術館でも、「ここまでの成果物を見せられたら使わざるを得ない」と言う学芸員さんもいますからね。

大曽根:西川さん、いろんな美術館のデジタイズにも協力していますしね。

西川:僕は何より、「アーカイブの基準」というものをつくりたいんです。仕事として報酬が得られるかどうかは大事ではなくて、クオリティの低いデジタイズの、使い物にならないデータが山のように残るような仕事じゃアーカイブの意味がないと思うから。せっかく美術、芸術を文化資産として残そうとするのだから、その水準を満たすデジタイズの最適なシステムや環境を確立して残したい。

大曽根:本来あるべきデジタイズはこうだよと。

西川:そうです。東京国立近代美術館にも、デジタイズに必要な、全紙サイズまでなら全部内製できるシステムを一式調え、3m×5mぐらいの作品なら完全なライティングができるだけの機材も自費で揃えて預けてきました。あとは現像のオペレーションの効率とマンパワーの問題をクリアできれば、というところまできています。

写真というものはこうあるべきだという確固たる信念を

大曽根:私財を投じてでも理想とするシステムを残したい、という使命感によるものなんですね。そのあたりは、SIGMAの基本姿勢にも通じているかもしれません。写真というものの究極はこうあるべきだというちゃんとした確信があって、それを写せるベストなシステムの実現を追求したいという希求の精神といいますか。

西川:もちろんそうです。とにかく作品の正当な評価と保存のため、そして後に続く人のために揺るがせにしたくないんです。あるべきシステムがつくれれば、それを自分が実現したということが残れば、それでいい。そのシステムに最適な装置が、やっぱりFOVEONセンサーだし、今のところ他に選択肢はないですね。

大曽根:ドキュメンタリーにせよデジタイズにせよ、その時の最新の装置と最新の技術を使って、本来そこにあるものをちゃんと写すということにチャレンジしないかぎり、写真とは呼べないということですね。

西川:そうです。それにチャレンジしている写真しか残らないと思います。

大曽根:SIGMAも、開発者として理想とする装置を見出して追求していく。ユーザーである撮影者も、それを使って最大限、理想の写真にチャレンジをしていく。そうやって切磋琢磨していくことで、さらに理想的な作品が生まれていくわけですね。非常に興味深いお話をありがとうございました。

西川:僕も大曽根さんのお話を伺って理解が深まりました。これからの開発を楽しみにしています。

西川 茂

写真家、動画作家、デジタル写真製版技術者

1949年、富山県生まれ。65年頃より彫刻家岩城信嘉氏より油彩画を学ぶ。70年、写真家を志して上京、73年よりグループ展に参加。79年写真自主ギャラリー「PUT」で個展を開催。以後は写真家として活動。81年、都立亀戸高等技能訓練校広告美術科卒。82年、㈱日本電子製版に入社。土門拳作品の変色・褪色フイルム復元作業、写真集・商業印刷の製版等カラー写真のスキャナー分解に従事。84年、文京区音羽で分解スタジオを開業、2011年まで営業。2007年『拡大の美 日本が愛したやきもの』を講談社より発行。2015年より美術館所蔵作品のデジタルアーカイブの基礎データ作製に携わる。

Yasuhiro Ohsone

株式会社シグマ 商品企画部長

1987年入社。光学、メカともに開発の現場を歴任し、他社との協業も数多く担当。2013年より現職。

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