2018.08.24

KG+2018 × SIGMA REPORT

セミナー&トークイベント Foveon Special Talk
「写真家にとっての写真集と撮影技術」

第2部
「写真を語る。カメラを語る。」前編

対談:鈴木一誌×伊丹豪
text: SEIN編集部 photo:Hanae Miura

 SIGMAが「KG+2018」出展プログラムのハイライトとして開催した「写真家にとっての写真集と撮影技術」をテーマとする3部構成のリレートーク。今回ご紹介するのはその第2部、ブックデザイナー鈴木一誌さんが聞き手となって、鈴木さんとのつながりを通してSIGMAの存在を知り、今では sd Quattro Hを自身の創作活動に欠かせない機材として愛用いただいている写真家伊丹豪さんのトーク、「写真を語る。カメラを語る。」です。

1 フラットとノイズ

鈴木:伊丹さんのこの「KG+2018」での作品展「photocopy」は、vol.2なんですね。

伊丹:今春の東京・神田に次ぐvol.2で、初めてお見せする作品がずいぶん入っています。

鈴木:一見すると、「photocopy」の一連のかなりの作品は、平面、印刷物の複写のように見えますね。

伊丹:文字どおり「photocopy」です。

鈴木:「photo」と「copy」の間をどう結ぶか。「photo」を「copy」する、「photo」としての「copy」、「photo」は「copy」である……、いろいろと考えられます。ある人によれば「伊丹さんの一連の作品は、徹底的に物語性を排している」。あるいは、1970年代前後の『プロヴォーク』の同人である森山大道さんや中平卓馬さんらが議論した、「あらゆる写真は世界の複写だ」、ゆえに「撮影された写真も複写された写真も等価だ」との文脈にも通じます。伊丹さんはその等価性を、現在の最先端で徹底的に追求している。

伊丹:現在性は常に意識しています。

鈴木:森山さんの「アクシデント」シリーズのなかに、交通安全ポスターを複写した「事故」(1969)と題した連作がありました。で、元のポスターより、複写した森山さんの写真のほうが、禍々しさが出て迫力があった。複写であっても、それは元のままではない。解釈せずとも、必然的に誇張や省略が入ってきます。

伊丹:現代は、格段にすべての情報量が増えているし、カメラという媒体自体のスペックも劇的に上がっていて、写り方が当時とは決定的に違うわけで、同じ方法論をもって撮ったとしても、まったく違うものになるはずだとの意識はあります。現在を捉えるには、最先端の撮影技術が必要だとも思っています。

鈴木:最先端の撮影技術でしか捕捉できない現在とは何か、ですね。そのうえで伊丹さんは、日本の都市にこだわっている。

伊丹:外国でも撮ろうとするんですが、単純に「撮れない」。例えばパリなんかだと、街が綺麗に整っていて「ノイズ」がない。撮りたいという欲求がなかなか発動しないんです。でも東京は猥雑で、ノイズしかないような街なので、目を動かすだけでレイヤーが何層もできていく感覚になります。自分の撮影欲求の発露は日本でこそ、という感じです。

鈴木:日本の都市は、建築様式も都市計画も、さまざまな方式が溶け合うのではなく、そのまま混在しており、それゆえハイブリッドです。新しいものばかりではなく古いものも重なっている。

伊丹:複雑さ、猥雑さに写真家としてのエンジンがかかる。

鈴木:伊丹さんの写真は一見フラットで、ノイズがないように見えますが……。

伊丹:逆ですね。

鈴木:すごくフラットに見えるが、よく見ると、小さな水溜まりの波立ち、桜の花びらが微妙にブレたり、布の揺らめきとかが写されている。すごく平面的で、時間的には瞬間を、空間としては薄片を切り取ったかのようなんだけれども、実は時間や移動が写っています。これが伊丹写真の特徴です。

伊丹:微細なノイズを見せるためにフラットな場を設定している。

鈴木:その微細な変化や移動を正確に写せるのがSIGMAのカメラだった。 

伊丹:最初、SIGMA DP2x(2011年5月発売)を買ったものの、使いこなせなかったんです。現像ソフトの重さ、オートフォーカスの遅さ、色の扱い方の難しさに挫折して、別のカメラを使っていたんですが、あるとき鈴木さんからSIGMAの画質に関する印刷資料を見せていただいて、それでもまだ半信半疑でしたが、SIGMA dp3 Quattroを買い、撮って現像して驚いたんです。自分が写真に求めていたものがモニターに写っていた。

鈴木:僕の仕事場からの帰りに、速攻でヨドバシに買いに行かれたんですね。

伊丹:『this year’s model』で第27回「写真の会賞」(2015年)を貰ったすぐ後でした。使うたびに「SIGMAだから撮れている」って確信するようになった。僕は、機材提供を受けて宣伝するということはしないので……、こういう場で言うと広告みたいで嫌なんですけど(笑)。でも、他のカメラとは全然違う写り方をするので、そこはすごく重要なんです。

鈴木:「他のカメラとは違う写り方」がどういうものかは、おいおいうかがいましょう。なぜdp3 Quattroを?

伊丹:僕はふだん、標準(50㎜)よりも少し長い60~75㎜くらいのマクロレンズを使うので、実効焦点距離75㎜の Quattroはちょうどよかった。

鈴木:そういう伊丹さんも、頼まれ仕事では違うカメラも使いますね。

伊丹:他ではSONYです。SIGMAの画質は圧倒的で、作品づくりには不可欠ですが、どうしても現像に時間がかかる。仕事の場合は過酷な条件下での撮影も多いですし、大量の画像を扱う効率性も必要なので、用途によって使い分けています。

2 カメラと身体性

鈴木:周囲に展示されている「photocopy」ですが、ほとんどが縦位置の作品ですね。そして焦点距離は60㎜くらい?

伊丹:すべてが縦位置です。sd Quattro Hに50㎜ F1.4 DG HSM | Art をつけているので、換算で65㎜、標準よりちょっと長めです。

鈴木:縦位置のカラー写真と聞いて思い出すのが、晩年の中平卓馬さんの作品です。105㎜くらいのレンズをキヤノンF1に付けていたんでしたか。

伊丹:105㎜の画角って、撮りたいものしか写らないので、僕には少し長すぎる。中平さんは、長めの焦点距離を使うことで、撮りたいものに対してタイトなづくりになるという選択をした。今の僕が撮りたいのは、もう少し引いた距離です。70㎜くらいの画角で撮ると、「ノイズ」が入ってくる。それくらいが一番いいなと感じています。

鈴木:フラットさとノイズの案配ですね。

伊丹:当然のこととして僕は、中平卓馬さん、森山大道さん、荒木経惟さんたち、著名な日本の写真家からすごく影響を受けています。世代的には佐内正史さんに強く影響された。僕が縦位置で撮ろうと思ったのには理由があります。もとは、横位置のフィルムカメラ(Pentax 67)で撮影していたんです。で、横位置で写真を撮ろうとすると、何をやっても佐内さんっぽくなってしまう。そこからどうにか脱却したい。その方向を模索している時、35㎜の2対3という細長いプロポーションを縦位置にしてみた。ものすごく絵づくりしづらいし、撮りにくかった。で、この難しさをあえて引き受けてみようと思った。

鈴木:森山大道さんから、「写真は縦位置が基本だよ」と聞いたことがあります。表現を目指す撮影行為においては人為的な縦位置が基本だ、というのが森山さんの真意かもしれません。

伊丹:その頃ちょうど、中平さんが『hysteric no.6 NAKAHIRA Takuma』(2002年)でカムバックしたり、ヴォルフガング・ティルマンスが日本で一気に紹介されはじめた時期で、35㎜の縦位置のを見る機会が増えたというのもあった。まずは自分のスタイル、入り口をつくってからその奥にあるものを探るべきではと考えて、「35㎜縦位置」で無理やり始めてみたんです。横位置だと、何か客観的で偉そうに物を見ているようになりがちですが、縦位置だと急に両サイドが物足りなくなる。そういう「点の集合体」みたいなものが写真なのでは、という予感があった。

鈴木:森山さんの話で意外だったのは「僕はワイド嫌いだよ」と。

伊丹:嘘じゃないですか(笑)。ほんとかな。

鈴木:たしかに、最近の森山さんの写真はワイドじゃなく、中望遠気味になっていますね。

伊丹:「どうやってを決めているんですか」と森山さんに聞いたら、「気分だね」と言っていたけど(笑)。

鈴木:伊丹さんが街なかのスナップをどう撮っているのか。三脚はどうですか?

伊丹:使わないですね。基本的には、カメラを身体の延長のように扱えないと嫌なので、手持ちです。森山さんたちに憧れてこの道に入ったので、「カメラを持ち歩き、撮ることで何かを為す人」への思いは強い。だから、手持ちのスナップが基本です。

鈴木:SIGMAのカメラで撮った映像は高品質で、色の自然さ、階調のなめらかさなど、長所も多いけれど、撮影後の処理速度、感度など苦手な点もありますが。

伊丹:それも個性のうちだと考えて、身体を通じてSIGMAのカメラと付き合いながら、目に付いて「あっ」と思ったら構えて押す。それだけで特別なことは何もない。本当にごく普通のことしかしていません。ただひたすら目の前にあるものを、できるかぎり見たまま写す。正確に精細に「複写(コピー)」することが、僕の考える写真なので。

鈴木:なまじの解釈を加えようとすると、時代は逃げていってしまいます。

伊丹:正確、精細、コピーを最も忠実にできるという観点で、機材選びをしています。逆説的ですが、目の前の現実を肉眼で知覚したとします。それに対して、目の前の現実を写真で余すところなく全部写したとする。目の前の現実を肉眼で見た人は、その写真からまったく違う印象を受ける。正確に精細に写された写真は、別の現実感を引き起こせるんじゃないか。それが写真だろうと考えています。

鈴木:意図以上に正確に写ってしまったものを、人はノイズとして見る可能性がある。

伊丹:最も正確に、忠実に現実世界を複写できる、ものすごくよく写る機材を選ぶことが、自分の写真にとっては最優先事項なんです。

鈴木:写真は、銀塩でもデジタルでもレンズを通して世界を写しとっている。その視角は、機械的な目によって生み出されています。機械の目は、撮影者が撮るつもりではなかったものも写してしまうはずです。

伊丹:写そうと思ったもの以外が精密に写っているカメラが、自分にとっていいカメラだとなります。

鈴木:構図もピントも意図通りに撮れていて、さらにそれを超えて撮れてしまえるものがいい。普段は見えていない、見ようとしていないものに、人は向き合わないといけなくなります。

伊丹:撮影の現場で、自分が見ているものに対して、その瞬間「これを撮りたい」と反応する。もうスポーツみたいなもので、あれこれ考えずに身体の反応に任せる。まずは身体が反応したものに対して、いかに素直にシャッターを押せるか。次に、撮ったものをモニターで見ると、自分自身がびっくりするわけですね。「こんなふうに写っていたんだ!」「こんなものまで写っていたんだ!」って。その時にあらためて、画面上でトリミングしたり、傾きやノイズを補正して。「現像作業は第二の現場だ」という森山さんの言葉のとおりで、僕もいつもそう思って現像しています。

3 「撮れる日」と「撮れない日」

鈴木:現像時は、ピクセル等倍で画を確認するとおっしゃってましたね。

伊丹:最近では、大きいプリントに対応させるために、200%まで拡大して見ています。等倍だと細部を詰めきれない。

鈴木:例えばこれなんかはどうやって撮影したんですか? どうしてこんな写真が撮れるのか不思議でしようがないんだけれども。

伊丹:うーん。本当にカメラを持って歩いているだけなんですよね。東京駅近くに大きなガラスの建物があって、西日が差しており、そのガラスがプリズムとなって、あたり一帯が虹色になっていた。どうやって撮ろうかなと考えていたら、友達が電話で「今からそこに行くよ」と。で、彼が現場に来た瞬間に「ちょっとそのまま止まっていて」と撮ったら、こういうになった。

鈴木:森山さんは「撮影時は気持ちがヒートアップしている」とおっしゃいますけど、伊丹さんはどうですか。

伊丹: 僕は平熱に近い。イヤホンで音楽を聞きながら歩いて撮っていると、「見える日」と「見えない日」がある。見るものすべてが写真になりそうな日もあれば、全然そうならない日もあります。見えるかどうかという意味では、気分が乗る・乗らないはあるかもしれない。

鈴木:「見える」って何ですか。

伊丹:どう説明すればいいのか。本当に格好つけてるわけでもなんでもないんです。カメラを持ち歩いて、その日の初めに「あっ」と思ってシャッターを押した途端、スイッチが入る時があって、そういう日は何を見ても写真になる。

鈴木:不思議だな。僕と伊丹さん、同じSIGMAのカメラを持っていますが、同じような強度と密度をもった写真は絶対に撮れないと確信しています(笑)。不思議な光のありようです。

伊丹:自然光でしか撮ってないからですかね。よく「これってスタジオですか? どういうライティングですか? 後でいろいろ加工しているんですか?」なんて聞かれるんですが、ほぼ自然光で、後処理もほとんどしない。もちろんSIGMAのRAW現像ソフトで、ノイズの感触やシャープネスの感触は、微調整レベルでいろいろ試しますが、合成みたいなことは一切しない。だから、自然光の綺麗な強い光で撮れば、写真はこういうふうに写るはずなんです。そこに体が反応するかどうかの差だと思います。

鈴木:僕と伊丹さんとでは、別の太陽光が注いでいるんじゃないかな。では、伊丹さんが普段どんなふうに現像しているか、皆さんに見せてもらえますか?

伊丹:先ほどお話ししたように、ちょっとソフトは遅いんですけれども(笑)。僕のPCで実際の現像をお見せしますね。SIGMA Photo Proを立ち上げます。

伊丹:気にしているのはノイズ除去のかかり具合と、シャープネスのかけ具合です。基本的にはいつも同じパラメータで現像していますが、厳密に現像するときは、1枚1枚かなり追い込みます。

鈴木:モニタでピクセル200%まで拡大して見ると、センサーの性能とともに、レンズの出来も一目瞭然ですね。

伊丹:sd Quattro Hに50㎜ F1.4 DG HSM | Artをつけて使っているんですが、最近は135㎜ F1.8 DG HSM | Artも使っています。これがものすごい性能なんです。高性能な機材を見つけるとどうしても使いたくなってしまい、最近は無理やりこの組み合わせで撮ったりします。換算で200㎜近くまで長くなるので、撮れるものが限られてしまう。本当に機材に合わせて自分を変えてしまったりもします。

鈴木:機材は新しいものほど性能はよくなってきますしね。

伊丹:デジタルカメラがこれだけ普及して、その高画素化に耐え得るものをメーカーがつくらざるを得なくなっていますが、この状況に一番うまく対応しているのがSIGMAじゃないかと思います。

鈴木:「写真集をつくるならSIGMAのカメラがいい」という声を聞かれますが、さらなる可能性は美術館のデジタルアーカイブですね。SIGMAで得た情報量なら、将来のどんな要望にも応えられる。

伊丹:最近では大型のスキャナーが開発されているようです。京都では、骨組みを組み立てて、巨大なスキャナーをガーッと動かして、非接触型で国宝とかをスキャンするものもあるらしい。ですが、SIGMAのカメラはセンサーのメカニズムが画質差を生むわけで、原理的な違いは大きいなと思います。

鈴木:大きなスキャナーも、センサーの原理はベイヤー配列ですからね。

伊丹:今年3月に東京の神田で初めて「photocopy」展をやったんですが、そこに知り合いの美術家が来てくださった。プリントを見て「これは何で撮っているの?」と聞かれる。やっぱり、違いがすぐにわかるんですね。SIGMAで撮っていると伝えると、「えっ!? 僕は他社の上位機種を使っているけど、こうは写らない」と。で、次に再訪してくださった時にはSIGMAのカメラを下げていて、「伊丹君の展示を見て、SIGMAに変えた」とおっしゃっていたそうです……。

鈴木:伝道師じゃないですか(笑)。

伊丹:貢献しました(笑)。

鈴木 一誌

ブックデザイナー

1950年東京都生まれ。デザイン批評誌『d/SIGN』を戸田ツトムとともに責任編集(2001~2011年)。神戸芸術工科大学客員教授。著書に『画面の誕生』(2002年)『ページと力』(2002年)『重力のデザイン』(2007年)『デザインの種』(戸田ツトムと共著、2015年)『絶対平面都市』(森山大道と共著、2016年)『ブックデザイナー鈴木一誌の生活と意見』(2017)など。

伊丹 豪

写真家

写真家。1976年、徳島県生まれ。2004年、第27回キヤノン写真新世紀佳作受賞。2015年、『this year’s model』で第27回「写真の会賞」(2015年)を受賞。写真集『study』『study / copy / print』『this year’s model』(RONDADE)をリリース。最新刊『photocopy』はほぼすべてSIGMA sd Quattro HとSIGMA dp3 Quattroで撮影された。

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