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第九話|超望遠レンズについて語る
~中編・特殊低分散ガラスとオートフォーカスの時代~

第八話では「超望遠レンズについて語る~前編・色収差と反射式レンズの時代~」として、SIGMAの超望遠レンズ開発の黎明期について語った。SIGMAの超望遠レンズ開発の歩みは、色収差との戦いとともにあったのである。そんなある日、硝材メーカーからSIGMAのもとに特殊低分散ガラスの試作品が届く。

特殊低分散ガラス時代の幕開け

それは1983年のことだった。硝材メーカーが特殊低分散ガラスの量産に成功し、交換レンズに自由に使えるようになったのである。高価な材料ではあったが光学性能、特に超望遠レンズの性能を上げるには必要不可欠なガラスであった。

SIGMAはこのガラスの試作段階から開発に参画した。特に研磨技術の確立に注力したのだが、特殊低分散ガラスの研磨のしにくさ、扱いにくさには大いに苦しめられた。この時の苦労についてはSEINのGROUNDBRAKING Vol.6「特殊低分散ガラスの量産化技術確立」をぜひ読んで欲しい。

APO ZOOM 50-200mm F3.5-4.5

こうした苦労が続く中、1984年に特殊低分散ガラス採用第一号のレンズ、SIGMA APO ZOOM 50-200mm F3.5-4.5が発売された。SIGMAはこの特殊低分散ガラスを「SLD(Super Low Dispersion)」と名付け、このガラスによって色収差が大幅に改善された、つまりアポクロマート化されたこのレンズに「APO」の文字を冠した。外観はそれを誇るかのように白く塗装されていたのだが、この外観色に関しては興味深い歴史があるので、後程詳しく述べさせていただきたい。

さて、SLDガラスは超望遠レンズで高い効果を発揮するのだが、それにもかかわらず200mmという中望遠クラスに採用したのには理由がある。硝材メーカーが作れる特殊低分散ガラスの材料の直径と出荷数量に制限があったためだ。また、そもそも大口径の特殊低分散ガラスの研磨ノウハウは確立されていなかった。
SIGMAが大口径SLDガラスの研磨技術の確立に成功したのは1986年、APO ZOOM 50-200mm F3.5-4.5発売の2年後である。これにより、超望遠レンズにもSLDガラスを採用できるようになった。しかし、特殊低分散ガラスはまだ高価で加工の難易度も高く、安価な超望遠レンズに採用することはできなかった。そこでSIGMAが発売したのが、SIGMA APO ZOOMτ 100-500mm F5.6-8、SIGMA APO ZOOMω 350-1200mm F11だ。どちらも非常に高価で高性能なレンズである。特に350-1200mmF11は超望遠域で最もズーム比が大きいレンズとして歴史に名を残した。この記録は今も破られていない。この2本はSIGMAの技術力を誇示する APOシリーズのイメージリーダー的存在であった。

SIGMA APO ZOOMτ 100-500mm F5.6-8
SIGMA APO ZOOMω 350-1200mm F11

オートフォーカスの衝撃

SLDガラスを使った超望遠ズーム2本が発売された1986年、その1年前の1985年にはあの「αショック」があった。MINOLTAのα-7000に続きNikon、Canonも次々とカメラとレンズをAF化していく。「大曽根、語る。」の第五章でも書いたがSIGMAもこのAF化に極めて積極的であった。つまりSIGMAはこの時「特殊低分散レンズの生産性向上」と「交換レンズのAF化」という2つの重要な命題に、ほぼ同時に取り組んでいたのである。そしてどちらも、今回の主役である「超望遠レンズ」にとっては難しい命題であった。

前述の通り、1985年頃にはまだ超望遠レンズに使えるような大口径の特殊低分散ガラスを安価に量産することができず、それが超望遠レンズの大きな課題として立ちはだかっていた。
また、超望遠レンズのAF化についても課題が多かった。MINOLTAが開発した「カメラ内のDCモーターの出力をカプラーとギヤを介してレンズ鏡筒内に伝達させてフォーカス用レンズを動かす」というAF方式は、超望遠レンズの重くて移動量の大きいフォーカス用レンズを高速で動かすには力不足だったのである。F値を暗くすればフォーカス用レンズを軽くすることが可能だが、F値を8くらいまで暗くするとAFセンサーに上手く光が入らなくなりAFの精度・品位が下がってしまう。SIGMAではAF速度を十分確保できる超望遠レンズはズームなら300mm、単焦点では400mmくらいが限界と考えた。
AFの超望遠レンズについては当時他社も似たり寄ったりの状況だったようで、どこからも300mmを超える安価なAF超望遠レンズが出てこない。Canonはリング型超音波モーターを開発して一気に超望遠レンズのAF性能を上げることに成功するのだが、特殊低分散ガラスと超音波モーターを併用したレンズが安くなるはずがなかった。

1つの判断

この時、SIGMAは驚くべき判断をする。それは「特殊低分散ガラスを使わないでAF対応の400mm F5.6を作る」というものであった。もちろん技術的には可能だ。前述の通り400mmのF5.6程度ならAF時に駆動させるレンズもさほど大きく重くならない。しかし色収差は十分には補正できないのだ。超望遠レンズの黎明期から色収差の補正にこだわってきたSIGMAが本来作るべきレンズではない。しかし市場には安価な超望遠レンズが無く、当然カメラ店や愛好家からの要望も強い。そこで故山木道広会長は躊躇なく、特殊低分散ガラス無しでしかも今風の比較的コンパクトな400mm F5.6の開発を指示した。色収差へのこだわりよりもAF化への熱意が上回った瞬間でもあった。
そして1986年末にそのレンズはAF-TELE 400mm F5.6という名称で発売された。定価¥53,500という魅力的な価格とコンパクトかつナトーグリーンの外観で発売されたこのレンズは、超望遠レンズという特殊なジャンルにもかかわらず大いに売れた。
この時私は故山木道広会長がコーリン・チャップマン(ロータス・カーズの創始者)に見えたものである。故山木道広会長はアイデア豊富な技術者であると同時に強靭な経営者でもあったのだ。

AF-TELE 400mm F5.6

カラーバリエーション

ここで、今でも中古市場を混乱させているSIGMAの望遠レンズの外観色、特に「カラーバリエーション」について触れておきたい。前述の通りSIGMAでは1984年のAPO ZOOM 50-200mm F3.5-4.5以降、APOレンズや超望遠レンズの外観色に白(正式にはパールホワイト)を採用していくのだが、1986年からはこれがナトーグリーンに代わり、そして1987年からはSLDガラスを採用したレンズや超望遠レンズ限定で3色のカラーバリエーションを展開し、ユーザーが購入時に選べるようにした。
1、 パールホワイト
2、 ナトーグリーン
3、 ガンメタリック
これも故山木道広会長のアイデアである。3色のカラーバリエーションはユーザーにとっては魅力のひとつとなっただろう。しかし考えて欲しい。当時SIGMAのAPOレンズはAFで3マウント(Nikon F、Canon EF、MINOLTA A)、MFで5マウント(Nikon F、Canon FD、MINOLTA MD、PENTAX K、OLYMPUS OM)の中から選べたのだ。そこに3色のカラーバリエーションである。レンズ1機種で8マウント×3色=24アイテムである。これが単焦点・ズーム含め常時5~6機種あったのである。製造現場の混乱は尋常ではなかった。「ナトーグリーンを頼んだのにパールホワイトが届いた」といった笑えないトラブルが頻発することになってしまった。
ちなみに、なぜこの3色が選ばれたのかは今も謎に包まれている。その思惑を故山木会長に聞きそびれてしまったことを残念に思う。

左からSIGMA APO ZOOMτ 100-500mm F5.6-8|パールホワイト、SIGMA APO ZOOMτ 100-500mm F5.6-8|ナトーグリーン、SIGMA APO ZOOMτ 100-500mm F5.6-8|ガンメタリック

超音波モーターの時代

1987年以降、SIGMAはSLDガラスを使った超望遠レンズを次々と発売していく。1987年にAF APO 500mm F4.5、1988年にAF APO 300mm F2.8を発売、そして1989年には400mm F5.6のAPO化に成功した。この時期には、やっと口径の大きいSLDガラスを潤沢に生産できるようにもなっていた。その後もAPO 500mm F7.2や、APO 800mm F5.6、APO 1000mm F8と、次々とAPOを冠したAFレンズのラインナップを増やしていった。

左からAF APO 500mm F4.5、AF APO 300mm F2.8、APO 400mm F5.6
左からAPO 500mm F7.2 ZEN、APO 800mm F5.6 ZEN、APO 1000mm F8 ZEN

しかし、その裏でオートフォーカスの速度・品位では苦戦が続いていた。前述の通り、当時のAFシステムは400mmのF5.6より焦点距離が長い、あるいはF値の明るいレンズでは力不足だったのである。当時これを解決できたのはCanonのリング型超音波モーターのみであった。
そして1997年、SIGMAもこのリング型超音波モーターの開発に漕ぎつける。このリング型超音波モーターによってSIGMAのAF超望遠レンズは第2世代に突入するのだが、これについては次回(後編)で詳しく語ろうと思う。

Yasuhiro Ohsone

株式会社シグマ 商品企画部長

1987年入社。光学、メカともに開発の現場を歴任し、他社との協業も数多く担当。2013年より現職。

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