+ SIGMA

地球でも火星でも、
暮らしの根っこは同じ。
そのための
「忘れものをなくす」ことが
極地建築家としての
僕の役割だと思います

SIGMAのカメラを手に、南極地域観測隊や模擬火星実験などに参加し、
極地での生活を自ら経験することで、極地だからこそ起こりうる問題とは何か、
人が暮らすうえで不可欠なものとは何かを探求し続けている「極地建築家」村上祐資さん。
独特の視座で「暮らしの根っこ」を考える村上さんの言葉は、
新しい生活様式を求められる今日だからこそ耳を傾けたい、示唆に満ちたお話でした。

Photo: Yusuke Murakami

2020.07.15

「暮らしの根っこ」を探る

── 「極地建築家」という村上さんの肩書きがとても興味深いのですが、小さい頃から建築家になりたかったのですか?

村上 いえいえ、全く(笑)。小さい頃は、考古学者になりたかったんですよ。人間の原点や古い時代の道具や暮らし方にとても興味があって、子どもながらに黒曜石でヤジリとか作ったりしていました(笑)。長じて大学で何を学ぼうかという時に、手先が器用で道具が好き、暮らしが好きとなると、「じゃあ、建築かな」と。そこから、「建築の根っこって何だろう」「暮らしの根っこって何だろう」と考え始め、行き着いたのが、極地で暮らすための建築だったという感じです。

── それで大学で建築を専攻されたんですね。

村上 でも、自分がやりたいのは意匠とか商業ビルの設計とかではないので、ずっとモヤモヤしていたんです。そんな時、たまたま雑誌で「バイオスフィア2」という、アリゾナ州で行われた居住実験の記事を読んで、自分のやりたいことがここにある!と思ったんです。

── 居住実験ですか?

村上 簡単に言うと、地球上の要素をすべて揃えた小さな地球のような完全閉鎖環境施設を作り、そこで長期の自給自足生活をするという実験です。そこには、別の惑星に人類が住む時に、どういったものが必要なのかを考えるというテーマも掲げられていて、「これだ!」と。そこから、宇宙での暮らしにおける人間の感情とか、心の揺れ動きとか、スペックや定量的な数字じゃ解決できない部分を考えることが僕のターゲットとなり、それを知るために、第50次南極地域観測隊や模擬火星実験に参加して、極地での長期生活を経験してきました。

SIGMA SD14

── では、極地建築とは、宇宙で生活するための家をつくるということですか?

村上 というより、単純にいえば、「忘れものをなくすこと」だと思っています。

── 忘れものをなくす?

村上 はい。未知の場所で暮らすとなると、いろんなものを準備していきますよね。家の設計というのもその準備の一つではありますが、既にその場所にいろんな人が住んでいれば、大体どんな準備が必要か分かるけれど、誰もその場所を知らないという状態だと、「あれがいるんじゃないか」「これも必要だろう」と想像するしかないと思うんです。

── 「無人島に行くとしたら何を持っていく?」という感じですね。

村上 そうそう、あれと一緒です。そういう時に誰でもまず、何が不安か、どんな恐怖があるかといった観点から考え、それに対する備えを選ぶと思うのですが、実際に暮らしてみると、そういうものって意外と出番が少なかったりするんですよ。むしろ、あまりにも当たり前すぎて「こんなのいるんだ!?」というものが、重要な位置を占めていることが多い。つまり、人間が抱いている恐怖や死生観といった主観が、ものすごく準備に影響を及ぼすんです。

── なるほど。

村上 たとえば火星だと、行って帰って4年くらいのプランになるといわれていますから、いざ向こうに行って「あ、これ忘れた」となっても、お隣で醤油借りてこようというようにはできない(笑)。極地では、醤油がないだけでチームがボロボロになる可能性もあります。だから、醤油のような小さな道具から家という一番大きな道具まで、何が必要かをしっかり探り、僻地での忘れものをなくすというのが僕の役割だと考えています。

SIGMA dp3 Quattro

スペースシャトルの事故から感じた死生観

── 小学生の頃に暮らしたアメリカでの体験も、影響が大きかったそうですね。

村上 はい。ちょうどアメリカに行ってすぐの頃、小学1年生の時にスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故があったんですよ。小学生でも見られる時間帯だったため、学校の中でも追悼としてお花やロウソクを飾っていました。でもそれは、日本から来たばかりの僕から見ると、それがまるで誕生日のお祝いのように見えてしまったんです。亡くなったクルーを「偲ぶ」というより、「讃える」という感じに思えてしまい、とても違和感が残りました。

── 良くも悪くも、英雄視されたんですね。

村上 そうですね。後から振り返ると、あの時経験した違和感が自分に与えたものは大きかったなと思います。極地という暮らしにはやっぱり死と隣り合わせという部分がありますし、スペースシャトルの事故を通じて7歳の子どもなりに感じた死生観や主観の違いというのは、今の僕の考え方にいろいろと影響していますね。

── 宇宙飛行士を英雄視することと、極地での暮らしが関係するのですか?

村上 実際のところ極地での長期滞在は、映画にあるような毎日がサバイバルといった波乱万丈な生活ではないんですよ。もちろん、そういうことと隣り合わせの環境ではあるのですが、波乱を起こさないことが大事であり、何も起きなければ、今回新型コロナウイルスの影響で皆さんが体験した外出自粛生活のような日常が続くわけです。そうすると、意志が強くて「俺が何でも解決してやるぞ!」というヒーロータイプの人たちは、逆に力が余ってしまったり、心が折れてしまったりするんですね。

── 非常時を前提としてしまうと、何もない日常に対応できない。

村上 宇宙は最先端技術の世界だと思われているけれど、その技術の前にある人間の主観というものを冷静に見極めないと、どういう状況が前提で何が必要かという最初の一歩で間違えてしまいます。そうすると、いろんな忘れものが生まれて、最新の技術も持ち腐れになってしまうことがある。僕はこの15年で1000日くらいさまざまな極地に住んできましたが、日々を重ねれば重ねるほど、技術の不足ではなくて、主観が一番の落とし穴になるなと感じています。

SIGMA dp1 Quattro

死んで讃えられるのは嫌なんです

── 宇宙での暮らしということでいうと、村上さんは2017年から模擬火星実験「Mars160」に参加されましたね。

村上 そうです。これからの時代、人類が火星に移住して、集団で数年にわたって暮らす日が来るかもしれない。その時にどんなことが起こるのかを、地球上でシミュレーションし、実験してみようというプロジェクトです。

── そのクルーに選ばれたのは、集団での極地生活という経験の蓄積が認められたということでしょうか。

村上 そうですね、経験は大きかったと思います。火星移住の最初の人類を選ぶような話になると一般的に、クルーはどんな事態が起こっても立ち向かうヒーローで、取っ替えのきかない存在だという、「個」のドラマを求めがちなんです。でも、「あれができます」「これができます」とそれぞれが人より秀でたところを役立たせようとしても、共同生活となると、それだけでは抜け落ちてしまうところがたくさんあるんですよ。

── スポーツでいうなら、才能の突出したスター選手だけ集めてもチームがうまく機能しないようなものですね。

村上 僕が経験を踏まえて理想としているのは、僕自身、取っ替えがきく存在であること。抜け落ちた部分をうまく拾い集め、何かことが起こる前に予兆を察知して原因を消していく。結果、ドラマチックなことは何も起こらず、「意外と楽だったね」と終わることが理想だと考えているんです。

── 何かあった時にヒーローのような活躍をするよりも、何も起こさないことのほうが大事だと。

村上 そうです。別に僕がすごく安定した人間というわけではそもそもないんですが、過去のいい例も悪い例も見てきているので、そこが活きたのだと思います。たくさん間違ったり失敗したりして痛い目を見てきたことも、経験としては大きかったですね。

── 実は生死に関わるような危機もあったとお聞きしました。

村上 ヒマラヤのシシャパンマという山で重度の高山病を発症し、さらに下山中にトラブルも起きて、客観的に見て死に近い状態でした。でもそういう状況になって気づいたのが、僕にとってのその時の最悪は死ぬことではなく、僕の死がいろんな人が右往左往するような影響を及ぼすことでした。何より、スペースシャトルのあの事故のように、死んだ後で英雄のように讃えられるのは嫌だと思いましたね。

── ドラマにしてほしくない?

村上 そうなんです。だから、こういう話もむしろ恥で、隠しておきたいくらいカッコ悪い出来事ですが(笑)、カッコ悪いながらも学んだことはたくさんあります。僕は天性の素質のようなものが一切ないけれど、積み重ねた経験だけでなんとかやっていますし、素質に依らない経験だからこそ、多くの人にも役に立つんじゃないかと思っています。

SIGMA SD14

どんな時代でも変わらない部分こそが「建築」

── Mars160を終えてからは、退役した元南極観測船「SHIRASE」を活用し、日本で初めての民間による閉鎖居住実験「SHIRASE EXP.」を実施されたそうですね。

村上 僕が経験した模擬火星実験のようなものは、現状では海外でないとできませんし、クルーとして火星の活動を支える人たちのノウハウなどが日本では育ちません。そうした実験を日本の環境のなかでどこまで行えるか、どこまで土壌を作れるかという試みです。

── 日本ではまだまだ宇宙に対する取り組みが遅れているということでしょうか?

村上 宇宙っていうと、皆さんNASAに追いつくことだと思っているようですけど、僕からすれば、部分的には日本の方がだいぶ進んでいると思っているんですよ。ハードの部分は確かに遅れているかもしれませんが、人間の暮らしというソフトの部分に関しては、日本の方がむしろいろんなことを知っているのではないか、そしてそれは宇宙には関係ない業種に眠っているんじゃないかという考えを、確信として持っているんです。だから、「宇宙に挑む=NASAに追いつく」という概念をとっぱらってあげれば、日本の人たちの強みがもっと活きる発想が出てくるのではないでしょうか。

── 考え方を変えれば、できることはいろいろある。その一つが「極地建築」ということでしょうか。

村上 そうですね。宇宙で家を建てるとしても、いきなり大工さんを送りこめませんよね。飛行士が宇宙服を着て、地球ではやったことのない制約のなかで家を建てなきゃいけないんです。それを前提にすると、全く設計思想が変わってくる。だから、まずは、どう作るかという点を問題提起しないといけないんです。

── とはいっても、毎回極地に行って実験することはできませんよね。

村上 そこで、子どもたちに参加してもらい、ワークショップを開いているんです。「ここにある材料と道具でドームを作ってください」と完成図だけを伝えて、あとは限られた時間や人数のなかで自分の体より大きなドームをどうやって作るか、チームで考えて試してもらう。子どもたちにも良い経験になるとは思いますが、どちらかというと僕のほうが実験に付き合ってもらって、問題や解決策を探らせてもらっている感じです。

── どこであろうと、人が暮らすために必要な要素や起こりうる問題は同じなんですね。

村上 場所はあまり関係なくて、結局人間だと思います。たとえば考古学の観点から見ると、縄文時代の人たちも現代の人たちも、もしかしたら宇宙へ行く未来の人たちも、人間の形や脳の大きさといった部分が変わらないかぎり、暮らしとしても変わらない部分があるはずなんですよね。僕はそれが何かを知りたい。その何かを、僕はそれを本当の意味での「暮らし」として、「建築」として考えています。

── ただ今回は、新型コロナウイルスの影響で世界中の人々の通常の生活が一変し、さまざまな不安が生まれました。

村上 うーん、基本的には、今回のような実際の事象と、僕がミッションとして体験したことを重ねるのは、非常に乱暴だというのが前提としてあります。ただ、その中でも何か言えるとしたら、僕たちは今、「暮らしの思春期」のような状態だと思っていいのではないかと。思春期って、自分の体という入れ物が不安定になった状態ですね。日々刻々と成長していく中で、自分が一番分かっていたつもりの自分が、なんだかフワフワした状態のように感じる。で、入れ物がフワフワしちゃうと、人間って不安定になって、攻撃的になっちゃうんですよ。

── 新しく不安定な入れ物に、まだ馴染めない。

村上 そういうことでしょうね。ただ、今の状態を非日常だと思っている間はいつまでたっても思春期で、この非日常が日常として落ち着いた時に、やっとそこを抜けられると思います。「暮らしの思春期」も、僕らが暮らすことに対してうまくなっていく兆候だと考えれば、少し希望が持てる気もします。

SIGMA SD14

SIGMAのカメラは、僕のメンタルに影響を与えてくれる

── 話は変わるのですが、村上さんはSIGMAのカメラを長く使ってくださっているそうですね。

村上 一番初めに使ったのは初期のDP1です。南極観測隊に選ばれた時、それまでちゃんとカメラを扱ったことがなかったんですけど、やっぱりカメラを持っていって、南極の色の変化を撮りたいなと思って。ちょうどそのタイミングでDP1が世に出て、色がすごくきれいだといわれていたので、手に取りました。幸いというか、そういうちゃんとしたカメラを使ったことがなかったので、DP1の難しさもこれが普通だと思ったんですね(笑)。それよりも、DP1で撮れた色の質感とか、そういうものに心を打たれて。さらに、南極のような場所だと気温の低さや空気中の雲母などで故障が多くなると教わり、もう1台SD14を買いました。

── DP1とSD14の2台体制ですか!

村上 もっと撮りやすいカメラは他にあるのかもしれないけれど、SIGMAのカメラは、このカメラを南極に持っていきたいから、多少難しい点があっても使い手側がなんとか努力するという、努力しがいのあるカメラだと思うんです。Mars160ではSIGMA dp Quattroシリーズを4台全部使っています。

── SIGMA dp Quattroシリーズは単焦点ですから、使い分けるのが大変だったりしませんか?

村上 うーん、でも僕はこのカメラのそういうところに救われていた部分が、結果としてあったと思うんですね。

── 救われた?

村上 たとえば、白熊のように何かすごく怖いものに遭遇した場合、人間の行動って大体2種類なんですよね。そこで闘うか、逃げるか。ところがカメラを持っていると、もう一つ、「そこに留まる」という選択肢が生まれるんです。闘うでも逃げるでもなく、その場に留まり、ファインダー越しに現実をちゃんと見て写真に捉える。それが僕にとって、とても大事だったんですよ。特にSIGMAのカメラの場合、努力して自分のメンタルを落ち着かせるための時間と、じっくり撮影距離を計るとか画像の書き込みを待つといった時間、その両方がすごく一致するんです。

── 落ち着くための時間が持てるということですか。

村上 しかも、dp Quattroシリーズは単焦点だから、ズームレンズのように遠くまで逃げて撮るわけにはいかない。ちゃんと写真が撮れていたとしたら、それはクルーの一員として逃げずに現場にいたという、自分への証にもなるんですよね。

SIGMA SD14

── SIGMAのカメラは難しいとも言われる部分が、村上さんにとっては、メンタルを整えるうえで役立つということでしょうか。

村上 そうなんです。それに、1台のdp Quattroで何でも撮ることはできない、かといって4台全部抱えていくこともできないから、用途にあったものをギリギリ2台選ぶことになる。それはつまり、今日のミッションは何で、事前にどう行動するかを冷静に考えることにもつながるんです。

── おっしゃっていた「忘れものをなくす」ということにもつながる気がしますね。

村上 また、露出などのカメラのチューニングも現場ではなかなかできないので、今日はこういうミッションだから、メンタルはこういう状態になるだろうと予測し、それに合わせてdp Quattroをチューニングしておく。逆に現場では、その予測の範囲からブレないよう、自分のメンタルを落ち着かせていくという心持ちになれるので、結果的にはミッションそのものの事故も減りますよね。それぐらい、SIGMAのカメラはメンタルにすごく影響を与えている相棒なんです。

SIGMA SD14

── 期待されていた色みについても、満足されていますか?

村上 もちろん。SIGMAのカメラで撮った写真は、単なる画にならないというか、他のカメラで撮ったものにはない、匂いのようにハッとさせてくれるものがあるように思います。匂いって、極地では大事なんですよ。毎日同じクルーと同じような話をし、同じルーティンのミッションを続けていると、感覚が鈍ってきてしまって視覚的な情報だけでは心の動きを感じにくくなるのですが、ふと漂う匂いで感覚や記憶が呼び覚まされることがあるんです。その匂いに通じるような何かを感じさせてくれるのが、SIGMAの色なんじゃないかと思います。

── 写真というものの存在意義が、通常の生活におけるものとは何か違いますね。

村上 そうですね、だいぶ違うなと思います。変化のない極地では、本当に怖い変化ってすごくゆっくりじわじわやってきて、気づきにくいことが多いんですよ。それに対応できる感度を保つためには、登山の時に常に持って歩くコンパスのように、拠り所となるものを日常のなかに習慣的に取り入れておく必要がある。人によってはそれが日記だったりスケッチだったりするかもしれませんが、僕の中では、シャッターを切るという行為がそれに相当するものであるような気がします。

村上 祐資

極地建築家

1978年生まれ。極地と呼ばれる厳しい環境下での暮らし方を探すため、南極やヒマラヤなど、さまざまな極地の生活を踏査している極地建築家。2008年に第50次日本南極地域観測隊に越冬隊員として参加し、昭和基地に15カ月間滞在。2013年、アメリカの研究団体The Mars Societyが発表した「Mars160」計画では副隊長に選ばれ、2017年よりユタ州ウェイネ砂漠および北極圏デヴォン島で計160日間の実験生活を完遂する。2019年には退役した元南極観測船を活用し、日本初の閉鎖居住実験「SHIRASE EXP.」を実施。

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