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第十話|超望遠レンズについて語る
~後編・超音波モーター、ズーム、そしてミラーレス~

第九話では「超望遠レンズについて語る~中編・特殊低分散ガラスとオートフォーカスの時代~」として、前編に続きSIGMAの超望遠レンズ開発の歩みについて語った。「SLDガラス」と名付けた特殊低分散ガラスの量産研磨に成功し、超望遠レンズの色収差の補正に目処を付けたSIGMA。しかし、オートフォーカス化の波の中で、超望遠レンズのAF速度・品位では苦戦を強いられていた。

AF速度という課題

1992年にSIGMAは特殊低分散ガラス=SLDを使用した高性能な超望遠レンズAPO 800mm F5.6とAPO 1000mm F8を発売した。しかしカメラ側に内蔵されたDCモーター(EOS用の場合はレンズ側に内蔵されたDCモーター)と減速ギヤによるAF駆動は作動音が大きく、またレスポンスも今一歩でCanonの超音波モーター(USM)を搭載したレンズには速度・品位ともに太刀打ちできなかった。故山木道広会長から「うちのレンズはギューンといいながらピントが合うが、CanonのUSMレンズはパンッとピントが合う」と言われたものである。

超音波モーターについて

ここで、株式会社新生工業と株式会社フコクの2社を紹介したい。

株式会社新生工業の指田年生氏は「超音波モーター」の発明者だ。超音波モーターの仕組みは、金属製のリングにセラミックを貼り付けたステーターに高周波電圧を与えて超音波振動を発生させ、その振動の波(進行波)によってローターの回転運動を得るというものだ。磁力を使わないモーターというのは過去類例がない、極めて画期的なモーターである。しかし、この超音波モーターも黎明期には課題が多かった。特に進行波を作るステーターと実際に回転するローターとの接触面の面精度と摩擦が大きな問題で、わずかな精度不足や異物の混入によって異音が出たり、時にはステーターとローターが固着したりしてしまう。この問題の解決のため、指田氏はローターとステーターの間に「スライダ」という摩擦材を挟み込むことを考案した。そして、そのスライダ材の加工を株式会社フコクに依頼したのである。

株式会社フコク(以下フコク)は自動車のワイパーブレードでは世界最大のシェアを誇るゴム、シール関連のメーカーである。指田氏は進行波によって起こる微振動を伝達するスライダ材の「弾性体で摩擦が大きい」という要求仕様からゴムを連想し、またフコクの振動解析技術にも期待してフコクに話を持ち込んだのだ。この新生工業による打診に対し、フコクは「スライダだけでなく超音波モーター全体の製造を請け負いたい」と申し出たのである。

超音波モーターの開発

1994年、故山木道広会長は交換レンズ用超音波モーターの共同開発をフコクに打診した。
当時フコクではすでに超音波モーターの開発と量産に成功していたため、交換レンズ用超音波モーター開発のポイントはレンズのフォーカス駆動に最適な出力・制御・連動機構、そしてレンズへの搭載方法であった。

1996年、SIGMAは超音波モーターの駆動や制御方法に目処を付け、1995年から発売されていたAPO TELE MACRO 400mm F5.6のCanon EOSマウント用とSIGMA SAマウント用にこの超音波モーターを搭載した試作品をPhotokina1996で発表した。そしてこの時、SIGMAがフコクと共に開発した超音波モーターにはHSM(Hyper Sonic Motor)という名が与えられた。

APO TELE MACRO 400mm F5.6

Canon、Nikonに続くSIGMAの超音波モーターの開発発表には非常に大きな反響があった。しかし、実は解決すべき課題がまだ山のように残っていた。超音波モーターの駆動についてはAFについて経験豊富なSIGMAの電子・ソフト開発部門がその力量をいかんなく発揮し、またフコクからのサポートもあって順調に開発が進んだものの、機構設計部門ではなかなか良い連動機構が作れずにいたのだ。また、連動だけでなく、レンズへの搭載方法についても苦戦を強いられていた。このモーターはちょっとしたことで駆動時に異音を発生させてしまう。この「キーキー」という鳴きにもほとほと苦しめられた。

つまり1996年のPhotokinaに持ち込んだレンズは実は生産など全く考えていない、しかも半ば強引に異音を抑え込んだ「バラック」同然のものであった。機構設計部門は超音波モーターに最適な連動機構の開発と異音解消に更に半年を費やし、1997年にようやくこのAPO TELE MACRO 400mm F5.6 HSMを発売することができた。

HSMの躍進

APO TELE MACRO 400mm F5.6 HSMは、驚きをもって市場に迎え入れられた。しかし、このレンズはある意味「先行試作」的な側面が強かった。単価も¥145,000と400mm F5.6クラスの単焦点レンズとしては高く、大量に売れる製品ではなかったのだ。

SIGMAが本格的にHSM搭載レンズの量産に成功したのは1998年のAPO 70-200mm F2.8 EX HSMからである。「大曽根、語る」の第二話でも書いた通り、このレンズは大きなヒットとなりHSMの量産とEXシリーズの人気に弾みをつけた。ここからはSIGMAの開発力にものを言わせ急速にHSM搭載レンズを増やしていく。超望遠レンズのみ記載しても以下のような本数となる。

左から1999年:APO 300mm F2.8 EX HSM、1999年:APO 500mm F4.5 EX HSM、1999年:APO 800mm F5.6 EX HSM
左から2000年:APO 50-500mm F4-6.3 EX RF HSM、2002年:APO 120-300mm F2.8 EX IF HSM、2003年:APO 300-800mm F5.6 EX IF HSM

HSM搭載によるAF性能の向上は目覚ましいものがあった。AF駆動速度、合焦までの時間が飛躍的に速くしかも高品位になり、AF駆動音はほとんどなくなった。故山木道広会長が望んでいた「パンッとピントが合う」を達成できるようになったのである。
特殊低分散ガラスや超音波モーター搭載に伴う価格の上昇も、EXシリーズの評判が上がるにつれ受け入れられるようになっていった。

AF超望遠ズームへの挑戦

次に、超望遠ズームにも目を向けたいと思う。第九話で説明した通り、SIGMAは1986年にSIGMA APO ZOOMτ 100-500mm F5.6-8、SIGMA APO ZOOMω 350-1200mm F11を相次いで発売した。どちらもSLDガラスを使用した高性能なレンズであったが、オートフォーカス化は非常に困難であった。そもそもF値が暗すぎるということもあるが、当時の望遠/超望遠ズームレンズはどれも一番前のレンズ群、つまり最も重いレンズ群がフォーカスの役割を担っていた。この非常に大きく重いレンズ群をAFモーターで動かすのは、現実的ではなく、ズームレンズにもインナーフォーカス化が求められていたのである。
しかし、ズームのインナーフォーカス化には別の課題があった。「任意の距離にフォーカスする場合、フォーカスレンズの移動量を焦点距離ごとに変えないとズーム時にピントがボケてしまう」というものである。
この課題に対し、シグマは1993年に28-105mm F4-5.6 UC ZENでズームレンズのインナーフォーカス化を実現した。しかし、超望遠ズームへは新たな専用の計算プログラムとそれにあわせた幾つものカム機構が必要だったのである。
超望遠ズームレンズのインナーフォーカス化に先鞭をつけたのはTAMRONであった。1994年、TAMRONは他社に先駆けて、インナーフォーカスのAF超望遠ズームレンズ「SP 200-400mm F5.6 IF」を発売した。

SP 200-400mm F5.6 IF
撮影:SEIN編集部

その頃SIGMAはCanonのEF 35-350mm F3.5-5.6 Lに影響を受けて新たなインナーフォーカス構造を模索していた時期であったこともあり、これに追随するかたちで超望遠ズームのインナーフォーカス化の検討を開始した。つまりSIGMAは当時、超望遠レンズの技術に関して「超音波モーター」だけではなく「超望遠ズームのインナーフォーカス化」にも取り組んでいたのである。

2本の超望遠ズーム

そして1996年、新たなインナーフォーカスカム構造によって作られたSIGMA初のAF超望遠レンズ「APO 135-400mm F4.5-5.6 ASPHERICAL RF」を、2月のPMA(アメリカのカメラショー)で発表した。反応は非常に良かったのだが、このとき故山木道広会長から驚くようなアイデアが提示された。それは「この135-400mmの前玉3枚のみを新たに設計すればTele側が500mmの超望遠ズームを作ることはできるのではないか」というものであった。そして更に驚いたことに光学設計者からも「可能」という回答が返ってきたのである。
こうして突如としてもう1本の超望遠ズーム「APO 170-500mm F5-6.3 ASPHERICAL RF」が誕生し、135-400mmと同じ1996年の末に発売された。この2本のAF超望遠ズームは想像をはるかに超える大きなヒットとなり、SIGMAの主力商品となっていく。

APO 135-400mm F4.5-5.6 ASPHERICAL RF
APO 170-500mm F5-6.3 ASPHERICAL RF

その後SIGMAのAF超望遠ズームのラインナップは、第一話でも書いたAPO 50-500mm F4.5-6.3 EX RF HSMが加わった“3本体制”となった。その後も「比較的コンパクトな400mmクラス」「500~600mmクラスの主力製品」「10倍ズーム」という3種類のラインナップを維持しながら進化を続け、今日までに11本ものインナーフォーカス式のAF超望遠ズームを世に送り出していったのである。

超望遠ズームの時代

SIGMAは2000年以降、超望遠ズームのヒットに影響され、単焦点超望遠レンズの開発が大幅に減った。これは2012年に始まったSGV(SIGMA Global Vision)以降も変わっていない。2012年以降に発売した単焦点の超望遠レンズは「SIGMA超望遠技術の粋を集めた500mm F4 DG OS HSM | Sports」の1本のみである。この500mm F4 DG OS HSM | Sportsはズームでは達しえない極めて高い光学性能とAF性能でSIGMAの超望遠レンズの頂点として君臨しているが、売れ筋の超望遠レンズは確実にズームに移行したといえる。

ミラーレス時代の超望遠

さて、この物語の最後にミラーレス時代の超望遠レンズについて少し語っておきたい。
ミラーレス黎明期のマイクロフォーサーズ用レンズを調査した際、その精緻なAF性能に驚く反面、フォーカス用レンズの小ささと軽さに「フルサイズ用の超望遠レンズや大口径レンズでこの精緻なAFを実現するのは大変だろうな」という印象を持った。
幸いSIGMAが今まで開発してきた11本のAF超望遠ズームレンズは、前述の通り全てインナーフォーカスである。レンズ群後方の小さいレンズでフォーカスさせる光学設計技術には十分な蓄積があったのである。

そしてここで最後に紹介するのが、ミラーレス時代の新しい超望遠ズームレンズ「SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG DN OS | Contemporary」である。超望遠ズームレンズとしてSIGMA歴代最高の光学性能を持ちながら、コンパクトなミラーレスカメラにマッチしたサイズに仕上がっている。また、軽いフォーカスレンズを直接モーターで動かすことによって、ミラーレスカメラの最新のAF機能(たとえば顔認識AF、瞳認識AFなど)もしっかり対応できる。

SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG DN OS | Contemporary 400mm側で撮影
撮影:大曽根
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多くの超望遠レンズを世に送り出してきたSIGMAが作る超望遠レンズの新しい時代を、ぜひこのレンズで感じてほしい。そしてできることなら、このレンズを手に取り、第八話、九話、十話と綴ってきたSIGMAの超望遠レンズたちに思いを馳せて頂ければと思う。

撮影:大曽根

終わりに

SIGMAが作ってきた超望遠レンズの物語を三部作に纏めてきたが、あまりに製品数が多く、全てのレンズを取り上げることができなかった。特に皆さんが大いに期待していた(かも知れない)APO 200-500mm F2.8 / 400-1000mm F5.6 EX DGを取り上げられなかったことについてはお詫びしたいと思う(語り出すと止まらないのだ)。選に漏れたレンズについては今後の「大曽根、語る」でぜひ取り上げていきたい。

Yasuhiro Ohsone

株式会社シグマ 商品企画部長

1987年入社。光学、メカともに開発の現場を歴任し、他社との協業も数多く担当。2013年より現職。

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