2018.09.07

セミナー&トークイベントFoveon Special Talk
「写真家にとっての写真集と撮影技術」

KG+2018 × SIGMA REPORT

第3部
「Ways of Seeing 〜視ること・撮ること〜」後編

対談:伊丹豪×小林美香
text: SEIN編集部 photo:Hanae Miura

SIGMAが「KG+2018」出展プログラムのハイライトとして開催した「写真家にとっての写真集と撮影技術」をテーマとする3部構成のリレートーク。最終章となる今回は、前回に引き続き、写真家・伊丹豪さんとSEINでもおなじみの写真研究者・小林美香さんによる対談「Ways of Seeing 〜視ること・撮ること〜」をお届けします。

その時代の表現を最新のテクノロジーで

小林:エプサイトで展示した写真の中で、タイル張りの建物の壁を撮ったものがありましたね。それを改めて見ていて思い出したのが、アルベルト・レンガー=パッチュというドイツの新即物主義の写真家です。できるだけ何でもシャープに撮ろうと試みた人なんですが、動物とかいろんな工業物とかの表面をクローズアップで撮っているんですね。彼の作品でトグロを巻いた蛇の頭を撮った「Snake Head」(1927)があるんですが、その写真と、伊丹さんの写真を頭の中で並べてみると、光を反射する蛇の鱗と建物のタイルが結びついて、思いがけない発見やひっかかりが生まれるんです。

伊丹:つまり僕は1920年代ドイツの、当時最先端のテクノロジーを追求していた写真家と同じことをしているわけで、それが僕のこの写真とパッチュの作品に何か通じるものを感じさせたりするんでしょうね。もし今パッチュ先生がSIGMAのFoveonを見たら何て言うかな、と思ったりしますね。

小林:そういうことも含め、写真ってやっぱりその時々に与えられた技術や条件に結びついて生まれる表現ですよね。

伊丹:今の時代は、ありとあらゆる写真家がありとあらゆる表現をしていますから。今回の「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」では深瀬昌久展が開催されていますけれども、深瀬さんなんて、本当にいろいろな手法を駆使してあらゆることを試みていますから。そんな中で、彼らを尊敬していると言いつつも、彼らの後追いではなく、写真家として彼らが成しえていないことをやろう、彼らが見えなかったものを見たいと思ったら、それは今あるテクノロジーと並走してつくり出していくしかないでしょう。

小林:ラースロー・モホイ=ナジが1930年に制作し、70年代に再構成した「ライト・スペース・モジュレーター」という作品があります。金属やアクリル板を組み合わせたものをモーターで回転させ、それに光を照射して周りの空間に反射させる装置なんですが、周辺の環境と作用しながら効果を生み出すという点で、伊丹さんの展示につながる要素があると思います。伊丹さんの作品というのは、個々の写真を通して何かを言いたいとか、内面性を発露することに向かうものではないですよね。

伊丹:そういうのとは全く違うと思います。

小林:制作者として伊丹さんは主体的なのですが、一方で、でき上がっていくものをどこか離れて眺めているような客観的な視点がある。その視点が展示の際の試行錯誤で垣間見られるのが面白い。

伊丹:そうですね。だから写真展というのは、すでにでき上がっている写真集と、実際にそれらの写真を空間に置いてどう見えるのか、の間を反復しているわけです。

小林:それでは、具体的にどういう感じなのか写真集を見ながら話していきましょう。

「RONDADE」佐久間氏との出会い

小林:まず、最初の写真集『study』ですね。黄色い紙で、左上に「Go Itami Born In Tokushima,1976」と記されたページがひたすら50ページ続きます。どうしてこのような構成になったのでしょう?

写真集『study』

伊丹:最初の写真集なので、ここから自分の作品に対する考え方がはっきり出てきました。写真集の版元RONDADEは、音楽レーベルでCDをつくっていたんです。代表の佐久間さんには独自の考えがあって、CDジャケットにものすごくこだわっていたんですね。ある時、CDジャケットに写真を使わせてほしいという依頼を受けたんです。当時、僕は誰からも評価されていなくて、腐っていた時期だったので、うれしくて引き受けたんです。でも、企画制作の過程で、佐久間さんから「伊丹さんの作品を立てるとミュージシャンの音楽を蔑ろにしてしまうし、音楽を立てようとすれば伊丹さんにお願いするのが失礼になってしまう。だから今回の依頼はやめにして、代わりに一緒に写真集をつくりましょう」と言われて、制作することになりました。

小林:それが最初なんですね。

伊丹:最初は正直、ちょっと胡散臭いなと思っていたんですよ。それに何を面白いと言ってくれているのか知りたかった。なので「写真のセレクトから本の判型、デザイン、構成、すべてお任せするのでつくってください。素材はお渡ししますので、それが見たいです」と言って、素材一式を渡したんですよ。そうしたら佐久間さんが「分かりました、デザイナーはシンプル組合(ドイツ・ベルリンで活動する日本人とドイツ人のユニット)に頼みます」と。しばらくして「伊丹さん、できましたよ」とPDFが送られてきたのが、これです。ずっとこの50ページの黄色いページが続いていて、大きなポストイットみたいでしょう。写真集が壊れたら何でだめなの、みたいなことをやろうとしていたんですよね。別に剥がれてもいい、剥がして貼ればいい、くらいの本に対する思いがあったんですね。彼らが選んだ写真を見て、自分の写真は人の目にこう映っているのかと驚きました。しかも縦開き。とにかくすべてが新鮮で面白かった。この本をきっかけにして、自分の中のいろんな常識も壊されていって、原宿のVACANT、恵比寿のPOSTのようなスペースで写真展をやることになったんです。

写真集『study』
写真集『study』

写真集と写真展の関係性の原型が生まれる

伊丹:『study』に関して僕が聞いたデザイナーの考えでは、1976年の徳島からここにつながってくる演出をしたかったとか、あとは映画『シャイニング』でジャック・ニコルソンがタイプライターを延々打つシーンみたいに不気味な演出がしたかったとか、電話帳みたいにめくり続ける演出をしたかったとかって言っていました。ほんまかなと思いながら聞いていましたけれども。

小林:VACANTでの展示は、最初の写真集と次の写真集の間ですよね。どういう工夫をされたんですか。

伊丹:『study』の収録作と、『this year’s model』にあるような当時の新作写真を併せて展示しました。今の原型はこの時にできた感じですね。この時はまだ写真は1点1点で見せるものである、とオーソドックスに1枚ずつかけることしかできなかったんですけれども。写真そのものはほとんど変わっていない気がしますね、基本は。

小林:その次にPOSTでの展示があって……。

伊丹:はい。その頃からいろいろやっているんですね。例えば自分の写真が浮世絵のようにレイヤー構造になっているという。道路があって、人が歩く歩道があって、電信柱や信号機やさまざまなものがレイヤー状に重なっているのをパチッと1枚の平面にしたのが写真だよ、ということを言いたくて。

小林:それって製版の考え方に近いですね。

伊丹:ええ。そういう意識がこの頃からかなり強くあって、展示で見せようとしていた。

「study」(2013年)/POST
下の横断歩道の写真を色分けし、分解して展示した作品。

小林:エプサイトの展示も、今回『photocopy』も、それぞれ違うつくりですね。エプサイトでは棚みたいなものに作品を立てかけて、来場者が自分でレイアウト=編集できますよという展示も試みたんですよね。

伊丹:自分ですべてをコントロールしてしまうことに対してはいつも危機感というか懐疑的なところがある。自分を信用していないんですよね。他者が介入してくるほうが絶対的に豊かだと思っているので。皆さんにもそういう経験をしてほしいんです。「他人が撮った写真を選ぶこと」から得られるものはきっとあって、見方がガラッと変わるはずなので。

小林:“Study”という語が、研究とか習作とか、いろんな段階で試している状態の意味で使われていて、それを展示でも展開したわけですね。

伊丹:そうです。なんならタイトルはずっと“Study”でいいとも思うんですが、そういうわけにもいかないので。

「study」(2014年)/エプサイト
伊丹豪 特別展 with FOVEON「photocopy #2」(2018年)/KG+2018 SIGMA Satellite Gallery in Kyoto

自分の写真の受け止められ方から距離をとる

伊丹:この時、周りから「伊丹さんの写真はグラフィカルですよね」とか「デザインっぽいよね」ってよく言われたんです。今も言われますけど。でも「そんなことはない、ものすごく古典的だし写真的なことをやっているんだ」と自分では思っているんです。しかもそういうファッションとかグラフィックとかいう言葉には、なんか一段下に見ている響きがあって。それに対する細やかな抵抗があったんですよ。それを言う人の意識には、「ここまで写真で、その先はファッションだ」と線引きがあるんでしょう、と。だったら、自分の写真を一度全部デザイナーに預けた上で、一度分解し、消化してグラフィックデザインにしてもらおう。それを展示して、「じゃ、これは写真かグラフィックか考えようぜ」みたいなことをやり始めたんですよ。

小林:それが『study / copy / print』というシリーズですね。

伊丹:はい。自分の写真に対する自分の認識と他者が見たときの認識のズレ、それと展示というものがいかに空間的な認識と密接か。あとは、先ほどお話した歴史と自分をどう結びつけていくかということも、この展示からはっきりと意識するようになりました。

『this year’s model』で秋山伸さんと出会う

伊丹:この頃から、加速度的に写真を撮るようになって、同時に『this year’s model』に向かっていくんです。展示をする一方で、目の前の物を撮って写真にすると、その時点で別物になることをもっと強くアピールしたい気持ちが強くなって、単純に物との距離がすごく近くなっていったんですよね。近い位置で撮って抽象化するみたいなことが増えていって、『this year’s model』という写真集ができ上がるんです。

小林:デザイナーは秋山伸さんですね。

伊丹:この本は、やっぱり秋山さんの力が大きかったです。秋山さんが引き受けてくれるかどうかも分からないままデザインをお願いしにいったんですけれども、写真をパッと見せた時に、「いいですよ」と一言くれて、「こういうアイデアがあるけど、やってみますか?」と、アクリルのアイデアを話してくれたんです。「アクリルでの製本というアイデア自体はあったんですけど、実際に商品としてつくりきれるかはわからない。それでもいいですか?」と言われたんですが、「ぜひ、その方法でつくってみたい」となりました。

意図や主観を入れない、全く新しいアプローチを

小林:写真のセレクトはどうしたんですか?

伊丹:ある程度、作品選定はできていたんですが、僕と佐久間さんはどうしても第三者に入ってもらって、自分たちだけでは思いつかないアプローチがしたかったので、そこも秋山さんにお願いしました。秋山さんが住んでいらっしゃる新潟まで会いにいったんですが、「来る時に、すべての写真を新幹線の中でトランプのようにシャッフルして来てくれ」と言われて、くそ真面目にシャッフルしていった(笑)。新潟では公民館を借りてくれて、広い部屋に写真を2枚1組に並べていきました。良い組み合わせを取り出しては残りをシャッフル。これを延々繰り返して、3時間ほどで完成させました。そこでも偶然性をつくる中で、いかに直感的に選び出すかにトライしたのがこの本なんです。一見、ロジカルな構成に見えるかもしれないけれど、最終的には直感で3人が選び出したものなんです。

伊丹:ヨーロッパの人なんかだと「この写真の順番や組み合わせ、展開にはこういう意味があるはずだ」という解釈をされがちなんですが、「夢を壊して申しわけないけど、僕たちはトランプをしたんだ」って説明します。でも信じてもらえないんですよ、彼らには(笑)。

小林:そうですよね。意味を求めますからね。

伊丹:ええ。でも僕と佐久間さんと秋山さんは、徹底的に意味を排除する方向性で物事を考えた。そのことで大きく飛躍した写真集だと思います。その後で新しいものをつくろうとして生まれたのが『photocopy』なんですが、やっぱりすごくハードルは上がりました。

小林:『photocopy』の制作が始まる前に膨大な量のプリントの束を見せてもらったことがありましたけど、「手に負えないものが来た」と思ってしまいました。(笑)

伊丹:僕自身の中でも『photocopy』では『this year’s model』とは真逆の、全然違うことをやりたいという気持ちがあって。自分としては、より写真的な方向に向かっている。『this year’s model』は造本で相手を黙らせてしまう力があったけれども、今回はパッと見たときの造本の力ではなく、自分の写真に対する考え方、そしてイメージの力自体が更新されてないといけない。だから写真自体が変化していなければいけないし、本のあり方も変わっていなければいけなかった。

写真集をつくるプロセスそのものを変えてしまう

伊丹:だったら、本として完成に至るまでの過程を全部見せるほうが面白いのではないのか。しかも、そこから返ってくるフィードバックも生かせないか、と佐久間さんと話して、大阪・名古屋・東京・台湾ですべての過程を展示で見せ、公開の打ち合わせをして、徐々に本づくりを進めていったんです。

小林:面白いですね。

伊丹:まず判型はA3にしたかった。最初に700枚ほどのプリントを佐久間さんに見せました。大阪ではその700枚を全部床に置いて展示しました。「ここから選んで写真集をつくります。ただし、どれが選ばれるかは分かりません」と。この本は、秋山さんには写真のセレクトは見せずに本づくりを進めるというのが佐久間さんと僕の裏テーマでした。打ち合わせの時間以外は3人とも連絡を取り合わないし、いつも緊張感があるんです。

小林:秋山さんは何も言わないんですか。

伊丹:ええ。最初はどう評価しているのかも全く分からないんです。でも、大阪の後で、3人ともこれから何か面白くはなるなという手応えがあって、その後も公開の打ち合わせという、皆を巻き込んだ制作方法をとることにしました。

小林:体裁はどう決めたんですか。

伊丹:最初は普通に見開き2枚組の写真集を想定していたんですが、「やっぱり伊丹さんの写真は見開きで縦位置2枚並ぶとちょっとくどくなる。1枚ずつ見せたい」と佐久間さんが言い出して。本当に難航して、なかなか体裁は決まらないままだったんです。いろいろなアイデアが出ては消え、出ては消えしていました。僕らはあくまで本をつくりたいのであって、本というメディアから完全に逸脱してしまった何かをつくりたいわけではない。なので、自分たちが見たことのないような本の中での発明を目指すしかなかった。そうやっているうちに、最後に秋山さんから出てきたアイデアが、よく我々が会議などで目にする資料の形だった。要は束ねた普通紙を左上でホチキス止めしている、あれです。あまりにも日常的で意識しない方式だけど、めくった時点で、直前に見た写真が意識の外に出ていく面白いフォーマットだと思ったみたいです。そこからですね、この仕様になったのは。

小林:そこから写真の順番を検討したのですか?

伊丹:最初、「伊丹さんが決めて」と言われて何度も考えたんですよね。なるべく自分の感情が出ない並びにしたつもりなのに、佐久間さんに見せると「ちょっとセンチメンタルな感じがします」とか「感傷的に見えますね」とか言われるんですよ。いやいや、それは佐久間さんが勝手にそう感じただけでしょ、と思いまして。結局、いつの時代も誰がやっても、見る側は自分の見たいようにしか見ないので、それをコントロールすること自体、不可能でしょう。だったら同じ写真集の写真を全部順番違いにすれば、解釈や印象を自ら誘導することを放棄したと言えるだろうと。

写真は並べられた時点で意味をもたされている

小林:全部順番の違うページ構成を、どのような作業工程でつくったのでしょうか。

伊丹:印刷所の方の手作業だったんです(笑)。

小林:3人で公開打ち合わせとか、すべて違う順番で並べるという発想とか、とてもユニークなアイデアとプロセスですね。

伊丹:はい。昨日の対談で鈴木さんが「荒木(経惟)さんは、撮った順に並べろ、って指示するんだ」とおっしゃってましたけど、それってつまり、撮る段階ですでに編集が入っているわけですよね。僕にはそれはない。個々の写真は「点」でしかないので、それを一つにまとめる時、急に取ってつけたような物語性とか意味を充てようとするの、やっぱり無理があるじゃないですか。秋山さんもそのことへの違和感はあったらしいんです。そこはもう図らずとも3人の方向性が一致していたので、意味付けとか構成による物語性の付与を徹底的に排除して、具現化できる方法を考えた結果がこの写真集なんですよね。

小林:写真集って、編集が一つの輪郭や筋をつくって、それをベースにして動いていくものだと考えられがちですけど、そうではない枠の立て方ですよね。

伊丹:ですね。あと基本的に、みんな既成概念に抗いたい人たちなので(笑)。別に奇をてらいたいとか、むやみに反抗したいわけでもないんですけど、でも常に常識を疑ってみるという批評精神はあると思います。

意味性を排除する展示への挑戦

伊丹:だから、今回の展示に関して言えば、1冊ごとに写真の順番が違って、しかも1枚ずつでしか見られない『photocopy』という写真集を展示として見せようとした場合に、ぴったりくる方法が思いつかなかったんですね。来た人みながランダムに違うものとして見られて、しかも1枚1枚でしか見られないみたいな展示方法というのはまずない。だから3月に東京でまず『photocopy』展をやった時には、1枚を見ようとしても必ず複数枚が目に入ってくるようにしたんです。

小林:先ほど書類を留めるようにページをめくったら意識から外れるという見え方という話がありましたが、写真集をテーブルに置いてページをずらしながら見ていけば、結局イメージは重なって、イメージ同士が干渉するような形にもなるわけですよね。

伊丹:ええ。

小林:今回の展示では、その相互に干渉し合うことを要素として入れたわけですね。

伊丹:それは受け入れざるを得ないですから。「展示」はやっぱり選んで並べないといけない。つまり、どうやってもその時点で写真に関係性や意味が出る。でも僕にはその関係性や意味をコントロールしたいという欲望はないので、なるべく1枚ずつの写真に意識がフォーカスするようにしたいと思ったんですよ。
当然並びもサイズも考えてはいますが、すべてロジックによって組み立てたかというと、そんなことはないです。個々の写真について説明しろと言われれば、それは可能ですけど、実はそこまで重要ではない。それよりも人が写真を見る時に、どこに目がいくのか、何に意識が向くのかを考えると「額装」という問題が立ち上がる。

小林:フレームをどうするかですね。

伊丹:額っていうのはイメージを中に閉じ込めてしまうので、意識を誘導するのに最適ですよね。そのことに意識的に、実際の額を使うのではなく、縁に色をつけたり、縁に枠をつけることで、1枚の作品の区切り機能という意味でのフレームをつけようと思った。それは今の大判のインクジェットプリントだからこそできることなので、どんどん積極的に取り入れようと思ったんです。それもこの展示の大きい目的の一つとしてあった。

小林:よく見ると外枠が薄いピンクだったり。

伊丹:そうです。あとはイメージがいろんな形で囲まれているんですね。別に見る人が気づいても気づかなくてもいいんですけれども、それがフレームの代わりにならないかと思って。無意識に、意識が1点に向かないかなというようなことを考えたのがこの展示ですね。

「平面作家」として作品をつくっていくために

伊丹:あとは、すべて今日の話につながるんですが……。そもそも展示というのは、自分の写真を空間に配置して見せることですけど、それって要は、さっき「出会うように撮る」と言ったストックを偶発的に配して写真を撮るという話と同じことなんですよね。大きい空間に自分の写真を並べることで、それによって次の写真を撮るきっかけになるような、入れ子の構造なんじゃないのかなという思いがあります。だから先月東京でやった展示風景を撮って、それをもう一度平面に作品化して違う場所で展示をするということを意識しています。これも展示の大きな目的の一つですね。

小林:展示を撮影した写真を、また展示するということですね。

伊丹:ええ。あとは、「1枚の写真を見る」という時の「1枚」とは何か、ですね。この会場の長辺の壁面では、端から端まで長さ8メートルのプリントを貼りだして、その上からいろんな写真をかぶせてレイアウトしているんです。平面のイメージの中だけでなく、もう一度紙で物理的なレイヤー化をして見せる、いうこともやっている。「1枚を見る」って本当はどういうことなんだろう、という見せ方を意識してやっている感じですね。

小林:今日いらっしゃっている皆さんには、ぜひそのあたりも注目して展示をじっくり見ていただきたいですね。お話は尽きませんが、そろそろお時間になってしまいました。今日はありがとうございました。

伊丹:ありがとうございました。

伊丹 豪

写真家

写真家。1976年、徳島県生まれ。2004年、第27回キヤノン写真新世紀佳作受賞。2015年、『this year’s model』で第27回「写真の会賞」(2015年)を受賞。写真集『study』『study / copy / print』『this year’s model』(RONDADE)をリリース。最新刊『photocopy』はほぼすべてSIGMA sd Quattro HとSIGMA dp3 Quattroで撮影された。

小林 美香

東京国立近代美術館客員研究員/写真研究者/KYOTOGRAPHIEポートフォリオレビュアー。

SIGMA「SEIN Online」にて「Ways of Seeing」を連載中。国内外の各種学校・機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007年〜08年にAsian Cultural Councilの招聘、及びPatterson Fellowとしてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会・研究活動に従事。2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

Share on social media