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フェティシズム “fetishism” は、一般的には、「自然物、人工物を問わず持ち運びのできる物体の崇拝」を意味する。
こんにち「フェティシズム」が持ってしまった物神崇拝、貨幣崇拝、性的嗜好の話はひとまず措いておく。
モノとしてのカメラとレンズは、なにかを撮影するという目的のために存在するが、そのカメラとレンズそのものがフェティシズムの対象となる。
まぁ、早い話がカメラとレンズが好きなんですよ私は。
いま、別に何も撮影しなくても手に取ってながめたりさすったりしてしまうのが、SIGMA fpとSIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporaryの組み合わせだ。
静止画を撮れる、動画も撮れるSIGMA fpの「fp」とは「フォルティシモ・ピアニシモ」 “fortissimo-pianissimo” 、目的によって最大にも最小にもなるカメラ、と説明されていて、ネーミングも好きなのだが、私は「fp」には “form for purpose”、「目的のための形態」という意味もあると勝手に決めている。
“Form Follows Function” 「形態は機能に従う」はあまりにも有名な言葉だ。
その概念は科学の発達とともに生まれた。生物の獲得形質が遺伝するとした「用不用説」を唱えた18世紀の生物学者ジャン=バティスト・ラマルクにその源流を認めることができるが、そこから工業デザインにその考えが受け継がれる。
19世紀の彫刻家ホレーショ・グリーノウは「美は機能の約束である」と考え、「機能主義」の先駆けとなった。
20世紀初頭、オーストリアの建築家、ウィーン分離派のオットー・ワーグナーは「芸術は必要にのみ従う」 “Artis sola domina necessitas” と主張した。
シカゴ派の建築家ルイス・ヘンリー・サリヴァンは、鉄骨構造により、それまでの石造建築における構造的・形式的制約がなくなり、デザインに変化が生じることを提唱した。サリヴァンは「方程式を解いていくと、結果的に美しいものができる」と説き、彼によって先述の “Form Follows Function” というフレーズが造られた。
さらにドイツの美術学校・バウハウスは建築、インテリア、工業製品すべてにその考えを押し広めた。第3代校長ミース・ファン・デル・ローエによる「バルセロナチェア」などはその典型で、スペイン国王のためにデザインされた椅子がこんなにシンプルでいいのかとさえ思う。
ちなみにバルセロナチェアはうちにある。小さいけど。
現代の家電メーカー・BRAUNのデザインは、やはり 「形態は機能に従う」を感じさせるミニマムなものだ。チーフデザイナーだったディーター・ラムスのデザイン哲学は “Less, but better” 「より少なく、より良く」である。
また、車でいえばポルシェ911は “Form Follows Function” を体現している。日本では安藤忠雄もポルシェ911に乗っていたし、またAppleのスティーブ・ジョブズがポルシェ911を愛車としていたことも有名だ。
そのAppleでiMac、iPod、iPhoneのデザインを手掛けたジョナサン・アイブはディーター・ラムスへのリスペクトを隠さない。2001年、初めてiPodを手にしたとき私も、これはBRAUNぽいなと思ったほどだ。
いろいろと理屈をこねたが、要するに夜中にひとりでカメラとレンズをなでたりさすったりしているのを咎められたときには、これぐらい言い返さないとただの変態だと思われる。それぐらいSIGMA fpの素っ気なさすぎるデザインが好きなのだ。
さて。そんな私のフェティシズムの対象であるカメラとレンズを持ち歩くときはどうするか。フェティシズムの対象を容れるのだから、それを運ぶ道具もフェティシズムの対象でなくては話にならない。
そんなわけで、私は「理想のカメラバッグ」をずっと探していた。
スナワチ大阪ストアには、後藤優太さんというレザークラフツマンが常駐している。みずからデザインし、ひとりで製品をつくり上げるBig Mouse Jimmyというブランドを主宰する彼は、無口でまさに職人といった佇まい。私が皮革とそのデザイン、縫製についてなんでも相談できる人である。
後藤さんは、最初に、「何を容れて、どう使いたいか?を徹底的に話し合いましょう」と言った。何のために、何をつくるか?後藤さんも正しく “Form Follows Function” の人だった。
ジョージ店長が二人の会話を見守っている。彼は人類ではないが、こちらスナワチ大阪ストアの店長という激務を日々こなしている。
私はフルサイズのカメラボディと、F2.8通しズームレンズ3本、いわゆる「大三元」が収まり、さらに13インチPCとスマートフォン、財布が入るサイズのショルダーバッグが必要であることを伝え、さらにはどうしてもこだわりたいポイントとして上からカメラが出し入れできる「トップアクセス」にしたいとわがままボディな注文を連発した。
後藤さんは言った。「強度とサイズ、そしてカメラに合う風合いを実現するために、“栃木レザー”を使いましょう」
「栃木レザー?」
「ええ。最適だと思います。栃木レザーを扱うハシモト産業さんへ行って、革選びから始めませんか」
かくして私は究極のワンオフ的な、ビスポーク的な、オートクチュール的なわがままボディとして「素材選び」から始めることになったのだ。
ハシモト産業株式会社営業部長の小笠原幸一さんが、あらかじめ後藤さんから聞いた内容にふさわしい皮革を次々と提案してくれる。
大阪市内にあるハシモト産業は昭和43年に創業し、日本各地や北米の「タンナー」と呼ばれるレザーを鞣す工場から、極上の皮革を仕入れている。
牛一頭から二枚つくられる巨大なレザーは圧倒的だ。当たり前だが、動物にまったく同じ一頭はいない。その皮革の表情も、厚さもまた違う。
同じ黒に染め上げられた革でも、色やツヤに違いがある。キズやムラもある。そのひとつひとつがそれぞれの牛の一生を思わせる。栃木レザーは「タンニン鞣し」だからこのような違いが出るという。レザーにはクロム鞣しとタンニン鞣しがあるそうだが、それについてはもっと学びたい。
「中に入れるカメラとレンズの重量と保護を考えると、僕はこれが最適だと思います。厚いから、僕が切るのも縫うのも大変ですけどね」
後藤さんは言う。私もそう思っていた。それは10枚以上準備してくれた小笠原さんが最初に見せてくれた一枚だった。
「栃木レザーでカメラの鞄をつくりたいんやて?そら、今はナイロンバッグが主流やけど、これ持ってる、だいじにしてる、人と話ができるものを持ってたらええんちゃうかな」
ハシモト産業の橋本皎会長にお話を伺う。
「うちは安い商品はやらない。革だって安いのもある。今どきの革は新品のときが一番よさげに見えるように店に並んでる。そうじゃなくて何年も使って味がどんどん出てくる、そんなもんを届けたいんや」
「安い、すぐ手に入る、だけじゃなくて、もう一歩考えてみると、おもしろい世界があるんちゃうか。日本は物づくりの国やねんと。物づくりしてる人間が喜びのある商品をつくらないと、日本の国がだめになってしまう」
ここへ来て本当に良かった。私も思いを話す。
「シグマって会社のカメラやレンズをその鞄に容れたいんです。シグマの製品も、会津の工場で職人がつくってるんです。そういうものを容れるには、そういうものが要る」
「栃木へ、見に行かなあかんで」
「栃木レザーへ」
「うちの者も一緒に見学したら、また何かが分かる」
「僕がご一緒します」
ハシモト産業の若きホープである橋本竜一氏と栃木へ行く約束をして、私たちは購入した革をスナワチ大阪ストアヘ持ち帰った。
「後藤さん、縫いにくい厚い革を選びましたが」
「縫い目の数だけ穴を開ければ縫えます」
「僕は、革を切るときも、縫うときも、“こういう牛が生きていた”と感じながら作業するんです」
かくして鞄は完成した。すぐできたわけはない。私は待つ時間が楽しかった。
カメラの貼り革のシボの表現に近い革を表面にして、それ以外はスムースなレザーを使っている。
ここからの写真はもう、いちいち説明していたら数日かかってしまう。とにかく、実用のための、ありとあらゆるわがままを実現してもらった。
とりわけこだわったのは、ストラップの幅だ。後藤さんに私の身体を採寸してもらい、その太さと長さを決めた。カメラ本体とレンズ3本、ノートPC、フルで入れると10kgを超すが、まったく重さを感じさせない。
トップアクセスは、このようにさっとカメラを取り出せる。
私はこの鞄を枕元に置いて匂いを感じながら眠るのが好きだ。アジア各地も、ニューヨークも、この鞄と共に旅した。
栃木へ、行こう。
大阪から前田さん、後藤さんと夜通し車で走り、栃木県へついた。快晴の朝だった。ハシモト産業の皆さんとも合流する。
「栃木レザーでつくってもらった、いまのところ世界にひとつのカバンです」
私はこの鞄を栃木レザー株式会社の山本昌邦社長にご覧いただく。
「こういうものを見ると働いてるのがうれしくなるんですよね」
「うちはね、隠すところはなんもないんで、全部写真撮って、見ていってください」
栃木レザーの製造統括部長、遅澤敦史さんに案内してもらう。
「どう見ても牛ですね」
「まだ牛です」
私がどうでもいい質問をしている間も遅澤さんと後藤さんは製法について専門的な会話を重ねている。
レザーにはクロム鞣しとタンニン鞣しがある。市場に出回る革製品のほとんどは、塩基性硫酸クロムという薬品で防腐処理したクロム鞣しだ。それは、柔らかく仕上がり、製品にばらつきができにくい。
対して、栃木レザーはタンニン鞣しにこだわる。ミモザやチェスナットといった天然の植物から抽出した「渋」のピット槽に牛の皮を漬け込む。
この自然と自然の掛け合わせにより、長い経年変化を経てさらに愛着が持てるような革が熟成されてゆく。
「うちは、“倒れない革”ってことをいつもテーマにしています。鞄がくたっと横にならないで自立するような強度と厚み、それが長く使えるもののひとつの条件じゃないでしょうか」
すべての工程を説明してもらったが、私はハァー、ホゥーと感心しながら回っただけなので、くわしくは栃木レザーのウェブサイトで「Process」をご覧いただきたい。
どの工程でも職人技を持つスタッフの皆さんが、にこやかに挨拶をしてくださり、仕事をする歓びに満ちていたのが印象的だった。我々が見学に来る日だから楽しそうな演技をしていたのではないだろう。私もなにか手伝いたくなる作業ばかりだった。
山本社長は言う。
「日本人にとって革製品というと“舶来”なんです。ファッションや日用品としてレザーを使い出して、まだ日本人は100年も経ってないんです。でもヨーロッパ、アメリカのタンナーの歴史は1700年代から続いてるわけで、これから彼らと本当に勝負しなければならない」
「物づくりで一番だいじなことは“しつけ”。つまり、基礎。あわてないこと。いそいでやらないこと。日本固有のもの、クオリティの追求。それにはうちみたいな革じゃないとだめだと思うんで、やってます」
「いい革づくりをしてる。
いい物づくりをしてほしい。
いい売りかたをしてほしい。
今日はこの会議室にみんな揃ってるね。いい日だね」
私は言う。
「私は、いい伝えかたをしたいです」
「あわてちゃだめ。ゆっくりやりましょう。牛の外を見てもらったから、牛の中を食べに行きましょう」
「愛せるモノを、持たないか?」
これはスナワチが掲げるキャッチコピーだ。電通のコピーライターだった前田将多社長の、この言葉がクラフツマンシップそのものだと私は思う。
“Form Follows Function”。私は、シグマのカメラとレンズを愛する。それを納める鞄を愛する。
私自身も、ひとりのクラフツマンとして、書くことに手を動かし続けたいと思う。
※この記事は2018年、2019年に取材されたものです
参考文献:
William Lidwell , Kritina Holden, Jill Butler
『Design Rule Index[第2版]― デザイン、新・25+100の法則』
(ビー・エヌ・エヌ新社)
田中 泰延
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。「青年失業家」「写真者」を名乗り活動を始める。2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。Twitter:@hironobutnk