ネパール逍遥Ⅱ
しかし、そもそもネパールへ赴いた目的があったのだ。
シャラド・ライ君という青年がいる。
ネパールに生まれ、日本に留学し、東京大学博士課程に在籍中の彼は、『YouMe Nepal』という団体を立ち上げ、クラウドファンディングを募ってネパールにいくつかの学校を建設した。
彼とは、2016年に初めて会った。学校建設のファンドに参加した私は「いつかネパールに行く」と彼に約束したのだった。
機会はやってきた。『ほぼ日刊イトイ新聞』と関わり、シャラド・ライの活動に賛同する仲間といっしょに、旅をしようという運びになったのである。
数日先行してネパール入りし、写真を撮り歩いた私は、首都カトマンズの空港で彼らの到着を待った。シャラド・ライ、永田泰大、古賀史健、浅生鴨、小池花恵、山田英季の各氏である。
そしてもうひとり。
幡野広志さんはネパールで写真を撮り、われわれは書き手として旅を綴る。
だが、このネパール行での幡野さんの本来のミッションは、シャラド・ライが作った学校と生徒たちを、動画に収め、映像作品に仕上げることだ。
こちらが、彼が制作した映像作品だ。
だが、彼は写真家である。ムービー撮影の合間にもスチール写真をシュートするのであろう。私が、ネパールの様々な表情を切り取るために必要だと考えて用意した機材は、カメラボディが2台、レンズが4本。
Canon EOS 6D MarkII
Canon EOS 80D
SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM | Art
SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art
SIGMA 24-70mm F2.8 DG OS HSM | Art
SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG OS HSM | Contemporary
プロのカメラマンである幡野さんはさぞかし、大量のスチールカメラ機材を…
「えっ?」
「えっ…それだけですか?」
「はい」
見ていると、幡野さんはめったに写真を撮らない。私がシャンシャンと連写してガチャガチャとレンズを付け替えているときに、この小さなカメラをパッと構えて単焦点レンズでサッと1枚撮り、スッとカメラをポケットにしまう。それで終わりである。
音にするとパッ、サッ、スッ、である。私の方はシャンシャンガチャガチャ、シャンシャンガチャガチャ、この差は大きい。
あんなに小さなカメラとレンズで、あんなにシャッターを押す回数が少なくて、いったいどんな写真が撮れているのだろう。
旅の途中で幡野さんがそのパッ、サッ、スッ、をブログにアップした。
私は驚愕した。この人たちはどこにいたのだ。私はずっと幡野さんと一緒に行動していた。私はずっとシャンシャンガチャガチャとカメラをいじっていた。
だが、この人たちを知らない。
この月も、知らない。
私は、ネパールで写真を撮ることを、やめた。ここからは、幡野さんを見ていようと決めた。正確には、撮っている幡野さんの写真を撮ろうと決めたのだ。
過酷な旅の果て、私たちはシャラド・ライがつくった夢の学校に着いた。
幡野さんは学ぶ子どもたちの姿をムービーで捉える、そのほんのわずかな隙間の時間に、やはりパッ、サッ、スッとスチールカメラで撮っていた。
やはりここにも、私もいっしょに触れ合ったはずの子どもたちの、ちょっと違う表情が収められていた。
シャラド・ライの願い、子どもたちの夢、そしてネパールの未来を感じた1週間が過ぎた。
私は、写真の初心者、「写真者」として、ただひたすらに写真に生きる人、「写真家」の背中を、横顔を見つめ続けた。
写真家は「なにを切り取り、なにを残すか」という意思を貫く。
写真とはどこか、他者と自分の時間を引き換える行為だと思う。人間に与えられた限られた時間そのものを可視化すること。そして写すとは、ある瞬間にここにあるものをどこかにうつすこと。
だれにとっても、時間は砂時計だ。砂粒が落ちる一刻一刻を感じるために、その瞬間を生きるために、その先を生きるために、写真があり、そして文字がある、私はそう願う。
幡野広志が、どんな宿命を背負った写真家なのかは、私はここでは書かない。どうか彼自身が記した数々を読んでほしい。
私たちは、日本で再会し、あの旅のこと、そして生きることについて話した。
私たちと幡野さんの心には、あの希望へと向かう険しい道が続いている。
ネパールで、無闇にはシャッターを切らなかった幡野さんだが、その中に、「写真家を撮る写真者」の1枚があった。ちょっと、嬉しかった。
幡野 広志
1983年東京生まれ。2004年日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、『海上遺跡』でNikon Juna21受賞。 2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『写真集』(ほぼ日)。最新刊『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)2019年5月28日発売。Twitter:@hatanohiroshi
田中 泰延
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。「青年失業家」「写真者」を名乗り活動を始める。2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。Twitter:@hironobutnk