フォトヒロノブ

VISITORS

2019.12.18
闇と光とがひとつに結ばれるまで
ー 佐野元春『N.Y.C 1983~1984』

ある男に会うために、ニューヨークへ行った。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/80sec. JPG
SIGMA fp +SIGMA 14-24mm F2.8 DG DN | Art | f2.8 1/6sec. JPG

男は写真家だった。

2006年、広告代理店に勤務していた私は、ある俳優を起用した広告を制作することになった。聞けば、その俳優が信頼を寄せているカメラマンがひとりだけいるという。

ニューヨーク帰りで、多くの肖像写真を手掛けている写真家だそうだ。私は彼に、過去の作例を送ってほしいと依頼した。すると送られてきたのはこれらの写真だった。

Arizona. photo by KEIBUN MIYAMOTO

Arizona. photo by KEIBUN MIYAMOTO

なんだこれは。私が見せてくれと頼んだのは人物写真だ。ユアン・マクレガーや中田英寿、マイケル・ジョーダンなど、多くのハリウッドスターやスポーツ選手を撮影していると聞いたのに、これは風景写真だ。

撮影当日、スタジオに現れた彼は「今日撮る俳優さんは、最初から僕を指名しているんだからいいじゃないですか。僕がどんな人間かわかる写真のほうがいいでしょ」と言った。

それが宮本敬文との出会いだった。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/80sec. JPG

スタジオには、見たことのない巨大な箱のような撮影ブースが組まれていた。何重にもバウンスするストロボ、中の様子は見ることができない。「これは、僕がニューヨークで自分なりに作り上げた撮影方法で、誰にも真似できないと思う」

これでは俳優の顔が見えない、と文句を言うと、「撮影中の顔見てもしょうがないでしょう。できた写真見てください」と、よく考えるとその通りの答が返ってきた。

撮影から締め出されてしまうと、やることがない。私はやけくそで、たまたま持ってきたローリング・ストーンズのCDを大音量でかけた。

すると、写真家は箱の中から飛び出してきた。「これ、誰が持ってきたの? あなた? いいね! 最高だね! いま、カメラの前で役者さんも一緒に歌ってるんだよ、中に入って!」

こうして私は、ふだんは広告主も代理店も入れない、写真家の仕事場で歌って踊ることになったのだ。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/640sec. JPG

だが、撮影が終わってからもひと悶着あった。後日、彼に「撮影した画像を全部デジタルデータで送ってくれ」と頼んだら激怒されたのだ。

「デジタルデータ? そんなものは渡せません。それはただのデータです。それはあなたが今言ったように【画像】です。僕が選んで、印画紙に焼いたものだけが【写真】です。それだけが人間の記憶に残るんです」

私はそのとき、「写真、記憶…。ああ、デッカード」と言った。

すると彼は「デッカード! そうだよ‼︎ ブレードランナーのデッカードの話を僕はしたんだ。あなたとは、ずっとこれから仕事をしよう」と言った。

映画『ブレードランナー』でハリソン・フォード演じるデッカードは、古い家族の写真を部屋に飾っている。本物の記憶なのかどうか映画の中では定かではないが、印画紙に焼かれた写真だけが人間の記憶に直結していることを表すシーンだった。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/125sec. JPG
ミッドタウンの一部が
サイエンス・フィクションのように
青白い光を放ち
時々 通り過ぎる緊急車のサイレンでさえ
全世界でいちばん
愛しいノイズ に感じていた
ー 佐野元春『N.Y.C 1983~1984』

その日から10年間、私たちは何度も仕事をし、また、意味もなく会った。

彼はいつも電話で名乗らない。「焼き鳥屋にいるんだけど、すぐ来れる?」「うどん食べに大阪来てるんだけど、すぐ来れる?」

屋台でふたり飲んでいると、女の子の集団に写真を撮ってくれとスマホを渡される。私は「彼は有名なカメラマンなんだよ」とスマホを預ける。泥酔した彼はブレブレの写真を撮る。女の子たちは「カメラマンとか、ウソでしょ」と笑う。きっといまもだれかのスマホに、宮本敬文が撮った一枚があるはずだ。

いい歳して泣き声の彼に呼び出され、氷点下の真冬、六本木から千駄ヶ谷までふたりで歩いた夜もあった。

私たちは、会うたびに何かにレンズを向け、何かにシャッターを切り、撮ることについて果てもなく話した。いまここで撮ること、そして思い出すこと。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/1000sec. JPG
汚れたベンチ
ストロベリーワイン
道端のサンディペーパー
小鳥たちもさびしそうさ
君がいなければ
ー 佐野元春『日曜の朝の憂鬱』
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f10 1/640sec. JPG

だが、男はある日、突然、いなくなった。私の手元には、一冊の本だけが遺った。

SIGMA fp +SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary | f/4 1/200sec. JPG

『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』。

彼が、僕の友達だったと話してくれた犬。ニューヨークでいっしょに暮らした犬。ウイスキーと名付けられた褐色の犬。その犬も、もうこの世にはいない。

私は、ここにはいないふたつの生命と話すために、この街を訪れたのだ。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/640sec. JPG

ニューヨークを歩くにあたって、私が持っていったのは、SIGMA fpだ。

この、ギリギリまで小さい箱の中に35mmフルサイズのセンサーが押し込まれている。合わせるレンズはSIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary、こちらも小さく、軽い。

ふたつ合わせても、鞄の中にフルサイズセンサーのカメラが入っているとはとても思えない。

SIGMA fp +SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary | f/2.8 1/50sec. JPG
SIGMA fp +SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary | f2.8 1/50sec. JPG

開放で撮ると、合焦したところのシャープさと、それ以外の部分とのゆるやかなボケ味のつながりの美しさに声が漏れてしまう。
ただ、街を撮るときに広い画も欲しい。

そこで14-24mm F2.8 DG DN | Art も持っていく。これは以前出たキヤノンマウントの14-24mm F2.8 DG HSM | ArtのLマウント版で、明るさも同じなのにぐっと小さく軽くなっている。
右が、Lマウントだ。

SIGMA fp +SIGMA 14-24mm F2.8 DG DN | Art | f7.1 1/640sec. JPG
SIGMA fp +SIGMA 14-24mm F2.8 DG DN | Art | f2.8 1/30sec.JPG

これらを鞄に入れてもまだ軽い。不安になった私は結局前から持っていたフルサイズのボディに、SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Artもつけていった。どこまでも荷物を少なくする勇気のない男である。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/60sec. JPG
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/80sec.JPG

本とカメラを携え、19 West 31st Streetへ。
ニューヨークに着いた私は、写真家を目指す青年の足取りを辿る。

SIGMA fp +SIGMA 14-24mm F2.8 DG DN | Art | f2.8 1/80sec.JPG

“ 1988年9月9日、僕はどんよりと曇ったJFK空港に降り立った。

僕は22歳。大学を出たばかり。何もかもが不安でしっかり立っていることさえおぼつかない。

あきれることに、今晩泊まるホテルさえ予約をしていなかった。

階段を3段上がり重いドアを開けてホテルのロビーに入る。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/50sec. JPG

“おばさんはきついヨーロッパ訛りで「ここは昔LIFEという雑誌社の本社ビルだったんだよ」と教えてくれた。”

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/8sec. JPG

“この街で初めて泊まる所がここならば、いろいろうまく進んでいきそうな気がして、心がほんの少し軽くなった。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より

孤独のうちに写真を学ぶ若者は、やがて一匹の犬とめぐり合い、生活をともにする。

5th Ave.が突き当たるアーチをくぐる。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f5.6 1/80sec. JPG

“ウイスキーの一番のお気に入りは、ワシントンスクエアパークのドッグランだ。ワシントンスクエアパークはニューヨーク大学の古いブラウンストーンの建物に四方を囲まれたとても雰囲気の良い公園だ。”

“俳優やミュージシャンもよく目にした。レニー・クラヴィッツがちっこいチワワを抱いていたり、ユマ・サーマンがスッピンで犬のウンチを拾っているのは、なかなかの光景だ。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より

私は、夏にウイスキーが飛び込んだであろう噴水をいつまでも眺めていた。水は、こうして弧を描いているが、もとの水ではない。そんな、ありきたりなことを思いながら。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f6.3 1/80sec. JPG

“一人で犬を眺めながら、色々なことを考え、色々なことを学んで、色々な決断をした。ウイスキーは僕の人生最良のパートナーだ。ウイスキーがいなければ僕のニューヨークでの生活は全く違っていただろう。僕があの厳しい街で生きていけたのは、彼が側にいてくれたお陰だ。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4.5 1/40sec. JPG
届けるつもりだった花束は
E.14thの巨大なガベージに
捨ててしまった
ー 佐野元春『N.Y.C 1983~1984』
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4.5 1/100sec. JPG

“Memories, you’re talking about memories.”

宮本敬文の口癖だった言葉、『ブレードランナー』のデッカードの台詞だった言葉が、どこからか聞こえてくる。

彼と、彼の犬は、ここへ訪れた。そして彼らはここを離れた。いま、私はこの街を訪れた。そして知らない記憶を、訪れる。

だれもが訪問者なのだ、そう思った。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/125sec. JPG

“マンハッタンの4分の1は、真ん中にあるセントラルパークで占められている。一つの島でしかなく、狭いマンハッタンにこれだけの大きな自然が残っているのは素晴らしい奇跡だ。ウイスキーと僕にとっては、このセントラルパークがニューヨークで一番思い出深い。コンクリートのマンハッタンの中にいて季節を感じるのは、セントラルパークを訪れた時だ。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より
SIGMA fp +SIGMA 14-24mm F2.8 DG DN | Art | f3.5 1/250sec.JPG

記述を頼りに、足取りの再現を試みる。

“ウイスキーはもの凄い力で、僕を引っ張って、セントラルパークを目指してズンズン進んでいく。イースト87th ストリートの入り口から公園に入る。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より

ここだな、イースト87th ストリート……ここに入り口は、

……ない。ないよケイブンさん。この壁は古いよ。きっと、昔からイースト87th ストリートからはセントラルパークには入れないよ。勘違いだよケイブンさん。

こういうのも、実際に行ってみないとわからない。来てよかった。書籍が重版されるときには、直しの指摘を出版社にしよう。

はい、ほんとの入り口は90th ストリートにありました。はい。

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f5 1/160sec. JPG
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/1250sec. JPG

“リューシュを外した瞬間にウイスキーはそこらへんを走り回り、喜びを爆発させる。しばらくの間、彼を自由に走らせて、僕はいつも座るベンチに座り、ベーグルをかじりながら本を読む。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より
SIGMA fp +SIGMA 14-24mm F2.8 DG DN | Art | f6.3 1/800sec. JPG
Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/1000sec. JPG

“「ニューヨークで一番好きな所はどこですか?」と聴かれたら、僕は悩まずに「セントラルパーク!」と答えるだろう。

僕が好きなのはウイスキーと行くセントラルパークなのだ。”

Canon EOS 6D MarkII +SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | f4 1/100sec. JPG

“もしも、もう一度人生をやり直せても、僕は全く同じ行動をするだろう。
ニューヨークへ行き、写真家に成り、犬を飼う。”

1996 Somewhere between Nevada and Utah. photo by KEIBUN MIYAMOTO

“「人間は死んだら、一番良い思い出の中で永遠に生きていく」と聴いたことがある。僕は死んだらウイスキーと車に乗って終わりのない旅をしよう。”

ー『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』より
KEIBUN MIYAMOTO (1966ー2016)
闇と光とがひとつに結ばれるまで
クロスワードパズル解きながら
今夜もストレンジャー

これはすべての
現在に関わりある人々についての
ストーリーなんだ

ー 佐野元春『N.Y.C 1983~1984』

“Memories, you’re talking about memories.”
この2019年のニューヨークの記憶を、宮本敬文の愛する家族に捧げる。私もまた、どこからか来て、どこかへ去っていく訪問者なのだ。

出典:
宮本敬文『ウイスキー!さよなら、ニューヨーク』
(マガジンハウス)

佐野元春『N.Y.C 1983~1984』

Copyright 2001 M’s Factory Music Publishers, Inc. Sony Music Entertainment, Inc. All rights reserved.

宮本敬文

photographer

1966年埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。日本大学芸術学部、New York School of Visual Arts大学院修了後、N.Yにて活動を開始。俳優ユアン・マクレガーの肖像写真で脚光を浴び、2002年に帰国後は広告、雑誌、CF等で活躍。 作品集に中田英寿写真集『戦いの前の素顔』、SMAPドキュメンタリー・フォトブック『Snap』、カンボジア・アンコール小児病院を捉えた『GIFT』など。2012年11月劇場映画初監督作品『The Moment. —写真家の欲望—』発表。https://www.keibun-miyamoto.com
2016年8月3日、脳出血にて死去。

田中 泰延

1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。「青年失業家」「写真者」を名乗り活動を始める。2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。Twitter:@hironobutnk

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