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第六話|45mm F2.8 DG DN | Contemporaryを語る

2019年7月、シグマは新しいコンセプトを持ったフルサイズ用小型標準レンズ45mm F2.8 DG DN | Contemporaryを発売した。この一見凡庸に見える「45mm F2.8」というスペックの中に、実は語り尽くせないほどの物語が存在する。今回はこのレンズの背景、性能、特徴などについて語っていきたい。

F2.8というスペック

45mm F2.8 DG DN | Contemporaryを発表した際、このレンズの特徴である高品位な金属外観とコンパクトなサイズが大きな話題となった。半面、「F2.8」という暗いF値に違和感を覚えた方も少なくなかったようだ。なぜなら一眼レフレックス時代の標準レンズといえばF1.4が普通で、廉価版でもF1.8~2くらいの口径比を持っていた。F2.8は高解像を重視するマクロレンズか、あるいは標準ズームのF値であり、F2.8の単焦点標準レンズなぞ1950年代のレンジファインダー用の廉価版標準レンズまで遡らなければ見つけることが難しい。

それでもあえてF2.8を選んだ理由は「フルサイズミラーレスカメラ用の常用レンズ」という目標を達成させるため、サイズ、光学性能、最短撮影距離、ビルドクオリティという4つの要素を優先させたためである。これら4つの相反する要素を実現するにはF2.8というF値が必要だったのである。

そもそも一眼レフレックス時代の標準レンズに明るいF値が求められたのは、明るくて深度が浅いファインダー像が欲しかったからに他ならない。カメラのファインダーがLCD/EVFに変わり、レフレックスファインダーより明るく、しかも被写界深度が正確に表現できるようになったミラーレスデジタル一眼であれば「コンパクトなF2.8標準レンズ」という製品も十分成り立つと判断したのである。広い意味ではSONY用のSonnar T*FE 35mm F2.8 ZAに似たコンセプトともいえるだろう。

強靭な金属鏡筒

このレンズの特徴として最初に目につくのは高いビルドクオリティと優れた操作性を持つ金属製の鏡筒だ。生産性の高いアルミ鋳造部品をあえて使わず、シネマレンズの外観部品にも用いられている棒材のアルミ合金から削り出した後部筒、絞りリング、マニュアルリング、フロントリング、フードなどの外観部品は、高い剛性と耐久性、そして金属感あふれる美しい外観を誇る。
そしてこれらの部品の高い剛性に加え、極めて高精度な切削加工と長年の機構設計のノウハウにより、絞りリング、マニュアルリングの操作感触を最上のものに仕上げることができた。
また、フードの着脱感触にも非常にこだわった。通常ならプラスチック部品1つで成立するものを、アルミ製のフード本体に着脱用の別部品をビス4本で締結するという贅沢かつ精緻な構造を採用することによって、美しい金属外観とスムースで小気味良い着脱感触を両立することに成功した。
見て良し、触って良し、操作して良し、のレンズ鏡筒である。

最大の特徴は光学性能

このレンズの開発で最初に問題となったのが「光学性能」である。正直に言うとこの約46mmという製品全長ではレンズ枚数が制限されることもあり、Artシリーズのような「全域で高いMTF性能」を得ることは難しい。しかもインナーフォーカスで最短撮影距離を短くしたためフォーカスレンズの移動にスペースが食われてしまい、ますますレンズ枚数が増やせない。どう頑張っても他社の製品と同等か若干上回る程度の性能に落ち着いてしまう。しかも高解像ばかりを追いかけていくとボケが汚くなりがちだ。
この45mm F2.8というスペックからも想像できるように、そもそもボケが小さめなこのレンズでボケが綺麗でないと、どうしても荒れた雰囲気の写りになってしまう。
MTFが上げられない上にボケが汚い。この問題について、光学設計担当者から驚くべき提案が出された。それは「ボケ味最優先で設計したい」というものである。

美しいボケと描写

ボケを美しくなだらかにするには球面収差が鍵となる。光学設計者からは、単に球面収差を「補正」するのではなく、球面収差を明確に残しつつしかも高度なコントロールを行い、特にボケが顕著に出やすい中~近距離では明確に球面収差によるフレアーを発生させ像を滲ませる、という手法が提案された。この収差図を見たとき、私は正直当惑した。「これではまるでクラシックレンズではないか」と思えたのである。
しかしその後、この光学設計をじっくりと読み解いていくと、クラシックレンズとは異なる描写であることがわかってくる

  1. 球面収差由来のフレアーが大きいので全体的にMTFが低くなるが、球面収差以外の収差、特に色収差はきっちりと抑えられているので高周波域のMTFは意外なほど高い。つまりうっすらとヴェールがかかったような描写だが解像力は非常に高いのだ。
  2. 残っている収差は球面収差なので、2段絞るとArtシリーズにも負けないくらいの高いMTFを得ることができる。
  3. 球面収差は無限付近では少なく、近距離になるに従って増えていくよう設計することで、ボケにくい遠景はシャープに、ボケが出やすい近景はボケを美しくすることに成功している。

こうしてこのレンズの設計を理解するとむしろワクワクしてくる。クラシックレンズとは一線を画すこの個性的な収差設計のレンズ、いったいどんな写りになるのだろうか、と。

撮影:大曽根康裕
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実写してわかる絵の美しさ

そして2019年2月、ついに試作品をテスト撮影することができた。収差図だけ見てワクワクしていた性能が体験できるようになったのだ。そしてその写りを見て期待は確信へと変わった。美しい、実に美しい描写なのだ。確かに予想した通り近距離での光学性能は高くない。ボケダマと言われる可能性も否定できない。しかしこの球面収差由来の華やかでソフトなフレアーと、そのフレアーにシームレスでつながったようなボケ像に思わず唸ってしまう。レンズの良し悪しはMTFだけで測ってはいけないと改めて実感した。
しかも、幸いシグマには光学性能を最優先にして作られた大口径Art単焦点シリーズがある。45mm F2.8 DG DN | ContemporaryはArtとは違う道を進むのが良い、と思えるようになった。

新しい標準レンズ

SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporaryは「フルサイズ用交換レンズの小型化」と、「SIGMA fpという小さなフルサイズカメラの標準レンズ」という2つを目標にして作られ、それを美しい描写性能と高いビルドクオリティ、そして24cmという使いやすい最短撮影距離という3つのユニークな個性で成り立たせてしまった稀有なレンズである。そしてそこに至るまでには多くの悩みと難しい判断があったこともまた事実である。このレンズを手にしたお客様には、その判断がひとつの正しい解であったことを実感して頂けるだろう。

Yasuhiro Ohsone

株式会社シグマ 商品企画部長

1987年入社。光学、メカともに開発の現場を歴任し、他社との協業も数多く担当。2013年より現職。

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