SIGMA meets SEEKERS vol.7

Spring/2016

[その先を追う表現者たち]

Kenryu Nakamura

異であることを尊重し、異を楽しむことから
本当の「イノベーション」は生まれる

  • 中邑賢龍さん東京大学先端科学技術研究センター教授

高度な専門知識に自由な発想力と実装力を掛け合わせ、新たなソリューションを生み出して、世の中を変えていく。
多様さが当然である新たな社会を追求し続ける中邑賢龍さんの異から生まれるイノベーションとは。

text : SEIN編集部 photo : Kitchen Minoru
lens : SIGMA 50mm F1.4 DG HSM|Art、SIGMA APO 70-200mm F2.8 EX DG OS HSM

「僕のプロジェクトに共通しているのは、みんなが好きなことをして生きていける社会をつくっていこう、という想いです。社会に合わせて人を変える教育は、もうやめよう。親から授かった特性のまま、もっと人が自然に生きていける社会をつくろう。みんな、そこに向かっているんです」
中邑賢龍さんは、開口一番そう言った。不登校傾向にある小・中学生の「異才」を発掘するプロジェクト「ROCKET」や、障害や病気を抱えた子どもたちのための大学・社会体験プログラム「DO-IT Japan」。あるいは、パソコンやICレコーダーなど、身の回りにあるテクノロジーを用いることで、障害を持つ人の可能性を広げる「アルテク」。東京大学先端科学技術研究所というテクノロジー開発の最先端に身を置きながら、彼のプロジェクトはある意味で、いわゆる科学技術とは真逆にある。
大切なのは、その人が問われていることの本質は何なのか、ということ。そう語る彼が人間支援工学に取り組むようになった背景には、一つの原体験がある。それは、心理学を学んでいた学生時代の、ある言語障害者との出会い。
「彼は、話せないというストレスから胃痛を訴えていたんですが、何しろ『ウウッ』としか発声できないから、どうすればそのストレスを解消できるのか分からない。試行錯誤するうち、ウウッと声が出るんだったら、その声でコンピュータを動かせばいいんだ、と気づいたんです」
中邑さんが製作したのは、発声に応じてバットがスイングする野球ゲーム。試してもらうと、胃の痛みは見る見るうちに消えていったという。
「そのゲームでは彼も僕も『ウッ』とやるだけで意思疎通ができるわけで、対等になるんですね。テクノロジーが人を等位に揃えてくれた。そこから人間支援工学の道に入っていったんです」
百人百様のハンディキャップに象徴される個々の課題や、人材や資金の不足といった社会的な課題を、「テクノ福祉」という学際的なアプローチで解決する。専門的な知識や技術をベースとしながらも、イノベーティブな新しい視点・発想によってプログラム化し、社会的に還元できるものにする。それが、中邑さんが追求する人間支援工学の在り方だ。
一方で中邑さんは、従来のアカデミックな研究室とは異なる組織マネジメントにも挑んでいる。昨年教授職を辞し、現在の肩書き は「特例教授」。

国の予算で雇用されるのではなく自ら得た外部資金で自分を雇う、独特なスタイルだ。スタッフも、彼が一緒にやりたいと思うスタッフを非常勤雇用するという。
「ロボットクリエイターの高橋智隆くんなんて、いきなり電話して、『うちで一緒に仕事しません? 好きなことやっていていいですから』と呼びました。そしたらホントに好きなことばっかりやってる(笑)。彼らは論文よりも作品で我々を刺激する。それを我々が論文の中で発信すればいい。これが僕らの新しいチームの方向性です。一方で、そんなことができているのは、今の大学だから。この大学で社会が注目してくれるうちに仕事をやりきって、その価値を最大化させないと。それも僕らの仕事だと思っています」
獲得した自由と対になる責任をさらりと語り、「本当は彼らといると単純に面白いだけ」と笑う中邑さん。その笑顔の裏にはもう一つ、彼のエネルギーの源泉が隠されていた。それは“怒り”。
「今の日本には、成人でありながら行き場もなく、心傷ついている人たちが大勢います。彼らを追いつめているのは教育です。生まれた時からの特性が違うのに、『なぜあの子のようにできないんだ』『努力が足りない』、あるいは『病気だから薬を飲め』。ひどい話ですよ。一度社会のメインストリームから外れた人たちを元に戻すのは、ものすごく大変なこと。どんなにサポートしたって、途中であの世に旅立ち、消えていく子もいます。なぜそこまで追い詰めるんだ、何であいつが死ななきゃいけなかったんだと、ただ腹が立つ。その怒りが、僕のエネルギーです。ヘンでいいじゃないか、空気が読めないからイノベーションが起こせるんだ。「変人」を抱え切り、変人が堂々と変人で生きられる社会をつくろう。それに尽きるんです」

2014年発足のROCKET(Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents)。初年度は応募者600名の中から小中学生15名が参加。

求められるのは、既存の組織の中で多様性を認めていくことではなく、多様性を当たり前とする新しいシステム。その二つは対峙するものではなく、共存できるものなのだということを、世の中に分かってもらいたいと中邑さんは語る。彼と仲間たちは、本気で社会を変えようとしている。
「もちろん本気です。大学の先生は論文で評価されるものかもしれないけれど、僕たちは、社会を変えることで評価されたいと思っている。そういう人も必要でしょう? そのためにありとあらゆる仕掛けをしていくし、実際に確実な手応えも感じています。DO-IT Japanも10年活動を続けてきて、大学入試への支援ツール導入など、入試制度が大きく変わってきました。社会はこれから、動いていきますよ」

My favorite photo books | Kenryu Nakamura

記録としての写真の価値を感じる

中邑賢龍さんの趣味は50-60年代の北欧家具の収集。部屋にはこれまでに集めたチェアやソファなどが使われており、ご自身で修繕もされるというのですから、もはや趣味の域を越えています。そんな中邑さんが、「写真家の作品ではないけれど」と紹介してくださったのが、デンマーク家具の40年の歴史を凝縮した『40 Years of Danish Furniture Design 19 27-1966』。「プロダクトデザインのすばらしさはもちろん、モノクロの写真も実に美しい。記録としての写真の価値を感じさせてくれます」。

『40 Years of Danish Furniture Design 1927-1966』/コペンハーゲンのキャビネット・メーカー組合が開いた展覧会を、家具デザイナーとして活躍したGrete Jalk(グレーテ・ヤルク)の監修で書籍化した4冊セットのカタログ。当時のデンマーク家具や空間デザインに関する資料としても、静謐なモノクローム写真の美しさを楽しむ写真集としても貴重な作品。

中邑賢龍

東京大学先端科学技術研究センター教授

香川大学教育学部助教授、カンザス大学、ウィスコンシン大学客員研究員などを経て、2005年に東京大学先端科学技術研究センター特任教授に就任。08年より同センター人間支援工学分野教授。心理学・工学・教育学・リハビリテーション学だけでなく、デザインや芸術などの学際的・社会活動型アプローチによりバリアフリー社会の実現を目指している。著書に『発達障害の子どもの「ユニークさ」を伸ばすテクノロジー』など。

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