夜の街に漂うムードに魅了されていた写真家

text: ブラッサイ

2019.10.23

夜のパリを撮った写真家として知られるブラッサイ。そのどこか頽廃的で妖しい雰囲気に包まれた写真は、パリのキャバレーの様子を描いたロートレックの絵や「黒いヴィーナス」と呼ばれたジョセフィン・ベーカーが人気を博していた享楽のパリの時代を思い起こさせます。一方、僕がこのブラッサイのことを知ったのは、アメリカのシンガーソングライターであるリッキー・リー・ジョーンズが1981年にリリースした『パイレーツ』というアルバムの夜の暗がりで見つめ合う恋人たちの写真だったのですが、二人の吐く白い息が印象的な一枚がアルバムの親密で気だるいヴォーカルによく合っているなぁ、いったい誰が撮ったものなのだろうとクレジットを見て初めてブラッサイという名前を知った次第なのです。

ブラッサイは19世紀末も押し迫った1899年にハンガリーに生まれ、絵と彫刻を学び当初写真にはそれほど興味を持たなかったそうです。しかし同じハンガリーの出身で先にパリに移り住んでいたアンドレ・ケルテスからカメラの使い方や撮影のノウハウを学んだことで、当時の仕事が新聞記者だったということもあって、自身の記事に添えるための写真を撮るようになっていきます。しかしながらブラッサイが心の底から撮りたかったものは夜な夜な繰り広げられていた夜のカフェやキャバレーにおける妖艶な世界であり、本名でなく「ブラッサイ」という偽名を使う必要があったのも、おそらく娼婦やポン引きや女装趣味や男装趣味の人たちが潜む怪しげなアンダーグラウンドシーンにおいて、身の危険を冒しながら撮影を行っていたからかもしれません。

Couple in a Café, near the place d’Italie, c.1932 © Estate Brassaï Succession, Paris Photo © Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Jacques Faujour / distributed by AMF © Estate Brassaï - RMN-Grand Palais

1930年代初頭に、明かりが乏しい仄暗いキャバレーや夜の通りで撮影をすること自体、技術的にかなり難しかったのは容易に想像できるわけですが、ブラッサイは小型プレートカメラを三脚に備え付け、いざ準備が完了すると、数年前に売り出されていたマグネシウム(閃光粉)フラッシュをバシャと焚いて撮っていきました。撮影時にはいくつかの裏技を使っていたらしく、そのうちのひとつが「セットアップ」という手段であり、彼は撮りたいイメージをあらかじめ決めフラッシュを置く場所を整えて、モデルにもカメラの前でごく自然に見えるようにポーズを取ってもらっていたというのです。

そうやって苦心しながら撮りためたものを、やがて『夜のパリ』と題して出版したのが1932年のことでした。雨に濡れて黒く光る石畳の写真が表紙を飾ったこの本こそ実は最初の写真集とも言われているのですが、人工の光によって暗闇に浮かび上がる街角やカフェに集う人々を撮ったものは驚くほど臨場感溢れ、難しい条件にもかかわらずファンタジックな被写体たちの魅力やその場の雰囲気が絶妙なくらいに写し出されています。それを可能にしたのは、ブラッサイの卓越した技量に加えて、人々の懐にすっと入っていける彼の人柄によるものも大きかったようで、さまざまな細工や工夫を凝らし自然に見せることを習得していたこの先進的な写真家がいま再び評価が高まっているのも、納得がいくところなのです。

ブラッサイ

1899年ハンガリー生まれ、1984年没。ブラッサイとは「ブラッショーから来た男」を意図とするアーティスト名で、本名ジュラ・ハラース。ブダペストで彫刻や絵画を学び、オーストリア=ハンガリー帝国軍に従軍した後、1924年にパリへ移りジャーナリストとして働き始める。文化人やアーティストのたまり場だったカフェに通い、そこで出会った人々を撮りためたものを『夜のパリ』と題し出版するや一躍注目を浴びる。多彩な才能を持ち合わせ、写真だけでなく絵や彫刻や映画に加えて詩や小説も執筆。またピカソやマチス、ジャコメッティらとも親交を持ち、パリ留学中だった岡本太郎とも知遇を得ていた。三脚に備えた大判カメラが目の前にあるはずなのにごく自然な感じがするブラッサイの写真は、モデルとの距離感をあまり感じさせないことが魅力であり特徴である。夜のパリを解釈し表現するために撮影前にモデルとの雰囲気作りを行うなど、その多くが計算されたうえでの「創られたイメージ」として撮られていた。

河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジへ留学し、卒業後はニューヨークに拠点を移し、現代アートや写真のキュレーションや写真集の編集を数多く手がける。長年にわたった米国生活の後、2011年1月に帰国。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口』(太田出版)を刊行。2017年1月より京都便利堂のギャラリーオフィス東京を拠点にして、写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した海外事業部に籍を置き、ソール・ライターやラルティーグのなどのポートフォリオなどを制作した。最新刊として『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)がある。

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