片腕のプラハの詩人

text: 河内 タカ

Autumn/2015

「窓の撮影を開始し、時たま窓の周辺でなにかとても大事なことが起きていることを発見した。花や石が静物から離れて、ある独立した写真を作り上げていたのだ。そもそも写真というのは平凡なものを好む。私はアンデルセンの童話のような、命を持たない物を被写体にして写真によるストーリーを語りたいんだ」——Josef Sudek

チェコの写真家であるヨゼフ・スデックは、その独特の光と影の世界観によって「プラハの詩人」、または「光と影の作家」などと呼ばれている、東欧を代表する写真家です。彼はまだ20歳の時、不幸にも第一次世界大戦へ出征中に右腕を負傷し、切断するはめになったのですが、三脚を付けた大判カメラを残された左腕でかつぎ、早朝のプラハや静寂に満ちた森の風景、またはアトリエの静物を実に詩情豊かに撮った作品で知られています。

日日好きなクラシック音楽を聴きながら、自身のアトリエの窓辺で起きていた繊細な「ドラマ」を撮り続けたヨゼフ・スデック。 ©DR

片腕を失ったことで生活補助金を受け取ったスデックは、そのほとんどのお金を興味があった写真を学ぶための学費につぎ込み、やがて20代中頃から活動を始めました。それからどうにか商業写真家として生計を立てながら、友人の写真家ヤロミール・フンケと共に新しい写真表現を目指した「チェコ写真協会」を創立したり、仕事とは別の耽美的な写真を撮り続けていました。

『セント・ヴィート大聖堂』シリーズからの一枚。砂利と神々しい光に照らされた聖堂内との対比が不思議な世界観を創りだしている。 ©DR

そのパーソナルな作品の代表作ともいわれるのが、プラハ城の中にあった大聖堂を撮ったシリーズです。彼はその聖堂が修復されている間、窓から差し込む神々しい光に満ちた堂内を撮りため、そこから厳選した15点を『セント・ヴィート大聖堂』と題し出版したことで、東欧のみならず広くその名が知られるようになっていきました。また、スデックのもう一つの代表作である『The Window of My Studio』は、自身の仕事場の窓辺にポツンと置かれたコップやバラや卵やパンなどを、窓ガラス越しの風景と共に写し撮った繊細な作品であり、スデックの冒頭の言葉はまさにこの窓際にたたずむ静物のことに触れているのです。そこに写されている光景はどこか汚れのない永続性に満ちた美といったことが表現されているようであり、そういった感性に、ぼくはヴォルフガング・ティルマンスが撮る窓辺写真にも影響を与えたのではないだろうかと思いを巡らしたこともありました。

生前のスデックは特定の思想や政治的な関わりを極力避けていたそうで、だからなのか彼の撮るものに人が登場することは極端に少なく、自身のアトリエかその周辺、または人気のない公園や森を好んで撮影していました。また、クラシック音楽をこよなく愛しており、足の踏み場もないほどの散らかった仕事場に置かれた蓄音機で、好きなレコードを聴きながら独自の世界観を築いていったのでしょうか。生涯独身を貫き、自分の展覧会のオープニングにさえ顔を出すことがなかったというスデック。そんな孤独を好んだ写真家が残してくれた繊細で詩情に満ちた写真を見ると、その芸術性の高さと魂が息づくような美しさに、ただただ心が洗われてしまうわけなんですよね。

河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジへ留学し、卒業後はニューヨークに拠点を移し、現代アートや写真のキュレーションや写真集の編集を数多く手がける。長年にわたった米国生活の後、2011年1月に帰国。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口』(太田出版)を刊行。2017年1月より京都便利堂のギャラリーオフィス東京を拠点にして、写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した海外事業部に籍を置き、ソール・ライターやラルティーグのなどのポートフォリオなどを制作した。最新刊として『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)がある。

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