2018.09.20

KG+2018 × SIGMA REPORT

特別鼎談 KYOTOGRAPHIEパブリックプログラム
SIGMA presents Special Talk
「“写真で生きていく”ということ」

「“写真で生きていく”ということ」前編

仲西祐介 × 中島佑介 × トモ・コスガ

KG+2018×SIGMAメインプログラムの最後を飾ったのは、KYOTOGRAPHIEパブリックプログラムとして開催された特別鼎談「“写真で生きていく”ということ」。日本では「写真のプロ」というと商業写真家か作家(写真集出版)が一つの理想として想起されるものの、真の写真文化の振興には多様な「写真で生きる道」があっていいのではないか。そうした問題意識から、KYOTOGRAPHIE/KG+共同創設者/共同ディレクター仲西祐介さん、「TOKYO ART BOOK FAIR」のディレクターであり、ブックショップ「POST」ディレクターでもある中島佑介さん、そして深瀬昌久アーカイブスのディレクター、トモ・コスガさんが、「写真」を仕事とすることの面白さ、難しさ、国内外の市場性の違いや展望を語り合いました。

日本発の「KYOTOGRAHIE」

仲西:僕らが「KYOTOGRAPHIE」を始めることにしたきっかけは、2011年の東日本大震災でした。さまざまな事象に際して、日本は国際社会からどう見られているか、日本から何を発信できるのか、が問われた時期だったと思います。ちょうどその年の夏、南フランスの「アルル国際写真フェスティバル」に行ったんですね。「写真大国」フランスで40年以上開催されている写真祭なんですが、毎年世界中から名だたる写真関係者が集まって、アーティストの最新情報やビジネスの情報交換をするんです。

中島:世界最大規模のフォトフェスティバルですからね。

仲西:日本の写真家や写真界の動向は世界から注目されているにもかかわらず、現地には日本人がほとんどおらず、適切な情報発信や活発な交流の機会もない状況でした。これは何とかせねばと、帰国してからいろんな人に「日本でも写真祭をつくって情報発信しなければ」と相談したんですが、写真祭は事業採算性や運営の負荷も大きいから誰もやりたがらない。かといって誰かが始めなければ、という強い思いから「だったら自分たちでやるしかない」と始めたんです。

コスガ:すごいことですよね。たくさんの方々や知恵、資金の協力が必要でしょうし、行政と連携するとなれば想像を絶するご苦労があると思います。

仲西:震災当時、僕は東京に住んでいたんですが、日本では人も経済も情報もすべてが東京に一極集中化し過ぎていて、それがかえって混乱や低迷の原因になっていると感じたんです。何かを始めるなら東京以外の場所で、東京を通さずに直接海外に発信できる力をつけるべきだと思って。で、世界中から人が来たがる日本の街といえば「京都しかない」なと。京都には何のツテもなかったのですが、ポテンシャルには確信が持てたのでゼロから始めました。

コスガ:先程、お話に出てきた「アルル」では昨夏、深瀬昌久の回顧展を催させていただいたのですが、先ほど仲西さんがおっしゃった通り、「アルル」は世界中の写真関係者が一堂に会する場所。今年9月に発刊する深瀬の集大成とも言える写真集『MASAHISA FUKASE』は、それこそ仲西さんとルシールに紹介してもらったグザヴィエ・バラルにアイデアを提案したことから立ち上がったプロジェクトでした。

「アルル国際写真フェスティバル2017」で開催された深瀬昌久の回顧展「THE INCURABLE EGOIST」

日本で写真マーケットをきちんと育てるために

コスガ:写真関連のイベントというと、「KYOTOGRAPHIE」のようなフェスティバル(写真祭)と「PARIS PHOTO」のようなフェア(見本市)がありますが、仲西さんたちがフェスティバルを選んだ一番の理由は何ですか?

仲西:お二人はよく知っていると思いますが、写真って発明当初は「記録」が主たる機能・目的で、やがてそこから芸術写真が生まれてきますよね。さっきの「アルル」も1970年代に写真家や文筆家が個人レベルで立ち上げたものですが、当時はまだ「芸術写真」はメインのジャンルにはなっていなかったはずです。そんな時代にフェスティバルを立ち上げていろんな写真表現の可能性を提示していくことによって、作品をコレクションしたいという人が出てきた。写真が美術館や個人のコレクション対象になっていき、その結果「PARIS PHOTO」のような大規模なフェアができた。

中島:やっぱりある領域が成長し、成熟してマーケットになっていくには時間がかかるんですね。

仲西:そうですね。その意味では、正直に言うと日本は国際的に見ても市場としての成熟はかなり遅れていると思います。写真をコレクションする人は本当に少ないです。そんな状況で形だけのフェアをやっても、本当の意味での成長や発展にはならないので、まずは土壌を豊かにするためにもフェスティバルのほうが優先だろうと考えました。

コスガ:将来的な発展として、フェアも視野に入れてはいるんですか?

仲西:はい。例えば、フェスティバルとフェアが一体化した「Unseen」(オランダ)みたいなスタイルもあるでしょうし、実際に誰がどうやるかは別としても視野に入れるべきだと思っています。基本的には作家は自分の作品で食べていけるのがベストだけれども、あいにく今の日本でそれを成立させるのは難しい。だから創作以外の仕事で収入を得る方法を確保する必要があるのは現実だけれど、やっぱり理想は「作家が作家として食っていけるようにしたい」んですよね。

日本における写真のメインストリーム「出版」

コスガ:深瀬もそうでしたが、日本の写真家たちにとっての発表の場を担っていたのは長らくの間、カメラ雑誌でした。つまり写真プリントは作品というより印刷原稿だという認識が根強かった。そうした時代から月日が経ち、写真を作品として鑑賞する機会は増えたものの、写真を買うという行為には至っていない。

仲西:そうですね。写真雑誌に作品を掲載する、というのは「プロの写真家」の典型的な場でしたよね。あと、プリントは売れないが本は売れるのが日本の特徴なので、自費出版でもいいから写真集をつくって売る。やがてそれが「大手版元で出版されてメジャーデビュー」に至る、という感じで、写真集で食いつないできた歴史もあると思うんです。

中島:確かにそうですね。僕自身は、今恵比寿でやっている写真・アートブック専門書店の「POST」を2011年にオープンしました。それ以前は古書を中心に、自分で海外に買いつけに行って、本当に惚れ込んでセレクトしたものだけを扱っていました。でも、それだとどうしても個人的な好みや価値観に偏った選定になってしまう。書店にはもう少し公共性が必要だと考えて始めたんです。特に、写真集とかアートブックって、初めて芸術に触れる良いきっかけになるはずなので。個人的な視点が強く反映されただけではなく、もう少し開かれた本がセレクトされた書店で写真集を買い、アートに触れ、その後で実際に作品を鑑賞したり購入したりする楽しみにつながればいいな、と考えました。

ブックショップ「POST」

仲西:本当に早い時期から手がけていましたよね。ものすごく尖った傾向だけど、それがいろんな人をひきつけて、写真集の面白さを広く深く伝える場所になっていってますよね。

この時代に写真集がもたらす価値と可能性

中島:ありがとうございます。例えばPOSTでは、毎回、出版社を選び、そこの本を特集して紹介するんです。普段、出版社を意識することって少ないと思うんですが、実際にはすごく特徴があって、一冊の本からは見えない、作り手としての出版社のスタイルを可視化することで、アートや作家との新しい出会いになればと思って。例えば「シュタイデル」というドイツの出版社とか、「MACK」というイギリスの出版社は、それぞれに特徴のある本づくりをしているんです。

「POST」オンラインストアのシュタイデル特集

仲西:写真集というのは、写真家とデザイナーとのコラボレーションといえますよね。

中島:ええ。やっぱり写真展と違って、ページを連ねることでそこにストーリーが生まれたり、手にとってめくるという三次元的な体験を伴う「写真の表現手段」として、とても重要なものだと思います。何より、写真をより多くの人に見てもらう上ですごく有効な手段だなと思いますよね。

仲西:>先日この会場で、今こうして展示されている写真家の伊丹豪さんと、ブックデザイナーの鈴木一誌さんが対談をされたんですけど、写真家とデザイナーの信頼関係ってすごく大事ですよね。

中島:そうですね。写真家が自分の作品について理解するのとは違った客観的な視点がデザインや編集といった共同作業によって生じることで、新しい提示の方法や可能性が備わっていくのは写真集の面白さだと思います。

仲西:今、印刷・製本による出版物がどんどん減って、インターネットでデータ化された画像しか残らず、「写真」の衰退への危惧の声も聞かれるんですけど、僕はそこは楽観視しているんです。写真集には、紙の選び方や表紙といった装丁、判型やレイアウトなど、1冊つくり上げるのにもいろんな手法や選択肢がある。しかも、質の高い写真を本という形で個人が所有できる。この快感は絶対なくならないと思うんですよね。

中島:実際、出版される写真集のタイトル数は世界的にも増えています。本の出版自体のハードルは昔よりずっと下がって身近なものになっていますし、表現媒体としても、またそれを見てもらえる機会もかなり増えていることを実感します。

「日本独自の写真」の源流は1960〜70年代に

仲西:日本は、プリントが売れなかった代わりに独自の写真集文化をつくり上げたと言えるのですが、この点は世界でも結構注目されていますよね。

中島:日本の写真集って、ガラパゴス化というか、1970~80年代に世界の影響を受けずに変な進化をしてきたみたいで。いろんな実験ができる時代に新しい表現が生まれるけれど、そのエキサイティングな感じが70年代とかの写真集を見ていると感じますよね。
伝聞ですが、ジョン・シャーカフスキーというMOMAの写真キュレーターが60年代以降の写真集のあり方を定義したらしいんです。写真集はオリジナルを忠実に再現した図版を掲載するものだとの考えから、「写真集に掲載する写真は絶対にトリミングしちゃいけない。必ず白枠を入れるべきだ」と言ったらしいのです。実際、1960~70年代の海外の写真集を見るとほとんどがそのフォーマットなんです。対して日本の写真集は、トリミングや断ち落としを多用している。あとは、今でこそ世界的に一般的になっている手法ですが、ページをまたいでシークエンスをつくり、ストーリー性を持たせるという、世界の潮流とは明らかに異なった独自の編集がされています。なので、今日の写真集のスタイルの源流をたどっていくと、日本の60年代、70年代の、それこそ荒木経惟さんや中平卓馬さん、森山大道さんをはじめとする当時の写真家の表現がすごく大きかったと思いますね。

アーカイブをどうつくり、どう守るか

中島:経験から思うことなのですが、写真家の方ってイメージや考えを言語化するのがすごく上手ですよね。自分の作品の背景や解釈をテキストにするにしても。写真って視覚的な表現ですが、鑑賞者に作品の理解を深めてもらうための補助線として、やはり言語化は必須の素養なのかなと感じます。

仲西:そうですね。今回KYOTOGRAPHIEでの深瀬昌久展では、アーカイブの重要性を痛感しました。若いトモ・コスガさんが、もう亡くなってしまった深瀬昌久という写真家の作品や資料を整理しれくれたおかげで、我々は今こうして目にすることができている。実はそれができていないケースは多くて、どんなすばらしい写真家でも亡くなってしまったらそのまま死蔵・散逸してしまう、ということもザラです。

仲西:ですから、トモさんのご尽力が実を結んだように、若い世代が偉大な写真家のアーカイブをつくっていく流れがもっと日本の中でも起きてきたら、埋もれてしまっている作品もリバイバルできると思うんですよね。

コスガ:海外だと美術館や大学、あるいはアーカイブを専門とする組織が作品や資料を体系的に管理しているのに対し、日本写真においてはまだまだ手探りの段階と言えるでしょう。というのも、爆発的にカメラが普及した戦後以降から現在に至るまで活躍してきた作家たちが鬼籍に入り始めたことで浮上し始めた課題だからです。作家が亡くなると、大抵は遺族が個人レベルで取り込むわけですが、単に作品を管理するだけでも馬鹿にならない手間と費用がかかる。さらには専門的な技術や知識、そして「作品をどう次世代に伝えていくべきか」というビジョンが求められる。乗り越えるべきハードルがとても高い。

中島:そこは難しいですね。

コスガ:個々の組織がだいたい似たような課題にぶつかるのであれば、先駆的に実践した者たちがガイドラインをつくり上げることもこれからの課題と言えるでしょう。現役の作家が自分の没後をしっかりと考えることも大切なことです。そして世界的に見ても優れたカメラやフィルムを生み出した日本なのですから、国は率先して写真文化を残そうという動きを取るべきだと思います。

作品の保存管理と出版に不可欠なデジタル化

コスガ:写真というのは、プリント=1枚の紙として見ると実感がわきにくいかもしれませんが、作家が一生涯をかけて焼いたプリントとなると少なくとも数千枚、多いと何万枚という枚数になる。その大元になるネガとなると何万、何十万枚でしょう。ですから一人の作家の作品と言えども、保管し続けなければならない作品の物量は膨大なわけです。

仲西:それはそうでしょうね。

コスガ:さらに、プリントやネガの特性上、温湿度といった保存環境の管理を徹底する必要があります。我々のもとに深瀬の作品がやってきた2014年時点で、ネガの中にはビネガー・シンドロームという現象が起きているものがありました。クルクルと丸まってしまっていたり、状態の酷いものではひび割れや気泡が発生していた。プリントにしてもカビが生えていたり。それまで私は、写真というのは消えずに残っていくものだと思っていた。でも、実際には、自然と朽ちていくものなんですね。

仲西:今日ここに来られた方の中でも、実際に写真に関わっている方はいると思いますが、写真家本人の整理能力もかなり影響していますよね。あと、フィルム写真のアーカイブとデジタル時代のアーカイブでも求められるものが全く違うと思うんです。デジタル写真は整理の負荷が軽いようにも見えて、実はデータが消えてしまう怖さもあったり……。

コスガ:データでは、物質として残りませんからね。確かに現在のアーカイブにおいてデジタル化は避けて通れないものですが、一方で「デジタル化した写真の使い道とは何なのか」と感じることもあります。初めからデジカメで撮られた写真は別として、フィルムで撮られ、銀の化学反応によって像を浮かび上がらせた写真をデジタル化して現代に作り直しても、全く同じものにはならない気がしています。

仲西:実際に、デジタル化というのは深瀬アーカイブスはやっていらっしゃるんですか。

コスガ:はい。一般的にスキャナーでの取り込みよりもデジタルカメラでの複写のほうが再現性が優れることから、一枚一枚を複写してデータ化しています。もちろん作品の整理ということではデータ化は必要ですし、海外の出版社で本をつくるというときにも必要になるプロセスですから。今年9月に発刊する新刊『MASAHISA FUKASE』にしても、主にヴィンテージ・プリントを複写したものから図版を作成しました。

中島:色の再現という意味では、やはりカメラで撮るというのが今一番なのかなと思いますね。

コスガ:特に大きなプリントになるとスキャナーでは難しいですしね。

仲西:アーカイブ技術は研鑽と継承が大事ということですね。

コスガ:自分たちなりの基準やルールは大切ですね。例えば私たちの場合、保管しているネガからむやみに没後プリントを作らないと決めています。かのアンセル・アダムスが言ったように、ネガが楽譜なら、プリントは演奏。作家本人がこの世からいなくなってしまったのであれば、できる限り生前、つまり深瀬の場合は1992年までに制作された、いわゆるヴィンテージ・プリントを後世に遺していくべきだと考えています。

仲西祐介

KYOTOGRAPHIE/KG+共同創設者/共同ディレクター

1968年生まれ。照明家。映画、舞台、コンサート、ファッションショー、インテリアなどさまざまなフィールドで照明演出を手がける。「eatable lights」などのライティング・オブジェ,原美術館 (東京)、School Gallery (Paris)、「Nuits Blanche」(京都)でインスタレーションを発表。2013年より写真家ルシール・レイボーズと「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を立ち上げ主宰者として活動する。

中島佑介

TOKYO ART BOOK FAIRディレクター / [POST]ディレクター / KYOTOGRAPHIEポートフォリオレビュアー

ドイツ「STEIDL」社の主要書籍が常に並ぶオフィシャルブックショップであり、出版社という括りで取り扱う本が定期的に全て入れ代わるユニークな書店「POST」を恵比寿にオープン。現在はディレクターとして、セレクトや展覧会の企画、書籍の出版、蔵書コーディネートなども手がける。 2015年からはTOKYO ART BOOK FAIRの共同ディレクターに就任。SIGMA dp2 Quattro ユーザーでもある。

トモ・コスガ

深瀬昌久アーカイブス 創始者兼ディレクター / KYOTOGRAPHIEポートフォリオレビュアー

2012年に没した深瀬昌久の展覧会や出版物の企画を手がける。アート・プロデューサーとして写真分野を中心に展覧会キュレーションや執筆を行う。手がけた展覧会に、深瀬昌久展「遊戯 PLAY」(KYOTOGRAPHIE、2018年)深瀬昌久展「L’incurable Égoïste」(アルル国際写真祭、2017年)、ロジャー・バレン&アスガー・カールセン展「NO JOKE」(Diesel Art Gallery、2017年)、深瀬昌久展「救いようのないエゴイスト」(Diesel Art Gallery、2015年)など多数。深瀬昌久が生涯にわたって制作した40年間分の作品群を網羅する写真集『MASAHISA FUKASE』(赤々舎、2018年9月発刊)の監修・本文を務めた。SIGMA dpユーザーでもある。

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