Thereafter(あれから)

渡部敏哉

首都圏のような人口の密集する都市部では、いたるところで建設工事が進行し、空き地であったり古い建物があった場所であったりに、新しくマンションや高層建造物が建てられ、再開発という名のもとに景色が塗り替えられていく様子を目の当たりにします。

ほんの数カ月前までは確かに存在した景色を、思い出すことができなくなるほど目まぐるしい変化を遂げる環境の中で生活していると、絶え間ない消費活動こそが、生活空間に関わる記憶を薄れさせる要因になっているのではないか、と思われてきます。だからこそと言うべきか、人口の少ない、いわゆる「地方」から都市部に移り住んだ人にとって、時に望郷の念と共に思い描かれる故郷の景色には、原風景として幼少期の記憶や、年月を経ても変わらずにあってほしいという願望が投影されるのかもしれません。

東京を拠点として活動する渡部敏哉(1966- )は、東日本大震災を契機に、出身地である福島県の浪江町が放射能汚染により帰還困難区域として立ち入りを禁止され、当地で一人暮らしをしていた母親が福島市に避難を余儀なくされるという経験をしました。渡部は現地への立ち入り許可が得られる限られた機会を用いて、母親と共に実家のある町に車で入り、家に残した荷物を片付け、余った時間で町の周辺の様子を撮影し続けています。渡部は震災後から1年半の間に撮影した写真を、冊子『18 months』(2012)として纏め、その後もいくつかの撮影地を定点観測のように撮影しており、一連の写真はシリーズ「Thereafter(あれから)」として写真集の刊行が予定されています。

渡部が撮影する光景は、幼少期の記憶が深く刻み込まれた、まさしく原風景と言える場所——実家のまわりや友人の家、通学路、学校、子供の頃に遊んだ広場——であり、遠くから距離を置いて広い空間を把握するよりも、建物や道路、植生が時間を経て変化していくのを見て取れるような距離感を保ちながら、淡々と見つめるように記録を続けています。震災直後から1、2年は人の気配もなく時間が止まってしまったようだった町の光景は、数年を経て区域によっては避難指示が解除されるなど、住民の帰還に向けて整備が進められる場所もあれば、伸び放題の植物が建造物を飲み込むように覆ってしまい、荒廃が進んだ状態になっている場所もあります。

2011/06/12 | 2012/04/08
2013/05/11 | 2015/10/04

渡部が用いている定点観測という撮影手法は、建物を建造したり、修繕したりするという人の手による介入以上に、植生という自然の力が景色の様相を容赦なく劇的に変容させてしまうこと、その結果として慣れ親しんでいたはずの景色が、人がその場に入り込むことを拒むような状態に陥っていることを明るみに出しています。長年、土地と共に生きてきた人たちの記憶が、ゆっくりと確実に見えなくなってしまうことへの焦燥感が、継続して撮影に取り組む原動力になったのでしょう。

常に新しいものや情報が作り出され、目の前に差し出されるような生活環境にあっては、少し前に起きたことは意識の背後に追いやられ、重篤な出来事も遙か遠い過去のことのように、記憶の彼方に押しやられてしまいます。渡部の写真は、加速する忘却の速度に抗うように、土地と共に生きることの意味を問うものだと言えるでしょう。

小林 美香

写真研究者

国内外で写真に関する講義やワークショップを行う一方、展覧会の企画や雑誌への寄稿など、多方面で活躍。

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