「写真者」とは「写真の初心者」「ただ単に写真を撮る人」という意味で名乗っている。写真でお金を稼いで生活しているわけではないし、体系的に写真を学んだわけでもないので、べつだんの技術もない。シャッターを押すだけの人である。
そもそも、一昨年、広告会社を退職してから作った名刺には「青年失業家 田中泰延」と印刷してある。よく「ご冗談を」と言われるのだが冗談ではない。ほんとうに仕事がない。職業がない。定収がない。
肩書きは今、自分で勝手に名乗った「青年失業家」と、自分で勝手に名乗った「写真者」のふたつしかない。まもなく半世紀も生きた歳になるのに、私は何をやっているのか。織田信長(48)、夏目漱石(49)、西郷隆盛(50)、松尾芭蕉(50)…これら偉人の享年を眺めて、ため息をつくばかりだ。
そんな織田でも西郷でもない私が、「写真者」として人様の前で2時間も講演することになった。畏れ多いことである。「KG+」ことKYOTOGRAPHIE サテライトイベントにおける、オープニングイベントという大役である。畏れ多いことである。ド素人がご高説をぶつ、そんなイベントはもちろん入場無料である。私のギャラも無料である。感無量である。
SIGMAのFoveon X3センサーで撮影され、プリントされた伊丹さんの作品群は圧倒的な情報量だった。また、展示作品を見ながら、伊丹さんご自身から
「写真は並べられた時点で、関係性と意味が発生する」
というお話を伺い、感銘を受けた。
おどろくべきことに、京都の会場にはたくさんの方がお越しになっていた。座席が足りず、2時間、立ったまま聴いてくださるかたも多くいらした。畏れ多いことである。
ご来場くださった方には「漫談」と言われてしまったが、フランスの映画評論家・映画監督であるアレクサンドル・アストリュックが唱えた「カメラ万年筆」の例を引きつつ、お話しさせていただいたことの柱は、
「書くことと、撮ることは、私の中ではほとんど等価なんです」
ということだった。
書く仕事をしている私による「随筆」の定義は、「事象と心象が交わるところに生まれるもの」である。
随筆も写真も、コミュニケーションである。事象があって、心象が生じる。書いた文章、撮った写真。どちらも人に知られぬように穴を掘って埋めても仕方がない。連合艦隊司令長官山本五十六も「撮ってみせ、現像してみて、プリントし、 ならべてみねば、人は動かじ」と言っていた。ような気がする。言ってなかったかもしれない。
相手がいて、伝えたいことがある。私たちは、だれかとつながり、感じ合うために生きるのだ。
会場にはいま私が使用しているSIGMAのレンズと、カメラをならべてみたのだが、これからも私は、カメラを筆記具と同じように使っていきたい。
そんな素朴な「写真者」である私に、空前の出来事が起こった。「田中さんに仕事として写真を撮影してもらいたい」という依頼が舞い込んだのである。
依頼主は、甲把憲太郎(がっぱ けんたろう)さんという方だった。
【撮影依頼】
ポートレート撮影
【被写体】
私
【使用目的】
会社資料、web、SNSなどに使用します
私、容姿に自信があるわけではありません。
ただ仕事をする上でポートレートは撮りたいと思ってました。
そこで、「写真者」を名乗る田中さんに撮影をお願いしようと思ったのです。
もちろん、謝礼はお支払いいたします。
…まさに驚天動地だ。好きに撮るのではなく、頼まれて撮る。しかも初対面の知らない人を、撮る。どうしていいかわからないが、ともかく車を走らせ、甲把さんの元へ向かう。
駆けつけて最初に撮った1枚がこれだ。われながら、ひどい。甲把さんの佇まいも、ひどい。
最終的に甲把さんに写真を選んでもらったのだが、この1枚はもちろん選ばれていない。どう見ても、知らない同士が、ただ向かい合って困っているだけの1枚だ。
そこで、私は甲把さんに提案した。
「眼鏡、外してみましょうか」
「眼鏡、外す。…はい」
「外へ、出てみましょうか」
「外へ…出る。はい」
なんともどうしていいかわからない時間のなかでシャッター音だけが響く。ましてやいい年こいた男が2人だ。だが、しかし、私はファインダーを覗きながら、シャッターを切るごとに甲把さんの話すことに興味を持ち始めていた。
「いま撮影場所にしてもらっているこのカフェを拠点に、いろんなイベントを企画して、人と人をつなげていく事業を始めています。自由に生きるとはどういうことか、好きなことを仕事にしていくとはどういうことか、家族を抱えながらですけど、走り出そうと思うんです。僕は、何者かになりたいんです。その何者かって、どういうことなのかも、走りながら考えればいいと思って」
その日の午前中まで、まったく知らなかった人である。だが、カメラとレンズを挟んだこの何分の1秒かの瞬間に、彼のいままでとこれからが交わる一点がある。知らなかった男の、知らなかった事象に、私の心象が結ばれていく。
そうしているうちに、写真は写真になっていく。撮影がすごく上手いわけではない。モデルがとても良いわけでもない。レベルの問題ではない。そこに、関係性と意味が生まれる瞬間を知ったのだ。
甲把憲太郎さんはその後、私の京都での講演に駆けつけてくださり、一番後ろで立って話を聴いてくださっていた。私たちは、だれかとつながり、感じ合うために生きるのだ。
「プロとアマの差は、レベルではない。単に生活基盤の違いだ。」…これは英国の首相でありながら、アマチュアの指揮者としてオーケストラを振っていたエドワード・ヒースが遺した言葉だ。
イギリス流のジョークというか、負け惜しみのような気もしないではないが、アマである私も「写真者」を名乗り、だれかを、何かを、撮って並べてみる。そこで発生した関係性と意味が、私の人生に新しい関係性と意味をつくることに期待している。それは、レベルの問題ではないはずである。
田中 泰延
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。「青年失業家」「写真者」を名乗り活動を始める。2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。Twitter:@hironobutnk