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第八話|超望遠レンズについて語る
~前編・色収差と反射式レンズの時代~

一眼レフは超望遠の時代

SIGMAは1961年に創業し、来年2021年には創業60周年を迎える。このSIGMAが生まれた1961年は、35mmカメラがレンジファインダーから一眼レフに切り替わった時期でもあった。
1961年のカメラ綜合カタログ(JAPAN CAMERA SHOW)を見ると、すでに9社が一眼レフカメラとその交換レンズを発売していたことがわかる。興味深いのは、その交換レンズのラインナップにやたらと望遠レンズが多いことだ。例えば、一眼レフのパイオニアであるPENTAXは広角レンズ2本、標準レンズ2本に対し、望遠レンズを8本も揃えている。しかも500mm、1000mmといった超望遠レンズまで用意されていた。
一眼レフカメラはレンジファインダーカメラとは比べ物にならないくらい望遠レンズとの相性が良い。一眼レフ時代の到来はすなわち、望遠レンズの時代の到来を意味したのである。「遠くのものを大きく写せる」という写真愛好家たちの憧れがついに現実のものとなったのだ。とはいえ1961年といえば私の父の月給(大卒初任給)は手取りで1万円程度。3万円の一眼レフカメラは贅沢品であり、ましてや10万円近い超望遠レンズは高嶺の花であった。

SIGMA初の超望遠はミラーレンズ

カメラメーカー製が高いとなればレンズ専業メーカーの出番となるが、超望遠レンズについては意外なほど各社個性を見せていた。
Tokinaは参入が早かったこともあり、400mm F6.3、450mm F6.5、600mm F8、800mm F8と4本の単焦点レンズ、さらに180-410mm F5.6というズームレンズをラインナップ。
TAMRONは当時からズームレンズの開発力が高く、1965年には200-400mm F6.9、1969年にはTele側を500mmまで伸ばした200-500mm F6.9を発売し、その技術力を示した。

これらはすべて一般的な屈折式レンズだが、対してSIGMAが選んだのは「反射式レンズ(=ミラーレンズ)」であった。「光学的に絞り機構が採用できない」「ボケがリング状になる」といった不可避な課題があるにもかかわらずあえて超望遠レンズに反射式を選んだのは理由がある。反射式レンズには屈折によって発生する色収差がないのである。厳密には反射鏡だけでなくレンズも使っているので色収差はゼロではない。しかし、一般的な屈折式の超望遠レンズに比べれば色収差は明らかに少ないのだ。超望遠レンズの最大の課題は常に色収差である。少々乱暴な物言いだが500mmレンズは50mmの10倍の焦点距離であり、色収差も10倍になる。色収差で解像力が劣化するのを嫌ったSIGMAは反射式レンズで勝負に出たのである。

そんなSIGMAが開発した超望遠レンズがMIRROR-ULTRATELEPHOTO 500mm F8だ。手頃な価格、しかも反射式レンズの特徴を生かしたコンパクトなサイズに仕上がったこのレンズは、好感をもって市場に受け入れられた。

ところがSIGMAはこれ以外にもう1本、MIRROR- ULTRATELEPHOTO 500mm F4という巨大なレンズをラインナップしていた。500mm F4──1970年代前半に、これだけ明るい反射式の超望遠レンズは他には存在しなかった。一般的な屈折式でもF4.5が最大である。また、このレンズには2倍のテレコンバーターが同梱されており、1000mm F8として使うこともできた。反射式超望遠レンズは色収差が少ないこともあってテレコンバーターとの相性も良好であった。このレンズはある意味「エビフライ」「マグロ」「ザクバズーカ」など多くのニックネームを持つSIGMA APO 200-500mm F2.8 / 400-1000mm F5.6 EX DGの先祖なのかもしれない。SIGMAは当時からギンギンに尖っていたのである。

MIRROR- ULTRATELEPHOTO 500mm F8
MIRROR- ULTRATELEPHOTO 500mm F4

SIGMAの屈折式超望遠レンズ

SIGMA初の超望遠レンズは前述の通り反射式であったが、並行してオーソドックスな屈折式の超望遠レンズの開発にも着手していた。そしてSIGMAはここでもその個性を発揮する。1976年、SIGMAは業界に先駆けて、インナーフォーカスを採用したSIGMA XQ 400mm F5.6を発売した。業界初インナーフォーカスの座は残念ながらタッチの差でCanonのFD 400mm F4.5に譲ったが、僅か4群4枚のレンズ構成でインナーフォーカスを達成した当時の設計者の努力と度胸には恐れいる。このレンズはインナーフォーカスならではの軽快なフォーカシング操作を実現し、手頃な価格と相まってSIGMAのヒット商品となる。その後最短撮影距離の改善などの小変更を加え、SUPER-TELE 400mm F5.6と名前を変えて1980年まで販売を続けた。
ちなみに、この400mm F5.6はあえて製品全長を長くして1群のパワーを抑え、色収差の発生を極力抑えている。しかし、厳しい目で見れば色収差は十分補正できているとは言えなかった。SIGMAはこの色収差の補正にめどが立つまで、400mmより長い焦点距離の屈折式望遠レンズを作らなかった。それほどSIGMAは色収差によって解像力が落ちるのを嫌ったのである。

SIGMA XQ 400mm F5.6
APO•SIGMA456 400mm F5.6

色収差との戦い アポクロマートへの挑戦

色収差をどうやって抑えるか。これは今もレンズ開発者の前に立ちはだかる壁だ。この色収差を補正する方法のひとつに天体望遠鏡に使われている「重フリント・アポクロマート」というものがある。これは重フリントガラス2枚を含む3枚のレンズを接合して3つの波長の焦点を一致させるものだが、「貼り合わせるレンズの曲率を大きくしなければならず、結果としてレンズが厚く重くなる」「曲率が大きいので色収差以外の収差補正に苦労する」「口径の大きなレンズ3枚を貼り合わせるのは製造上難しい」など多くの課題がある。このため一部のメーカーがトライしたものの交換レンズの主流にはならなかった。
そんな中、CanonやNikonは特殊低分散ガラスや人工蛍石によって色収差を抑制するノウハウを確立。1970年代以降は超望遠レンズもそれらによって色収差を補正した高性能なものに次々と入れ替わっていった。この流れにSIGMAも追随しなければならなかった。しかし、SIGMAには材料から開発するのは技術的にも資金的にも難しい。
そこでSIGMAが選んだのが、重フリント・アポクロマートへの挑戦だ。1981年にSIGMAはこの技術を用いたAPO・SIGMA345 300mm F4.5とAPO・SIGMA456 400mm F5.6を相次いで発売した。この2本は大きな話題となり、SIGMAのブランドイメージを大いに上げることに貢献した。半面、製造現場は曲率の大きい大口径レンズの研磨精度確保と3枚貼り合わせに苦しめられることになる。このため歩留まりも悪く、結果として製品の価格は跳ね上がり、カメラメーカー製のレンズと同等以上の価格となってしまった。

手頃な超望遠として、反射式レンズを拡充

そこで再びSIGMAは反射式超望遠レンズのラインナップを拡充する。屈折式の400mm F5.6が重フリント・アポクロマート化によって高価になったことに対応するためだ。1982年、SIGMAはMirror 400mm F5.6を5万円で発売し、再び手頃な超望遠レンズをラインナップに復活させた。そして同じ年にMirror 1000mm F13.5を発売。7万5,000円で十分な光学性能を持つコンパクトな1000mmレンズの登場は業界に大きな衝撃を与えた。
この劇的にも見える値段設定、実は計算してみると1000mm F13.5は実は600mm F8とほとんど口径が変わらない(反射式レンズにこの計算方法は少々乱暴だが、1000÷13.5=74mm、600÷8=75mmとなる)。ミラーの曲率と鏡筒の全長が違うだけ、とも言える。なかなか商売上手なレンズだ。

左からMirror 400mm F5.6、Mirror 600mm F8、Mirror 1000mm F13.5

特殊低分散ガラス時代の幕開け

1983年、硝材メーカーから特殊低分散ガラスの試作品が届いた。NikonのEDガラス、CanonのUDガラスと同等の性能を持つガラスがついにSIGMAでも使える時が来たのだ。社内はこのニュースに大いに沸いた。そしてこの特殊低分散ガラスが多くのレンズに採用され積年の色収差問題を過去のものにしていく。
しかしこのガラス、実はなかなかの難物だったのである。
この新しい特殊低分散ガラスについては次回詳しく語ろうと思う。

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