2018.09.20

KG+2018 × SIGMA REPORT

特別鼎談 KYOTOGRAPHIEパブリックプログラム
SIGMA presents Special Talk
「“写真で生きていく”ということ」

「“写真で生きていく”ということ」後編

仲西祐介 × 中島佑介 × トモ・コスガ

写真集と写真展に共通する「編集」とは

仲西:トモさんはもともと雑誌編集者。中島さんも膨大な量の写真集を見ていて、ともに「編集」の大事さを熟知していると思います。「KYOTOGRAPHIE」も展示がメインですが、展示構成も実は「編集」なんですよね。写真集の装丁や構成を考えるのと、展示の構成や導線設計、演出(セノグラフィー)は同じだと思うんです。

中島:僕自身、写真集の制作も手がけますし、小さいながら書店に併設したギャラリーで写真展も開催しています。どちらも鑑賞者に対していかに写真の芸術的な価値を伝えるかという点で「編集」です。作家や作品の意図やパワーを客観的に意識して、見る側の視点で提示することが重要だと思います。

仲西:写真集と展示が連関しているようなスタイルは「KYOTOGRAPHIE」でもこれまで何度かやってきていますが、今後も続けていきたいと思っています。

コスガ:「KYOTOGRAPHIE」における作家の選び方はどのように行っているんですか?

仲西:僕と共同ディレクターのルシール・レイボーズがまず構想を決めるんですね。今、世界や日本で起きていることの中からメッセージすべきことを選んで次回のテーマとし、そのテーマに合う作家を見つけます。そもそもこのスケールのフェスティバルを毎年開催するのは不可能に近くて、15もの公式プログラムの企画を、予算の確保、会場選びやセノグラフィ(展示演出)も含めて同時並行で進めねばならない。なんとか奇跡的に続けられているという状態なんです。

中島:ほんとに奇跡的ですね。

仲西:僕たちも結局運営で手一杯で、本当は海外も含めて新進作家の写真展なんかももっともっと見なくちゃいけないんですけれども、本当に時間がなくて。今回トモさんと一緒に深瀬昌久展の共同キュレーションをやってくれたサイモン・ベーカー*1とか、パスカル・ボーズ*2、フランソワ・シュヴァル*3など、世界的な評価と実績を持つアドバイザーと情報や企画を共有したりしています。

仲西:また「アルル国際写真祭」には世界中からいろんなキュレーター、ジャーナリスト、ギャラリストなどが集まるので、そこでディスカッションしながらルシールと僕で精査していく感じですね。やっぱり日本って特殊な国なので、日本で何が受けるかも考えなきゃいけないし、逆に日本ではまだ知られていないものも見せなくちゃいけない。受け容れられるものと、新しい視点・感覚を提供できるものの両立をめざして毎年プログラムを決めています。

*1 サイモン・ベーカー 元テート・モダン写真部門主任キュレーター。2018年4月からフランスのヨーロッパ写真美術館(MEP)の館長に就任。
*2 パスカル・ボース フランス国立造形芸術センター(CNAP)の写真コレクション・キュレーター
*3 フランソワ・シュヴァル ニセフォール・ニエプス美術館(フランス)元ディレクター。「KYOTOGRAPHIE」でも数々のプログラムをキュレーションしている。

場の力を生かして写真の魅力を最大化する「セノグラファー」

コスガ:今回、「KYOTOGRAPHIE」に参加してみてすばらしいと思ったのが、空間デザイナー、すなわち「セノグラファー」として、デザイナーのおおうちおさむさんに入っていただいたことでした。私とサイモンでキュレーションはできても、ホワイトキューブではない空間で写真を展示するには、デザイナーに空間をつくりかえてもらう必要がありました。

仲西:そこがまさに他のフェスティバルと違う点ですね。僕たちは作品を美術館から日常空間に引っ張り出してきて、ふだん見てない人にもアート作品を見てもらえるよう、いろんな「場の力」を利用しています。写真はフレームに入れて白い壁に掛けるというのは、ヨーロッパを主体とした世界的な共通認識なんですけれども、「写真表現には展示方法も含まれる」とするなら、できることはたくさんあると思っていて。それに挑戦しているんです。

コスガ:去年のKYOTOGRAPHIEを訪れた際、誉田屋源兵衛さんでロバート・メイプルソープ展を見て「深瀬展をここでやりたい!」と思ったんです。そうした印象を抱いたのも、セノグラファーあってこそのもの。空間を過剰に演出することではなく、展覧会の世界観を立体的につくり上げるためのものとして、とても大切なことですね。

中島:今、お話を聞いていて、場所と写真の関係性の点で思い浮かんだのが「ロバート・フランク展」なんです。ロバート・フランクって、ヴィンテージ・プリントだと1枚6,000万円くらいしちゃうんですね。収蔵している美術館から持ち出すことができず、たとえその美術館であっても1年間に数日しか公開できないので、より多くの人に、気軽に見てもらうことができなくなってしまう。ロバート・フランク自身、展覧会で自分の作品を見てもらう機会がなくなってしまっていることに不満を感じていて、シュタイデル社のゲルハルト・シュタイデルに相談したそうなんです。

写真家と観覧者の双方にとって良い展示とは

中島:シュタイデルが提案したのは、ロバート・フランクの作品を新聞用紙に印刷して空間にインスタレーションするという展示企画でした。それによって作品はきちんと見せつつ、誰でも無料で見られる公共性のある場所、学校や図書館など教育的見地で意義のある会場で展示し、それを世界50カ所で巡回するというものです。

仲西:あぁ、いいですね。

中島:東京で開催した際には東京藝術大学を会場として使わせていただき、シュタイデルが学生とともに展示プランを構成しました。展示準備の初期段階にはフランクの作品を知らない学生も多かったのですが、この展示をきっかけにフランクの作品への理解を深めてくれました。展示会期中にはフランクの作品をこれまでにも見てきている方々も来場してくださったのですが、いわゆるホワイトキューブの展覧会ではない会場構成から、新しいフランクの魅力を感じてくださったという声も多く聞かれました。フランクのケースは一例ですが、作品を理解し、共感して、それを次の世代につなげるためには展覧会で写真を見せることもすごく重要なことなんだなと思いますね。

仲西:そうですね。写真というのはアカデミックには、コンディションの管理が結構細かく規定されているんですよね。なので、KYOTOGRAPHIEみたいに空調設備や湿度・温度の管理がない場所、いわゆるミュージアム・コンディションじゃない場所での写真展示については、作家や管理者から理解・許諾を得るのが結構、大変なんです。でもそこにも挑戦しながら、京都での一カ月間の展示になんとか協力を頂いているわけなんです。

「KG+」を若手写真家の飛躍と活躍の機会に

コスガ:「写真で生きていく」というテーマで考えたとき、日本の写真家が海外に出ていくには、どんなことが大切だとお考えですか?

仲西:KYOTOGRAPHIEだと、15前後の企画展しかできないので、日本の若いアーティストの作品をそこまでたくさんは見せられない。これはKYOTOGRAPHIEの立ち上げ当初から分かっていました。じゃあ、どうするか。「アルル」なんかの国際写真祭だと、本祭の会期を狙って世界中から若手写真家が集まってきて、自発的に写真展(オフ祭)をやるんですね。オフ祭が本祭を刺激することで発展・活性化していっている。

コスガ:それこそ、街の至るところでやってますよね。

仲西:そうなんですよ、本当に「勝手連」的にやっているんです。KYOTOGRAPHIEでもそんなふうになることを期待したんですけれど、日本人作家は行儀が良すぎて、勝手に自己アピールしたりはしないんです。なので、KYOTOGRAPHIE側で予算を確保し、機会と仕組みはつくるので「自分の作品を見てほしい、知ってほしい」という写真家は活用してくれ、といって始めたのがサテライト・イベント「KG+」なんです。

中島:KYOTOGRAPHIEを訪れるキュレーターやギャラリストたちの目にとまるチャンスにもなりますね。

仲西:そうなんです。で、この参加者の中から毎年一人グランプリを選出し、次年度のKYOTOGRAPHIEの公式プログラムとなるシステムをつくりました。それによって、若くて知名度はないが将来性のある若手アーティストにも国際写真祭のメインプログラム作家として注目される機会をつくったんです。

「KG+アワード2018」授賞式(左:グランプリ受賞者の顧剣亨さん)

仲西:また、KYOTOGRAHIEが招聘した国内外の名だたる写真関係者に作品をレビューしてもらえる機会「ポートフォリオレビュー」もやっています。これを機に海外の写真祭への招聘や、メディアでの紹介、ギャラリーとのビジネスなどにつながり始めています。幸い、KYOTOGRAPHIEは最近海外でも注目されるようになり、「日本の作家を紹介してくれ」と言われることも増えています。

なぜ作品に価値がつくのか

コスガ:私は10年ほど前から、主に自分と同世代の作家の作品を買い始めました。ですからいつも写真を見るときは、買う立場ならどう感じるか?ということも意識しています。審美眼を養う上でも大切なことですし、どのように作品が管理されているかといったことにも目がいくようになります。日本では、エディションの考え方に課題がありますね。分りやすい例を挙げると、一つのイメージにおいてS、M、Lのサイズ展開があって、それぞれにエディションがあるケース。そもそも作品とは作家の意図を反映するものですから、作家にとって必然性のあるサイズが一つあればそれで良いと思うんです。酷いケースでは、あらかじめ決められたサイズ展開以外にも特例サイズをつくっちゃったりだとか。

仲西:確かに独特ですよね。これは写真だけにかぎらない話ですが、どうしても「かゆいところに手が届かなくちゃいけない」的に付加サービス過剰になっていきがち。それで逆に価値を下げている側面もありますよね……。大雑把な言い方になりますが、海外だと「どれだけこの一点の価値を上げていくか」がビジネスにつながっているんですけれども。

コスガ:作家として若い頃の作品はずっと買いやすい値段設定でいいと思います。事実として、最近の若手作家の販売価格はスタートからちょっと高すぎる印象を受けます。もちろん「制作費がかかるからある程度の価格設定が必要」という事情もあるでしょう。それでも高すぎることでなかなか売れないだとか、もしくは予算の少ない美術館が買えないということだと本末転倒のような気がします。

コスガ:考えてみて下さい。2000年以降に世界的に評価され始めた写真家というのは、1960〜70年代から活躍していた方々なんですよ。かつてプリントは入稿写真だったわけですから、今のように売れることもなかった。つまりマーケットのために作品をつくるのではなく、自分のためや、何か訴えたいことのために、彼らは写真に取り組んだ。その結果が現在の評価なのであれば、なぜ作品に価値がつくのかということをいまいちど考えてみても良いと思います。作品管理に関して付け加えると、作家が自分の作品を厳しく管理することは、コレクターの気持ちに応えることでもあるんです。「写真で生きていく」ためにも、自分の作品を売るときの決めごとを初めにしっかりと決め、それを遵守することで、自分の作品の価値を管理することができる。そこが意外と守られていない。業界に今なおルールが存在しないことも問題のような気がします。

中島:本当の「駆け出し」の方が、自分の作品を買ってもらいたい、相手を狭めずにメッセージを伝えるためには、僕はやっぱり、まずは近しい人たちにきちんと理解して共感してもらうことが第一歩だし、その後におのずと広がりができていくと思っているんですね。あの荒木経惟さんも、初めて写真集を自主出版したときは、当時の職場だった電通の知人たちに買ってもらったといいますし。


質疑応答

【フェスティバルとフェアの違い】

質問者1:冒頭で「フェスティバルとフェアの違い」について話がありました。もう少し詳しく違いについて聞かせてください。

仲西:シンプルに言うと、「フェア(見本市)」というのは写真を売るためのビジネス的な展示会です。なので大規模な会場を借りてブースに割り、出展者(ギャラリーなど)は出展費を支払って、写真を販売します。「フェスティバル(写真祭)」というのは写真の魅力を伝えるための文化的なイベントで、基本的には写真の販売はしません。その代わりに来場者から入場料を頂いて写真を鑑賞してもらいます。

【若手写真家に求められるもの】

質問者2:先ほどの話のように、日本の市場が育っていない状況などは、作家にとっても非常に厳しいなと思うんです。そういうなかで今若い写真家さんたちが国内外で活躍の機会を得るために何をすべきか、それぞれのお立場でお聞かせいただけないでしょうか。

まずは自分の写真集をつくって広める(中島)

中島:僕はふだん本を扱っていることから感じる点なんですけど、やっぱり本って、時間も距離も超えられるメディアなので、他にはなかなかない表現方法だと思うんですね。それに写真ってもともと異なる次元をつなぐ力があるので、本との親和性もすごくいいんです。なので、写真集をつくって、それをいろんな人に見てもらうことがすごく有効だと思う。実際、僕が初めて海外の作家を知るきっかけになるのは写真集ですし、まずは自分の写真集をつくってみるというのがいいと思いますね。「TOKYO ARTBOOK FAIR 2016」以降、シュタイデル・ブックアワード・ジャパンといって、ダミーブック(写真集の基本設計図のようなもの)のコンペティションを開催しています。応募作品のうちグランプリ作品はシュタイデル社から出版できるというものです。シュタイデルは写真集出版社としても世界的に有名で、かつ流通力もあるので、有力な登竜門になればとスタートしたものです。他にも写真集のアワードはいくつもあるので、そういうところに応募してみるというのも有効と思います。

写真でなければいけない対象やテーマを明確に持つこと(コスガ)

コスガ:私は深瀬昌久アーカイブスのディレクションとは別に、写真分野のライターとして写真表現の現在を紹介する文筆活動も行っています。その活動を通して感じるのは、人々の心の琴線に触れる作品というのはどこか、社会との接点を持つということです。例えばポートフォリオレビューでレビュアーを務めると、いろんな作家さんから話を聞かせてもらいますが、そうしたときに“自分にとっての写真論”といった哲学を語り始めることが少なくない。そうなると抽象的すぎて、あらかじめ設けられた時間では理解しきれないことがあります。

仲西・中島:そうですね。

コスガ:逆に、その人が社会の中にテーマや対象物を明確に持っていて、それが写真でなければ表現できないものである場合、私はグッと食いつきます。カメラの先に明確な対象物があるなら、たとえ技術が足りなかったとしてもそれは時間の問題でしょう。私は、写真という表現を通して世に訴えたいテーマに持っている人たちに出会いたいと常々思っています。

コスガ:もう一つ大事なのは「時代性」だと思います。深瀬さんはもちろんですが、森山さんの『プロヴォーク』とか、荒木さんの『私写真』とか、その時代に対する「いや、そうじゃないだろう」というアンチテーゼみたいなところがある。写真ってすごくリアルタイムで、その時代のパッションをはらんで生まれるものだと思うので、それに形を与え、今という時代を感じさせる力があることも重要だと思います。

作家として生きていく覚悟があるか(仲西)

仲西:最初にお伝えしたように、日本では写真家が作家として生きていくのが難しい。コマーシャルでもブライダルでも、それを職業としている方はみな写真家だと思うんですが、「作家」というとまた別な話です。依頼に対して写真を巧く撮る、優れた仕事で応えられる方はたくさんいるけれど、そのこととオリジナリティのあるイメージを形にして創作活動で生きていく作家性はイコールではない。その一番大きな違いは、作家として生きていくことへの「覚悟」があるかどうかだと思うんです。自分が撮りたいものを撮って生きていくことって本当に大変なことで、食べるために依頼された仕事をこなすことももちろんあっていいと思うんですけど、やっぱり覚悟を決めることが流されないためにとても大事。一方でフェスティバルやパロトエージュなど、いろいろな形での機会の創出や、支援の仕組みも成熟していく。それが両輪として回って初めて写真家が生きていける土壌ができ、写真文化がちゃんと根づいていく国になれるのだと思っています。

仲西祐介

KYOTOGRAPHIE/KG+共同創設者/共同ディレクター

1968年生まれ。照明家。映画、舞台、コンサート、ファッションショー、インテリアなどさまざまなフィールドで照明演出を手がける。「eatable lights」などのライティング・オブジェ,原美術館 (東京)、School Gallery (Paris)、「Nuits Blanche」(京都)でインスタレーションを発表。2013年より写真家ルシール・レイボーズと「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を立ち上げ主宰者として活動する。

中島佑介

TOKYO ART BOOK FAIRディレクター / [POST]ディレクター / KYOTOGRAPHIEポートフォリオレビュアー

ドイツ「STEIDL」社の主要書籍が常に並ぶオフィシャルブックショップであり、出版社という括りで取り扱う本が定期的に全て入れ代わるユニークな書店「POST」を恵比寿にオープン。現在はディレクターとして、セレクトや展覧会の企画、書籍の出版、蔵書コーディネートなども手がける。 2015年からはTOKYO ART BOOK FAIRの共同ディレクターに就任。SIGMA dp2 Quattro ユーザーでもある。

トモ・コスガ

深瀬昌久アーカイブス 創始者兼ディレクター / KYOTOGRAPHIEポートフォリオレビュアー

2012年に没した深瀬昌久の展覧会や出版物の企画を手がける。アート・プロデューサーとして写真分野を中心に展覧会キュレーションや執筆を行う。手がけた展覧会に、深瀬昌久展「遊戯 PLAY」(KYOTOGRAPHIE、2018年)深瀬昌久展「L’incurable Égoïste」(アルル国際写真祭、2017年)、ロジャー・バレン&アスガー・カールセン展「NO JOKE」(Diesel Art Gallery、2017年)、深瀬昌久展「救いようのないエゴイスト」(Diesel Art Gallery、2015年)など多数。深瀬昌久が生涯にわたって制作した40年間分の作品群を網羅する写真集『MASAHISA FUKASE』(赤々舎、2018年9月発刊)の監修・本文を務めた。SIGMA dpユーザーでもある。

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