May/2014

山木和人|株式会社シグマ 代表取締役社長

自分たちのやりかたで、自分たちにしかできない「その先」を。

質の高い写真表現と、そのための機材を追求し続けるSIGMAが、写真を愛する多くの方々に向けて発信する『SEIN(ザイン)』。

創刊にあたり、インタビューシリーズ〈 Voice 〉第1回として代表取締役社長 山木和人に取材。SIGMAの歩みと、これからに向ける思いをお伝えします。

photo : Motonobu Okada / Mizuho Tamaru / SIGMA

写真は「Happy business」

1961年に当社を創業した山木道広は私の父です。父は強い信念を持った技術者であり経営者でもありました。早くから下請けではなく自社ブランドを起こし、世界展開を視野に入れていたことなど、息子である私から見ても、いまなお驚嘆させられる点が多々あります。

そういえば小学生の夏休みに工場を訪ねた折、父がこんな言葉を呟いたんですね。「人は心動かされた時、幸せな時に写真を撮る。人生の感動に寄り添うのがレンズやカメラなんだ。やり甲斐のある仕事だぞ」と。当時はピンときませんでしたが、いまは私もまったく同じことを思います。私だけでなく、SIGMAの従業員はみな同じ気持ちでレンズやカメラを作っていると思うんです。光学機器を作るのは、とても地道で根気のいる仕事です。そこに誇りを持ち、情熱を傾けられるのは、自分たちが作っている「もの」の向こうに、使ってくださる方の感動や笑顔が見えるから。私たち自身が誰よりも写真が好きで、大事に思っているからなのです。

Made in AIZUへのこだわり

当社では、イメージセンサーを100%子会社のFoveon inc.(米カリフォルニア州サンノゼ市)で開発するほかは、すべて日本国内で製造しています。とくに開発・製造・検査など「ものづくり」の機能は、唯一の生産拠点である福島県会津工場に集結し一貫生産。極小のビスや「絞り羽根」、金属加工、プラスチックの成形加工、メッキ塗装、組み立てなども含め、レンズやカメラのほぼすべてを内製しています。その理由は明快で、我々の求める精度や効率を維持し、品質を追求するには、微細な部品ひとつであっても随意に製造や調整をしたいからです。一般的なメーカーでは工程の多くは機械化されていますが、光学機器の製造は、熟練従業員の技術や経験の蓄積が圧倒的にものを言う世界。やはり最後は、人の技量なんです。

2014年4月現在、当社の販売取引先は、世界70以上の国・地域に及んでいます。当然、海外に生産拠点を設けるほうが、さまざまな点で利するところは多いでしょう。当社も企業ですからもちろん利益を上げることは大命題です。しかし「Going concern」という基本姿勢は、我々にとってもっと大事なのです。短期的な利益の最大化よりも、持続的な事業展開こそ、先代からの一貫した創業理念、経営哲学であり、我々の存在意義でもあると思っています。

冷涼で澄んだ空気と水。実直で研鑽を怠らない会津人の気質。光学機器メーカーにとって、会津はあらゆる面で最適な環境・条件を備えています。あのカールツァイスが、かつてドイツのイェーナを拠点に光学の都を築いたように、「AIZUを世界に誇る光学製造の拠点に」。これは先代の創業時からの夢でした。そしていまは、私の夢でもあります。

写真の可能性への挑戦

あまり知られていないことですが、交換レンズの可能性を拡大したリア・コンバーターの開発に始まり、それまで存在しなかった広角ズームレンズの製品化、そしていまでは当たり前になった「フルスペック・コンパクト・デジタルカメラ」というカテゴリを世界で初めて初代DP1で創造したのも、SIGMAでした。かつても現在も、「誰も思いつかなかった製品や技術、誰もが思いついて、でも着手できなかったアイデアを思い切って実現する」のが、SIGMAのDNAなのです。ただ、昔から小体ゆえパイオニアとしてのインパクトが弱いというのが悩みだったんですけれどね(笑)。

私はほぼ毎月海外出張に行くんですが、最近は先々で同業から、半ば呆れ顔で「SIGMAはクレイジーだ!」と言われます(笑)。「世界で普及しているシステムを採用すればもっと楽に製品開発ができるのに……」と。私はそれを、最高の褒め言葉として受け止めています。ただし「サンキュー!」の後に、「SIGMAの製品が独創的なのだとしたら、それは結果でしかない」と必ず付け加えることにしています。独創的でなければと、最初から奇をてらったことはただの一度もありません。常に自分たちの「写真とはこうあるべき」という哲学と、「その実現に最もふさわしい技術はこれだ」という思想と、「その特性を最大化できる製品はこれしかない」という信念が形になっただけ、なのです。

半世紀以上前、光学製造は戦後日本における輸出産業の花形で、当時は国内だけで60近いレンズメーカーがあったそうです。しかし今日、独自ブランドを展開する独立系レンズメーカーとして現存するのは、当社を含め3社のみ。時代とともに、写真のメカニズム、テクノロジー、撮影のスタイルが大きく変遷するなか、最後発のSIGMAが今日まで生き残ってこられたのは、他社の後追いをせず、また下請けやOEMで終わらずに、独自の製品や技術を追求してきたからです。自分たちで考え、無から有を生み出してきた先輩たちの情熱があったからこそ、現在のSIGMAがあるのだと思っています。

最高のレンズと、最高のセンサー

フィルムからデジタルへの移行期、デジタルカメラで撮影した作品を、ついフィルム時代の作品と比較してしまう—そんな方も多かったのではないでしょうか。私自身、無意識のうちに、デジタルとフィルムの「画」を比較していました。写真作品に感動する前に過去の画質と比較してしまい、写真そのものの魅力が半減してしまうようで、残念だったんですね。社内でも同様の意見は多かったんです。写真表現にとってレンズは最も大切な要素である、というのは我々の基本思想ですが、何よりも総合光学機器メーカーとしてしっかりとしたシステムになる製品を作りたかった。SIGMAでは比較的早くからカメラボディも作っていたのですが、フィルムカメラの場合、カメラボディは基本的には暗箱でしたから、画づくりのノウハウは感材メーカー側にあったんです。そこで、本格的なデジタル化をにらんで「交換レンズだけでなく、デジタルカメラもSIGMA独自で作ろう」となりました。しかしなかなか技術的な突破口が見つけられず、試行錯誤のさなかで出会ったのが、あのFoveonセンサーだったんです。

世界で唯一の垂直分離方式、つまりフィルムライクな多層構造で光情報をそのまま取り込むFoveonの解像度と階調、色の豊かさは、デジタルカメラの「画」の常識をくつがえすほど圧倒的でした。未知数ながらも大きな可能性を見出した当時の開発チームが、あらゆる困難を克服してFoveon採用のデジタルカメラ実用化にこぎつけられたのは、「このセンサーでなら、自分たちの考える理想的なデジタルカメラが作れる」という絶対的な確信があったからだそうです。SIGMAとFoveonの出会いとその後の歩みは、今日の我々の製品開発を飛躍的に変える原動力になりました。

変わらないために、変わり続ける

2014年2月発表のSIGMA dp Quattro シリーズは、このFoveonセンサーの最新版を搭載しています。初代DPの開発から数えると第3世代。すでに「CP+ 2014」での開発発表以来、「当社始まって以来ではないか(笑)」というくらい大きな反響をいただいており、大変ありがたく感じています。ともすれば斬新なボディフォルムばかりが注目されがちですが、この新しいdpもまた、「最高のセンサーと最高のレンズのパフォーマンスを最大限に引き立て合う、いま考えうる最も理想的な仕様」というSIGMAの写真哲学を具現化した結果のひとつです。

我々はよく、Foveon独特の画質を表現する時に、「フルボディ(Full-bodied)画質」という言い方を使うのですが—まるでワインですね(笑)—、しっかりとした「ボディ」を感じさせる、まるでそこに本物が存在するかのような立体的で実体感あふれる像質という意味なんです。単に精細で高画質というだけではない独特の画質は、写真という、最も身近な芸術表現の本質にもう一度向かわせてくれる魅力を持っていると思います。手軽で便利で、というほかの多くのカメラとはまったく違いますが、自分で動き、感じ、光と構図を読んで、しっかり構え、シャッターを押すという楽しさ。思いもかけない一枚が現れる喜びを味わえるという意味では、敵うものはないと自負しています。

ダゲレオタイプ(銀板写真)が誕生してから今年で179年、写真は現在もまだまだ進化の途上です。常に、目の前でなく、その先に照準を合わせて取り組み続けていくこと。どんな時代にも、写真にとって最良の機材を提供できるメーカーであり続けるために、変化を恐れないでいたい。SIGMAはこれからも、「クレイジー」で革新的なものづくりを続ける企業でありたいと思っています。

山木 和人

株式会社シグマ 代表取締役社長

1968年東京生まれ。上智大学大学院卒業後、1993年に株式会社シグマに入社。2000年に取締役・経営企画室長を経て2003年取締役副社長に。2005年、取締役社長に就任。2012年代表取締役社長に就任。

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