Spring/2016

[ 特別寄稿 ] 本田雅一

ものづくりの源泉を訪ねる

多くの製造業の生産現場を知るジャーナリスト・本田雅一氏。会津工場での一貫生産を追求するSIGMAの、「ものづくり~開発・製造・経営~」の実情と特長について今回初めて、外部視点での取材と寄稿をいただきました。

photo:Yusuke Nishibe

会津工場で体感した10年前の衝撃

“ここまで徹底した一貫生産なのか!”

2005年春、福島県会津磐梯にあるSIGMAの工場を紹介された時の衝撃は今でも忘れない。初めてレンズの生産現場を見た僕にとって、どの場面も驚きの連続だった。テクノロジー系ジャーナリストとして、さまざまな生産現場を見てきた。そうした中で、僕の頭の中に芽生えつつあった“常識”がことごとく打ち壊され、ものづくり企業のあり方について再思するきっかけともなった。

高度経済成長期からバブル期を経て、日本が長いトンネルへの道を歩み始めた頃、日本中の企業では企業システムのIT化とともに、米国流の合理的構造改革が進んだ。特にパソコンから派生したIT産業、あるいはコンピュータやインターネットと文化・産業両面で交わっていく家電産業などでは顕著だった。

そうした分野を中心に進んだのが、水平分業という考え方だ。アナログ時代に必要不可欠だった各部の細かな摺り合わせが簡素化された。メディアのデジタル化が進み、コンピュータやネットワークの技術が製品内で普遍的に使われるようになり、垂直統合で付加価値を高めるよりも、水平分業で効率化を図った方が、さまざまな面で良い結果を出しやすかったからだ。

常識を覆す経営手法

対するレンズは、アナログ技術の結晶とも言える製品であり、水平分業とは対極にある。もちろん、それは理解しているのだが、それにしてもコンポーネントごとの外注比率を高めるとともに、低価格製品は設計・生産の合理化を進めると同時に、技術移転を海外に進めて生産コストを下げるメーカーも多かった。日本には初期のパイロット生産ラインしか持たないメーカーもある。

そのような流れがある中で、SIGMAのアプローチは常識を覆す経営手法に見えたのだ。

絞り羽根1枚、鏡筒1本、樹脂部品の成型や塗装、そしてもちろんレンズの磨きや非球面加工、コーティング。電子部品の実装加工や金型開発、製品組み立てに使う治具の開発まで、ものづくりのすべてが工場の中に存在する。

設計段階で「この部分を変えたい」と思えば、影響を及ぼす部分の担当者が近くにいる。生産現場における問題解決のため、設計と話をしたいといった場合も、近くに意思を交わす相手がいる。レンズ・カメラの工場という枠を取り払ったとしても、これほどの一貫性を持った工場はなかった。

あの衝撃の体験から10年半、2015年も年の瀬を迎えたころ、再び磐梯町を訪れると、一貫生産をさらに推し進め、さらに大きくなった工場がそこにあった。

今の時代、アウトソースを上手に使いながら、自社が持つ資産を最小限に抑えながら利益の最大化を狙うのが常套手段だろう。何から何まで自社で抱えるSIGMAのやり方は、経営上のリスクも大きい。

景気変動から稼働率を落としてしまうと、あっという間に赤字体質に陥ってしまうリスクがある。それでも一貫生産にこだわり続けるのは、一つにはそれこそがSIGMAの生き残り戦略であり、生き残り戦略としての“より良い製品づくり”を徹底することで、優秀な人材を集めることもできると山木和人代表取締役社長は話す。

あらゆる要素を社内で抱え込むことで、アナログ的なすり合わせを設計から生産まで、あらゆる側面から行える。そんな開発・生産の現場がSIGMAの長所であるなら、その長所を徹底的に磨き込むのがSIGMA流ということなのだろう。

総合光学機器メーカーを目指して

今年(2016年現在)49歳となる僕は、山木社長と同世代だが、僕らより少し上の世代のカメラファンには、SIGMAをはじめとする交換レンズメーカーに対してステレオタイプな偏見があった。

ちょうど僕らが中学校へ入学する前後に、一眼レフカメラの低価格化と自動露出化、小型化などが一層進み、高校に入学するとオートフォーカス機能搭載が時代の流れとなった。働き詰めの20代を過ぎると、30歳を迎える頃からは、一眼レフカメラのデジタル化が動き始めた。

この時代を生きてきたカメラファンにとって、SIGMAというブランドは、限られた予算の中で、可能な限りランクの高いカメラボディを入手するため、致し方なく選択する安物レンズの代表格だった。品質よりも価格で勝負。“交換レンズメーカー”という呼び名には、“カメラメーカー”と対比して格差を感じさせるニュアンスが含まれていたのだ。

ブランドとしての転機

しかし、2000年代に入ると大きく事情が変化してくる。カメラがデジタル化することで、レンズに対する要求性能が変化してきたからだ。完成されたレンズラインナップを持つ大手カメラメーカーが、まだ保守的だった頃から市場の空気感を敏感に感じ取り、いち早く反応したのがSIGMAだった。

デジタル時代に要求される光学性能、デジタル時代に顧客が喜ぶ商品の企画で先行し、魅力的な商品を提供していくことで、レンズ交換式カメラ市場において脇役的存在だったSIGMAが、少しずつ中央の舞台へと上がり始めたのだ。

もちろん、一度貼られたレッテルは、そう簡単に剥がれるわけではない。何度も繰り返し挑戦しながら、“SIGMAの製品は面白い!”と評判になっていったのだが、SIGMAへの見方が決定的に変化したのは、既成のブランドイメージが存在していない新興国市場においてレンズ交換式カメラが浸透したからだった。

「標準レンズのど真ん中」に挑む

2010年秋のPhotokina。この頃から中国人の記者が増えていたが、日本語を喋る一人が、「SIGMAはあんなに素晴らしい交換レンズブランドなのに、手頃な価格で本当に素晴らしい」とベタ褒めしていた。

なんでも50mm F1.4という、いわゆる“標準レンズのど真ん中”の描写テストを行ったところ、メーカー純正のレンズを抑えて、SIGMAの「50 mm F1.4 EX DG HSM」がもっとも良い結果を出したのだという。

2008年に発売されたこのレンズは、記者の間でも「このスペックに新製品を持ってくるのか! 」と驚いたものだ。その後、SIGMAは2012年に描写力をさらに向上させた「50mm F1.4 DG HSM | Art」で、再び僕らの常識を覆した。純正レンズには用意されていないスペック、機能などで勝負してきた交換レンズメーカーが、純粋にレンズそのものの描写力で勝負する。そんな時代を象徴する出来事だったが、当時はまだ一般の消費者に浸透するまでには至っていなかった。

ところが、このころすでに中国市場では、一足先に“高画質描写のSIGMAレンズ”というブランドが確立されつつあった。なぜなら、レンズ交換式カメラ市場が存在していなかった新興国では、僕ら世代が持っていた“SIGMA”ブランドに対する先入観が、そもそもなかったからだ。

セット販売用の安物レンズメーカーから、性能で勝負する高付加価値製品のブランドへ。決意を持って事業戦略の転換を図った成果を、“レンズメーカー”への思い込みを持たない消費者たちは素直に受け入れていたのだ。

高付加価値路線への転換

もっとも、この大きな事業戦略の転換は“やむにやまれず”進んだ道だった。

1990年代、一時は78円台を付けた超円高時代は、国内での一貫生産を特徴とするSIGMAにとって、過去最も大きな試練だった。85年にそれまで1ドル/240円程度だった為替相場が急騰し140円程度まで円高が進み、バブル期を経て95年には80円台となる。

海外生産比率を高めたり、外注部品を増やしたり、あるいは他業種であれば水平分業化へと向かった企業の多くは、この時代に会社の構造をガラリと変えている。ところが、SIGMAはその波には乗らなかった。会津磐梯工場の規模・雇用を維持する一方で、SIGMAの特徴である一貫生産と、地域での安定した雇用がもたらしてきた質の高い労働力を活かした、高付加価値路線に向かうことを選択したからだ。

この戦略転換の中で生まれたのが1995年に生産が始まった「EX」シリーズだった。この動きが伏線となって、後にデジタル一眼レフ時代となってSIGMAを変えていく原動力となっていった。

自ら欲する製品を生み出す

SIGMAは同業他社とは異なり、業務用カメラレンズなどの事業を持たない。コンシューマ製品としての交換レンズをつくりたいからこそ、自分自身の時間を預ける先としてSIGMAを選んだ従業員も多いという。安物ブランドから、より良い、より楽しめるレンズへと、事業の力点を変えたことで、社内の雰囲気はガラリと変わったと山木社長は話す。

今のSIGMAは“こんな製品が欲しかったのだ”という、開発者の意思を強く感じる製品が多い。交換レンズだけではない。Foveonセンサーを用いた独自のデジタルカメラなども含め、もっと写真を楽しみたいという欲求を隠さないSIGMAの製品は、利益追求を使命とする企業としては異質な存在といえるかもしれない。

しかしながら、そんなメーカーになったからこそ、SIGMAに集まる人たちの力を最大限に引き出しているのだ。会津磐梯町の工場の中を歩いていると、多くの工員が高いモチベーションで生産に取り組んでいることが肌で感じられる。良い意味で企業トップと現場の距離も近い。その背景には、より良いものづくりを目指すメーカーとしての愚直さが透けて見える。

愚直である、という強み

しかし、その愚直さがSIGMAの強みでもある。工場に勤める1500人を超える従業員(しかも大多数が直接雇用者である)を守っていくには、工場の稼働率を高めて利益を稼いでいかねばならない。

では利益は何が生み出しているのか。その源泉は、消費者の心をつかむ商品力に他ならない。どんなに合理化を進めたとしても、商品力を下げてしまうようでは“稼ぐ力”が落ちてしまう。どんな商品がカメラファンの心に刺さるのか。どんな製品がSIGMAのブランド力を強化するのか。目先の経営指標を改善するのではなく、商品力を高めることで経営を改善する。

山木社長は「普通は市場分析をして、どんなタイプの製品が売れているか、どのぐらい潜在需要があるかなどの情報を見ながら、次はこんな製品が売れそうだと開発する製品を決めていきます。しかし私たちはまず、“どんな製品なら欲しいと思うか”をストレートに商品企画に反映させています」と話す。

自分たち自身が新製品を使って、写真撮影を楽しみたいと思うからこそ、創意工夫も自ら率先して行い、アイディアも湧き出てくる。開発と生産にかかわるみんなが「写真撮影」という趣味の領域を理解し、自分たち自身が“欲しい”と思う商品を企画。経営者も呼応してゴーサインを出す。そんな職場の空気が、彼らの力を引き出しているのだ。

Foveon買収という「ロマン」

SIGMAのそうした社風は、株式公開をしていない私企業だからこそ可能なことなのかもれない。たとえば2008年、SIGMAは色を感じる撮像素子の技術を持つ「Foveon」を買収したが、これは大声を上げて笑い出すほど痛快なニュースだった。

“色を感じる撮像素子”は大手メーカーも開発に挑戦してきたが、最終的に製品を出せているのはFoveonだけだ。技術面のハードルが高い上、業界標準とは異なる映像処理ハードウェアが必要となるため、手間もコストも余分にかかる。

もしSIGMAが表面的な経営指標で判断する企業だったなら、あるいは株式公開企業だったなら、Foveonを買収することもなかっただろう。しかし一方で、Foveonには写真好きを納得させる奥深い魅力がある。独特の深みある色再現や解像感はもちろん、“色を感じる”という部分に銀塩カラーフィルムと同様のロマンを感じてしまうのだ。

顧客価値の最大化、事業の継続性

会計上、Foveonとその搭載製品(SDシリーズ、DPシリーズ)が黒字になったことはないだろう。しかしFoveonという唯一無二の存在をSIGMAが市場に届け続けているという事実が、あらゆるカメラファンへの強いメッセージとなり、またSIGMAで働く人たちのモチベーションにもなっている。

“ロマンチックすぎる”話と捉える読者もいるかもしれないが、これはものづくり企業、しかも交換レンズというコンシューマ製品を専門に手がけるメーカーとして、最も大切な部分だ。短期的な利益よりも事業の持続性を主眼に、高い視点での経営判断が行われている証左でもある。

「営利企業の多くは期間利益の最大化を目的にしています。しかし、我々の優先順位は“より良い製品、より顧客にとって価値のある商品を届けること”です。そのためには地域社会、従業員との持続的で良好な関係を築き、優秀な人材に集まってもらう必要があります。我々も企業である以上、利益は追求すべきですが、何よりも“より良い写真のために取り組む”という基本ビジョンを共有することが大切です」(山木社長)

「より良い、より喜ばれる製品を」

商品価値を高めることができなければ、稼働率は下がり、事業の継続性が危うくなる。しかし、商品価値を高めることができれば、自分の好きな仕事を続けることができる。従業員自身がステークホルダーとして事業にかかわっている意識があるからこそ、困難に立ち向かうモチベーションも生まれ、結果として顧客にもより良い製品を届けることができる。そうした経営姿勢の結果が、現在のSIGMAを支えていると言っても過言ではない。

超円高時代を生き抜き、そしてカメラのデジタル化に伴ってブランドが開花したSIGMA。あらためての会津磐梯工場訪問では、成熟したカメラ市場において、ブランド力を急速に高めてきた彼らの力の源泉を再確認できた。

次はどんな商品でカメラファンを喜ばせてくれるのだろう。写真撮影が好きな一人のファンとして、彼らの次回作を楽しみながら待ちたい。

本田 雅一

テクノロジージャーナリスト、オーディオ&ビジュアル評論家、商品企画・開発コンサルタント。パソコン、IT、ネットワークサービスなどに始まり、現在はカメラ、オーディオ、映像機器、映像制作、自動車、SNSなど幅広い分野で書籍、評論、コラムなどを執筆。

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