SIGMA meets SEEKERS vol.8

Summer/2016

[その先を追う表現者たち]

KYOTOGRAPHIERevolution in Japan’s Photography

京都という街から日本の写真文化を変えていきたい

  • ルシール・レイボーズさん写真家
  • 仲西祐介さん照明家

写真と芸術をめぐる日本の状況に強い問題意識を持ち、文化都市・京都で、至難とされる写真フェスティバルをゼロから立ち上げて、国際的評価を得るまでに成長させている二人のアーティスト。
その信念と情熱の源を、KYOTOGRAPHIE会場で聞きました。

text : SEIN編集部 photo : Keita Yasukawa
lens : SIGMA 35mm F1.4 DG HSM | Art他

東日本大震災が与えたもの

4月23日〜5月22日の1カ月間、古都・京都のあちらこちらに、「KYOTOGRAPHIE」と染め抜かれた赤いのぼりが掲げられました。「KYOTOGRA PHIE 京都国際写真祭」は、日本では数少ない国際的な写真祭です。毎年、国内外から注目すべき作品やコレクションが集まり、美術館やギャラリーのみならず、町家や寺社、歴史的建造物など、京都ならではの空間でさまざまな展示やイベントが展開されます。

今年で4回目を迎えたこのプロジェクトを立ち上げ、中心となって開催しているのが、フランス人写真家ルシール・レイボーズさんと照明家仲西祐介さんご夫婦です。二人がなぜ、縁のない京都で写真祭を開催するに至ったのか。そこには「震災」という契機があったと仲西さんは言います。
「ルシールとは彼女から小泉八雲の『怪談』をモチーフとする写真作品を制作したいと相談され、僕が照明でコラボレーションするという形でクリエイティブな関係が始まり、パートナーとなりました。その制作中に東日本大震災が発生したんです。『怪談』の世界と向き合いながら、自然への畏怖を二人で共有していた矢先だったので、自然が持つパワーに大きな衝撃を受けましたし、東京への行き過ぎた一極集中の危機を強く感じました」
さまざまな想いを抱えながら完成させた作品を、二人は同年パリで発表。その際に立ち寄ったのが、南フランスのアルルで開催されていた「アルル国際写真フェスティバル」(www.rencontres-arles.com)でした。
「小さなアルルの街に、世界中の写真関係者が集まっているんです。僕は初めてだったので、本当に驚いてしまって。ところが、日本人はというと、ほとんどいないんです」
アルル国際写真フェスティバルは、元をたどれば1970年にルシアン・クレルグら数名の若い写真家やライターが手作りで立ち上げた小さなプロジェクト。それが、時を追うごとに規模が拡大し、写真文化をフランスに根づかせ、さまざまな写真フェスティバルやマーケットに影響を与えるまでになりました。50年近く経った今では、世界の写真家にとってポートフォリオレビューの聖地であり、世界にデビューするためのシビアなプレゼンテーションと契約の場として、大きな登竜門となっています。
「写真の“今”が凝縮されているそんな重要な場に、何で日本人がいないのかな、と。海外の人たちは、日本はどうなっているんだ、日本では今どんな写真家がいるんだと興味を持っているのに、日本人がいないから、その情報が全然アルルには入ってこない。カメラ大国であり、写真文化を担うべき日本が、はたしてそんな状況でよいのか。日本にもこういう文化的土壌や、情報交換の場となるプラットフォームを育てるべきではないかと、強く感じました。そのためにも、アルルのような写真祭が日本でも開催されるべきだ、と」

「WILL:意志、遺言、そして未来 ― 報道写真家・福島菊次郎」(堀川御池ギャラリー 2階及び立命館大学国際平和ミュージアム)
「フランス国立ギメ東洋美術館・明治写真コレクション茶のある暮らし」(虎屋 京都ギャラリー)

写真祭を、社会を変える一歩に

帰国した二人は、続いて京都でコラボレーション作品を展示。そこで、「この街なら、アルルのようなことができる」とひらめいたと言います。
「京都は歩いて回れるくらいのヨーロッパサイズの街で、拡張よりも小さいまま質的な進化や成熟を志向するような、独自の経済システムで動いています。歴史に根づいた伝統的文化も残っていれば、常に前衛的文化を発信してきた側面もある。まさにここだ!と確信しました」
しかし、仲西さんたちが協賛協力や会場使用のお願いをして回っても、最初のうちは話を聞いてもらえるところも少なかったと言います。
「こういう文化的イベントは利益が出ませんからね。でも、僕たちは利益を求めているのではなく、今の日本の状況を本当に変えたいんです。震災後に落ち込んでしまった社会や経済も、海外との情報の受信発信が希薄な問題も変えたいし、何より写真家やアーティストが作品で食べていけないという文化状況を変えたいと思っているんです」
日本で「写真で食う」ということは、商業写真家で成功することとほぼ同義です。専門分野の一つとしてはもちろん重要ですが、そもそも「写真」はもっと多様なもの。にもかかわらず、日本の写真家が「アート」で食えないのは、一般の人が写真作品を購入して楽しむという文化がないからだ。けれど、土壌がないところに無理矢理写真ビジネスを持ち込んでも根づくはずがない。二人はそう考えました。
「日本では明治維新以降、外国から『アート』という言葉が入ってきたことで、何か『芸術』が生活とはかけ離れたもの、お金持ちしか持てないものになってしまったと思います。でも、実際のヨーロッパのように、作家が有名であろうが無名であろうが、気に入った作品があったら自分が買える範囲で買って家に飾ることで生活を楽しくする。そしてそこに、作品を買うことでアーティストをサポートしていくという循環システムが生まれるはずです。その循環を日本でもスタンダードにするために、まずフェスティバルというもので写真の価値や可能性を分かってもらい、その上で、『写真は買って楽しめるものなんだ』と、写真の面白さを人々の生活とつなげていく。もちろん時間はかかりますが、それこそが僕たちの最終目的です。そのために、まずはこの京都で、自分たちの力で、写真祭を成功させようと思ったんです」

ティエリー・ブエット「うまれて1時間のぼくたち」 (堀川御池ギャラリー 1階)

本気だからこそ動かせるものがある

震災後、東京から離れることを決めた二人にとって、京都は最適な街でした。とはいえ、移住後に新しいプロジェクトに取り組んだものの、その道は決して容易いものではありませんでした。
「2012年春頃から企画を考え始めて、第1回の開催が2013年でしたから、準備期間は正味1年。本当にバタバタで、どうやって実現させたんだか、よく覚えていない(笑)。ただ、予算は全くなかったけど、幸いなことに広いネットワークだけはあったので、著名な作家を含む多くのアーティストが未開のフェスティバルへの参加を快諾してくれたんです。会場にしても、京都じゅうを自転車で回って、ここだと思うところに飛び込みで訪ねていって、普段なら絶対に貸さないようなところにも粘り強く何度もお願いしてやっと貸していただいて……そうやってプログラム自体は充実させていくことができたんです。もちろん京都の街が持っている魅力もかなり後押ししてくれました」
あとはそれを実現するための資金だけ。その状況で苦闘する二人に手を差しのべたのが、世界的なブランドでした。通常自社以外のイベントに協賛することなど一切ないラグジュアリーブランドが、KYOTOGRAPHIEの企画内容と情熱に心を動かされ、「ここまでクオリティの高いことが可能だったら」と、特例措置を講じてくれたのです。
「世界的なブランドが正式にスポンサーとなってくれたのが、開催のたった3〜4カ月前。それをきっかけに、他の企業も手を挙げてくれるようになって、急ピッチで準備を進めることができました。やっぱり本気じゃないと伝わらないですね。これだけいろんな企画が溢れている世の中で、よほど本気度が高くないかぎり、絶対に人の心は動かせないと強く感じました」

「マグナム・フォト/EXILE ― 居場所を失った人々の記録」(無名舎)

京都の街に育てられた本物の「質」

それにしても、第1回から、寺院の塔頭や町家、茶室や洋館まで、それぞれ趣の異なる展覧会を12カ所。「よそ者には難しい」と評される京都の街で、よくここまで良い会場を確保できたものだと驚かずにいられません。
「京都の街は、自転車でぐるぐる回っているだけでいろんな発見があって、古くて魅力的な建物に突然出くわしたりするんですよ。『うわっ、すごいな、この建物』と思ったら、すぐにコンタクト方法を探して、『こんな写真フェスティバルをやりたいんですけど、会場として使わせていただけないでしょうか』と訪ねていきます。当然、まずは断られますけどね(笑)」
京都には十何代も続く歴史を大事にされているお家が少なくありません。その歴史を当代で傷つけるようなことがあってはならないと、慎重になるのは当然だと仲西さんは言います。
「とはいえ、新しいことに挑戦して新しい歴史を作ってこそ京都、という意識もすごく強い。だから、僕らがその架け橋として、『こんなに新しくて価値のあることを考えているんですけれど、一緒にやりませんか』と。断られても、何度も何度も話をして、本当にクオリティが高いものを本気で作ろうとしていることが伝わっていくと、少しずつ門が開いていきました」

「Coming into Fashion ― A Century of Photography at Condé Nast コンデナスト社のファッション写真でみる100年」presented by CHANEL NEXUS HALL(京都市美術館別館 1階)

そして、質を見抜く京都の人たちの“眼”にも、大きな影響を受けたと仲西さん。
「やっぱりクオリティには相当厳しいですよ、京都の方たちの眼は。会場に貸すにしても、その空間が持つ歴史をちゃんとリスペクトしてそれを活かしていなかったら、ピシャッと拒否される。僕らも認めてもらえるよう努力していくうちに、京都の空間とアート作品がより融合していき、KYOTOGRAPHIEの独自のアイデンティティを確立していったのかもしれないですね」

アルノ・ラファエル・ミンキネン「YKSI: Mouth of the River, Snake in the Water, Bones of the Earth」(両足院[建仁寺内])

社会を考えるきっかけにしていきたい

今年の「KYOTOGRAPHIE 2016」にもユニークな展覧会が揃いました。古い町家に並べられた「マグナム・フォト」の、手で触れるよう木箱に貼られた難民の報道写真。真っ白い子宮のような空間で、今まさに産声を上げたばかりの生まれたての新生児たちのポートレート。一方、禅寺では身体と自然をテーマにしたモノクロ作品が書院から庭にまで広がり、ファッションの歴史を動かした伝説的な写真が美術館をカラフルに彩りました。
「展示は、まず僕たち二人が『この作品をこの会場に、こういう形で展示したい』とアイデアを出し、それを作家や空間デザイナーや職人などと協議し合いながら具体化していきます。アーティストの立場に立って、常に新しいこと、面白いことに挑戦しているんです。だから毎年、作品制作に莫大な費用がかかったり、会場施工に想定外の費用が発生したりして、財政的にはかなり大変な状況です(笑)」

サラ・ムーン「Time Stands Still」(招喜庵[重森三玲旧宅主屋部])

「KYOTOGRAPHIE 2016」の閉幕とともに、仲西さんたちは来年の準備を始めています。「なかなか本業に時間が割けなくて」と笑う二人ですが、その充実ぶりは穏やかな表情の中に見てとれます。
「社会を変えていきたいと言うとおこがましいですが、やっぱりみんなが幸せに暮らせる社会にしたいと僕たちは願っています。写真はそのためにすごく効力があると思うし、植えつけられた情報じゃなくて、自分の頭で考えるメディアになれると思う。だからKYOTOGRAPHIEでは、毎年必ず、国内外の社会的現状を考えるためのプログラムを入れるようにしています。日本の教育機関やメディアではなかなか取り上げないようなことを、こういうフェスティバルを通して、考える機会になればいいなと。みんなで生きて、みんなで作っている社会ですから、まずは一人一人の意識が変わっていかないと、全体は変わっていかない。そういう認識を持ってもらうために、今必要なメッセージを伝えていく場になればいいなと思っています」

Lucille Reyboz

写真家

1973年フランス・リヨン生まれ。幼少期をマリ共和国バマコで過ごす。10代の頃より写真を始め、ポートレートを中心に雑誌、CDジャケットなどさまざまな分野で活動。2007年より東京、2011年より京都に在住。主な写真集に『BELLES DE BAMAKO』『Source』、作家平野啓一郎との共著『Impressions du Japon』など。

Yusuke Nakanishi

照明家

照明家。映画、舞台、インテリアなど多彩な分野で照明を手がける。「eatable lights」などライティング・オブジェを制作する他、美術館などでライティング・インスタレーションを発表。2013年よりLucille Reybozと「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を主宰。

Share on social media