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「独立系」であることが未来を拓く力となる

創造、開発、冒険。
何かが新しく始まる時、そこには、人の心を動かす物語もまた生まれます。
知られざる秘話をひもとく〈 Groundbreaking 〉。
第1回は、シグマ創業時のエピソードです。

写真:1960(昭和35)年頃、世田谷区にて。有限会社シグマ研究所の草創期を支えたメンバーたち。(左が山木道広)

光学機器分野は戦後日本における輸出産業の花形でした。雨後の筍のごとく起業したレンズメーカーも60社近くに増え、最盛期には当時の主流だった二眼レフカメラの名称だけで頭文字がA から Zまですべて揃うほどの隆盛ぶりでした。

創業者・山木道広はこの頃、長男として一家の家計を支えるため、大学で学びながら小さな光学機器メーカーでアルバイトをしており、双眼鏡の特殊技術に秀でたエンジニアとして高い評価を得ていました。しかし、その会社は経営者の遁走により間もなく倒産。山木は残されたサプライヤーの救済策に奔走することになります。どうにか後片づけが済んだ時、山木はサプライヤーたちから「新会社を設立し、事業の存続を」と頼まれ、再三考えたのちに起業を決意します。それが、1961(昭36)年に東京・世田谷で産声を上げた「有限会社シグマ研究所」でした。

大望を抱いての起業でもなく、研究所とは名ばかりの町工場として一歩を踏み出したシグマ。しかし、当初から自社製品を手がける “独立系メーカー”を志向していました。山木には、「下請けで成長した会社はない。自社ブランドにこだわり、独自の製品を作り続けなければ生き残ることはできない」という固い信念があったからです。その言葉どおり、シグマは「リアコンバーター」や、マウント交換システム「YS(ヤマキ・システム)マウント」を独自に開発。最後発のレンズメーカーながら確実な地歩を築き始めたのです。

シグマの社名は「総和」を意味します。創業理念に記された「技術、知識、経験、英知、情熱の総和」であり、シグマに関わってきたすべての人々の志の和でもあります。シグマの歴史は、こうして始まったのです。

1973(昭和48)年、唯一の生産拠点となる会津工場を設立。会津の清澄な気候風土と、実直な会津人の気風が決め手となった。
現在の会津工場。
1961 (昭和36)年頃、 日本カメラショーで製品の案内をする山木道広。

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