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「Made in Aizu」というアイデンティティ

空き納屋から、世界最大規模の垂直統合型工場へ。
「世界最高峰のものづくり」をめざす
シグマの情熱と品質の源泉は、
会津の地と人を中核に、という決意にありました。

写真:1973(昭和48)年、第1期工事完成時の会津工場。

シグマ唯一の生産拠点、会津工場は1973年に産声を上げました。当時、会津地方はまだ主だった地場産業も少なく、地元の若者の就職先は限られていました。事業成長に伴い、優れた人手を求めていたシグマと、確かな働き口を求めていた会津の願いを結びつけたのが「会津に工場を」というアイデアだったのです。最初期の「工場」は、隣町の猪苗代町の空き納屋を利用し、金属加工設備26台と従業員17名のごく小規模なものだったといいます。

日本有数の豪雪地域で、高速道路も新幹線も通っていなかった会津。決して地の利も生産効率も良い地域とはいえないものの、シグマ創業者・山木道広は、会津の「ひと」に強く魅かれたといいます。寡黙で実直、勤勉で粘り強い。戊辰戦争の数々の逸話に見られるように、揺るがぬ信念と頑ななまでの誠実さを持つ会津人気質は、緻密さと根気強さを求められる光学機器の製造、そして最後発の小さなメーカーであるシグマにとっての最大の財産になると山木は確信。そして、その見立ては的中したのでした。

それから40年。グローバル化の波により、大半の製造業がコスト抑制のため生産拠点を海外に移す中、シグマはどんな時も会津工場での一貫生産にこだわり続けてきました。製品の品質を高め守ってきてくれた会津人の熟練技術こそシグマの存在理由であり、アイデンティティである。コストインパクトを理由に手放すことなどありえない。むしろこれを維持し存続できる道を自ら選ぼう。コペルニクス的転回で得た決意を源泉として、「SIGMA GLOBAL VISION」のレンズもカメラも生まれたのです。

今日、シグマ会津工場はどんな製品でも完全内製可能な設備をもち、垂直統合・フル稼働で生産する交換レンズ工場としては世界最大規模にまで拡張しています。それでも需要に生産が追いつかない現状は、「Made in Aizu」が情や夢を超えた事業資産として、シグマと会津にしっかりと根づいていることの証といえるのかもしれません。

雪の中を会津工場へと向かう当時の社長、山木道広(写真左)。「日本のイエナ(カール・ツァイスのドイツの本拠地)に」という夢を、この会津に託した。
敷地面積は76,000㎡強、正社員、契約社員、業務請負を含めて約1,500名が従業。フル稼働生産の交換レンズ工場としては世界最大規模。(2015年現在)
会津工場の日常を追ったムービー〈 SIGMA Aizu 〉は海外でも好評を博した「Chapter I」「Chapter II」、最新の「ChapterⅢ」とも、出演はすべて会津工場の従業員。

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