ニュー・バウハウス的なアプローチによって日本建築と庭園の傑作を撮った石元泰博

text: 河内 タカ

Winter/2017

石元泰博(1921-2012年)が1954年に撮影し写真集として発表した『桂離宮』は、今もなお賞賛され続けているシリーズであり、これまで版元を変えて何度も出版されてきた世界に誇れる傑作です。しかし、この写真集に登場する写真に接すると、おそらく当時の日本人写真家だったら決して撮らなかった、または撮れなかったような大胆な構図や簡潔さに驚かされるはずです。

石元泰博の作品は、「高知県立美術館 石元泰博フォトセンター」の公式サイトにて閲覧できます。

石元は日本人ではなかったのか?と思われるはずですが、確かに生まれはアメリカのサンフランシスコであり、3歳の時に両親の故郷である高知県に移り住み、再び18歳の時にはシカゴへと渡ったという日米を跨いだような生い立ちなのです。そして、太平洋戦争が勃発すると、米国籍であったにもかかわらず日系人としてコロラド州の収容所に収監され、その間に写真に興味を持った石元はやがてシカゴ・インスティテュート・オブ・デザインという学校でハリー・キャラハンとアーロン・シスキンドに師事します。実はこの学校の前身を創設したのが、ドイツの「バウハウス」で教えていたモホリ=ナジ・ラースローであり、先進的な写真の教育に取り組んでいたことで知られていた学校であったのです。

石元の桂の撮影に話をもどすと、実はこのプロジェクトはもともとニューヨークの近代美術館から依頼されて撮ったものでした。建築を学んだこともあった石元も、装飾を一切排したような和風建物を撮ることはかなり困難だったようで、なにも撮れないまま当初は庭石や庭ばかりを撮っていて、その後何度も通い詰めている末にようやく外観や室内を撮り始めたそうです。

桂離宮は17世紀に八条宮家の別荘として造営され、書院、茶屋、回遊式庭園から成っている離宮なのですが、ドイツから日本へ亡命してきた建築家のブルーノ・タウトにして「泣きたくなるほど美しい」と絶賛したほどで、石元もモダニズム建築に通じる秩序のある造形美を直感で感じ取り、そういった要素を彼なりに写し取ろうとしたのだと思います。

この時のことを振り返って石元は「書院の白壁とわずかに陰影を持つ白い障子がまず目に飛び込んできて、その時、なぜかミース・ファン・デル・ローエ(モダニズム建築を代表するドイツ出身の建築家)のレイクショアドライブアパートを思い起こしたんだ。古い建築というよりも最初からミースみたいなモダンな形をその中に見ていたのかもしれない」と語っていることから、日本的な情緒を一切排除し、シカゴで学んだことを実践するべく客観的なアプローチによる撮影に徹することを念頭に置いていたのかもしれません。

亡くなられる直前に、都内の画廊で行われた生前最後の個展になった『両界曼荼羅展』の会場にて、石元氏に最初で最後にお会いし、少しだけ桂の撮影のお話が直接できたことは、今も良い思い出になっているのですが、未だ訪れる機会を持てていない“日本の粋”である桂離宮に、近い将来、ニュー・バウハウス的な視点を感じながらゆっくりと散策してみたいものです。

河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジへ留学し、卒業後はニューヨークに拠点を移し、現代アートや写真のキュレーションや写真集の編集を数多く手がける。長年にわたった米国生活の後、2011年1月に帰国。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口』(太田出版)を刊行。2017年1月より京都便利堂のギャラリーオフィス東京を拠点にして、写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した海外事業部に籍を置き、ソール・ライターやラルティーグのなどのポートフォリオなどを制作した。最新刊として『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)がある。

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