写真はアートになりえるか?

text: 河内 タカ

September/2014

はじめまして、SEINでコラムを書かせていただくことになった河内タカです。現在(2014年)はアマナという会社で写真コレクションに関する仕事に就いているんですが、その前は25年間ニューヨークに住み、写真やアートのキュレーションなどの仕事をしていました。この場では僕がこれまで出会った写真にまつわる話をして、写真を見ることに少しでも興味を持ってもらえるような話題に広がっていけばと考えていますので、よろしくお願いします。

では早速、「写真はアートになりえるのか?」といった大きな話(笑)からスタートしましょうか。ネットサーフィンや街を歩くだけでも、皆さんも日々膨大な数の「写真」を目にしているはずです。カメラによって撮られたイメージがデジタル化されるや、複製や加工が容易になりそれが大量に消費されていくわけです。しかしながら、それはあくまでも“イメージ”であって「写真作品」ではない。では、この写真作品とはどういったものを指すのでしょうか?

写真を大きく分けると商業写真、ドキュメント写真、そして芸術写真になります。現実的な言い方をすると、特に日本では商業写真を撮る人はお金を得ることで経済的にも潤い、芸術的な写真はお金にならず困窮するという昔からお決まりのパターンがありますよね。そのアンダードッグ的な芸術写真を定義するならば、それは別に誰からも依頼されるでもなく、自分の表現やアイデアを表現するのに、写真を撮り印画紙に焼き付けることで形にした「作品」(そう、単に“イメージ”ではないのです)を指します。しかもタイトルや値段が付けられて、絵と同じように販売されるといった市場がすでに欧米では確立されているわけです。

「パリ・フォト」は、毎年パリで開催される写真の国際的なフェア。写真のプロだけでなく一般の写真ファンにとっても、世界における写真界の動向やトレンドを知る貴重な機会となっている。

ギャラリーや美術館に一度でも足を踏み入れたことがある方ならば、心に長く残るような写真、意味深な写真、または思いもよらなかった発想にハッとされた経験があるはずです。しかも、その作品はネットや印刷物で見ていた質感とは異なったり、想像以上の大きさであるばかりか、技法や展示の仕方も実に多様化してきています。その中には高額で売買されるものもあれば、メジャーな美術館で大規模な個展が行われ、動員記録をたたき出すなど、今や現代アートの一端を担う手法として確立してしまった感さえあるのです。

たとえば、2013年から2014年にかけて、日本初の大規模な展覧会が行われたアンドレアス・グルスキーというドイツのアーティストがいます。彼の作品の一つに『ライン川 II』(1999)という作品があるんですが、実はこの作品こそが人類史上で最高額で売れた作品なんですよね。その額、なんと4.3億円。それが複製可能な写真1枚に支払われた額だと知ると、えぇー!と思われる人も多いかと思います。しかし、それにはちゃんとした理由や背景があるわけで、しかもこんなにも高額になった写真に対する見られ方も、一昔前に比べより深く、そして多様化しているのです。だから、写真がどこかで空気のように消費されている現実はあるけれど、一方で現代のアートを牽引している知的な表現法になっていった経緯を知ることによって、写真に対する考え方をより深めるきっかけになるんじゃないかと思うわけなのです。

河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジへ留学し、卒業後はニューヨークに拠点を移し、現代アートや写真のキュレーションや写真集の編集を数多く手がける。長年にわたった米国生活の後、2011年1月に帰国。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口』(太田出版)を刊行。2017年1月より京都便利堂のギャラリーオフィス東京を拠点にして、写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した海外事業部に籍を置き、ソール・ライターやラルティーグのなどのポートフォリオなどを制作した。最新刊として『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)がある。

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