会津工場をめぐるストーリー

EPISODE 1

会津工場長半澤 竹雄

Takeo Hanzawa

photo: Shunsuke Suzuki
Autumn/2016

会津生まれ会津育ちの私がシグマに入社したのは、1974年、ちょうどオイルショックの年です。学校でたまたまシグマの会社案内を見て連絡してみたら、「すぐ面接に来てください」と。応募者が少なかったらしく、行ったら即、採用でした(笑)。 私は兼業農家の長男で、会津で就職するのが当たり前。ところが、最初の3年は会津工場ではなく本社勤務だったんです。話が違うと慌てましたね(笑)。それで配属になったのが品質保証部。工業高校卒業とはいえ専攻は化学だったので、光学は全く分からず、文字どおりゼロから覚えました。 以来、3年目に会津に戻ってきてからもずっと品質保証で、しばらくしてOEMの仕事も兼任しました。工場の人間は基本的に外部と交流する機会がほとんどない中、私は品質保証やOEMの業務を通じて、他企業や業界のことをいろいろ知ることができたのが、後のち大きかったと思います。

先代からの積み上げが
今、実を結んでいます。

頑固な職人も気難しい取引相手もいたけれど、私も言う時は言ったし、引かなかった。会津人は誇りが高く、理不尽なことや筋の通らないことには頑として妥協しない芯の強さがあるんですよ。 工場長の職に就いたのは2011年のことです。工場長なんて考えもしていなかったけれど、山木会長から話があり、だったら頑張ってみるかと。 その後すぐに現社長に代替わりするわけですが、スタイルこそ違っても、高付加価値化や部品製造追求といったマインドは同じですから、特に悩むことはありませんでしたね。設計要求レベルがグッと上がったことで、特に工場にはプレッシャーがかかりましたが、先代の頃からの積み上げがあるから、現社長が目指す高いイメージを迅速に具現化できているんだと思います。 気がつけば入社から44年。もちろんこれまでには、この仕事は自分に向いているのか、辞めて他の道に進もうかと、悩んだこともあります。でも、結局、大変さの中にも、会津工場に働きがいを感じていたんですよね。モノづくりって、やっぱり面白いですから。その面白さが、シグマで働き続けてきた、一番の理由でしょうね。

半澤 竹雄

会津工場長

1956年、福島県会津若松市(旧河沼郡河東町)生まれ。1974年入社、本社勤務を経て1976年より会津工場で品質保証を担当する。2011年より現職。

20代の頃、会津工場の仲間と。(写真中央)

Episode in Aizu

半澤さんがOEMを担当していた頃、某企業に「鬼の○○」と呼ばれる技術者泣かせの厳しい品質保証担当者がいたんですが、彼も半澤さんにだけは「私の先輩です」と敬意を表していました。それほど、社内でも社外でも相手から絶対的に信頼される存在。半澤さん自身が会津の品質の表れであり、まさに会津工場長に最適の人材です。
(山木和人 シグマ代表取締役社長)

Share on social media